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浅尾さんは今年の6月に『三浦参玄洞論説集』を編まれた。本報告は、それを基礎資料として、三浦の著作にかいま見られる、水平運動に対する思いを紹介したものである。その中から印象的なものをまとめてみたい。まず西光万吉との関係である。
水平社発足の1・2年前の西光はただ死を望んでいたという。その西光に対し、「僕は知らぬ、知らぬが信ずる、出生は決して偶然の所産ではなく或大きな意識によつて自ら選んだ結果であることを」と語り、命の尊厳を諭している。
また水平社の創立趣意書が配布されて以降も肉親からの反対を受けていた西光に「親鸞の弟子たる宗教家?によつて誤られた運命の凝視、あるひは諦観は吾々親鸞の同行によつて正されねばならない」と語り、水平運動の精神に理解を示した。
このようなやりとりからも、三浦が西光に思想的影響を与えたことは否定できない。次に水平社創設前後の真宗に対してだが、いわゆる「真俗二諦」の教義を真宗信仰の変質と捉え、変質した教団を鋭く批判をしている。そして「苟も末は御浄土で同一味の証りを開く事を信楽する位の道連れが不合理な差別観念によつて同朋を虐げて居るといふやうなむごたらしい事を平気で見逃しておくのは、第一あなた方の信仰そのものをも正さねばならぬ事柄だと思ひます」と述べ、信仰に生きる者であるが故に現実の差別に向かい合わねばならないと主張している。
さらに水平運動にも期待をかけ、頻発する糾弾運動への批判を、「水平社の運動は最初から目的を定めて立つたものでもなければ結果を予想して始めたものでもない、否そんな余裕やゆとりがない程に切迫した内外の事実に激発されて生起した生命の団体であることを知らねばならなぬ」として一蹴した。
このように、不合理な現実の差別構造に対して「人間礼賛」を唱えた三浦だったが、日中戦争が始まると、その発言は国家の政策と一体化していく。記者として自由に記述ができなかった苦悩があったのではなかろうか。
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