はじめに
今日、国際人権条約を援用する事案が増加している。しかしその適用のあり方については、様々な問題点を指摘しうる。中でも最も重要な問題として、条約監視機関の条約解釈を、いかにして国内裁判上援用することが可能か、という点である。
殆どの監視機関は、法的拘束力を持つ判断を行う権限を持たない。自由権規約上設置された規約人権委員会の場合、「見解」や「一般的意見」、「最終所見」はいずれも、勧告的性質を持つに留まる。他方で、かかる機関は条約の適用に長らく関与し、概ね妥当な解釈を蓄積してきた。
その意味で、極めて重要な判例理論(jurisprudence)を構築してきたといえる。しかし日本の裁判所は、条約機関の判断を援用することに極めて消極的で、時には一切触れずに表面的な文言解釈に終始している。かかる推論に、説得力は感じられない。したがって、条約監視機関の解釈が持つ重要性を理解させる必要がある。
「一般的意見」及び「見解」の援用の方法
判決においてこれらの文書を反映させる方法として、(1)かかる文書の有権性・裁判規範性を強調するもの、(2)解釈における重要な考慮事項とするもの、とがありうる。しかし前者に関しては、極めて安易に排斥されてしまう。というのも、前述の通り、法的拘束力をそもそも持たないし、条約が国際法上の法源である以上、解釈の有権性は国際機関にではなく、条約締約国にあるからだ。
他方、条約機関は、有権的解釈権をもたないにせよ、規定上かかる条約を解釈する権限を持つのであって、機関の構成員も、その資格要件の観点から高い能力を有している。したがって訴訟戦術的には、解釈の内容の観点から条約機関の重要性を強調する後者が望ましい。
条約解釈論上の根拠
条約の解釈に当たっては、ウィーン条約法条約上の解釈規則に準拠すべきこととされているが、本報告の主題との関係で問題となるのは、条約機関の文書が、解釈規則上どこに位置付くのか、という点だ。学説は4つに整理しうる。
- 第31条1項にいう「誠実に解釈する」との関係で理解するもの、
- 同条3項(b)にいう「後に生じた慣行」に該当するとするもの、
- 第32条「補足的な手段」とみるもの、
- いずれの要素に当たるかを留保しつつ、解釈指針と見るもの、
しかし、(2)の慣行とは、締約国の合意を確立するものをいうのであって、そのように理解すると、締約国の意思を収斂させる触媒的機能をもつに過ぎないこととなり、条約機関解釈自体の重要性が滅却される。また(3)は、援用しうる場合が限定されており、機関解釈の重要性を損なわせる。さらに(4)は、解釈規則への基礎付けを放棄する点で問題があろう。(1)に関しては、次のような意義を指摘しうる。
すなわち、解釈上常に考慮されるべき要素としてかかる文書を基礎付けつつも、全ての文書が正しいとは限らないので、機関の解釈に対する反論との比較検討を経て、条約解釈として合理的な見解を選択するという操作を経るべきである。機関の解釈を採用しない場合には、その理由を説得的に示すことが必要である。かかる操作を経ずして独断論的に解釈を行うことはおよそ誠実な解釈とはいえず、誠実であるためには、常に妥当な論拠を示しつつ、合理性を追求する必要がある、ということだ。
憲法規定への包摂
規範論理的に性質を異にするが、日本の法体系上最も受け入れやすい戦術としては、憲法上の人権規定に包摂させるというものが挙げられる。すなわち、憲法施行後の、条約締結を含む人権規範の発展を憲法解釈上斟酌し、そもそも憲法上保障されているとする形式である。
その例としては、いわゆる「二風谷事件」判決がある。当該事案において裁判所は、アイヌ民族が自由権規約第27条にいう少数民族に該当し、文化享有権を有するが、これは、憲法第13条にいう自己の人格的生存に必要な権利であるとして、「その保障は、個人を実質的に尊重することに当たり、かつ社会的弱者についてその立場を理解し尊重しようとする民主主義の理念にかなう」と述べた。
かかる根拠付けは、法源論的には規約の直接適用ではないにせよ、実質的に規約上定めのある権利を享有することになるのであるから、最も望ましい訴訟戦術であろう。
いずれにせよ、安易に条約機関の解釈の有権性を強調するのではなく、よりこまやかに解釈を練り、主張を構成することが重要である。