1.転任して3年間(2000-02年度)
滋賀県内に4ヶ所ある児童養護施設の一つ守山学園は現在約40名の子どもがおり、その半数が小学生で守山市立河西小学校(全校約900名)に来ている。私は2000年度に河西小学校に転任してきたが、児童養護施設の子どもの問題は全く何も知らないという状況だった。校内の会議や研究会で「集団に入りにくい」「生活習慣が身につかない」「学習意欲が持てない」等の課題のある子の話の際、必ず学園の子どもの名前が上がっていた。しかし「学園の子、しんどいよ」という先生の言葉に何となく納得していた当時の私であった。自分のクラスにいる中国から来たNさんに関わっていた私に、学園訪問を重ねていた同僚は「あんたはNさんのことをしっかりやり、学園は僕が行く」と話していた。
3クラスあった6年生の担任をしていた時、「力の論理」がまかり通っていた子ども達の価値観の中でクラスは大きく荒れていて、「倒れるんやったら一緒に倒れよな」と冗談交じりに担任団で話していた。この頃の学園と小学校のつながりは、学期初めや終りの訪問、6月の情報交換のための懇談会、学園祭への参加などであった。
離席行動や友達とのトラブルが日常的だった1年生のAさんは学習への個別支援が必要で、担任Tは、学園での夏休みの学習タイムにも何回か参加したが、「せんせ、こんどいつきてくれんの?」と尋ねる子ども達の気持ちに励まされた。その夏休みの終りに学園の親子バーベキューの集いがあり、久しぶりに会う母や祖母に甘えるAさんだったが、別れ際「なんで。ぼくだけ帰れへんの?」と泣きやまないAをなだめるしかできず、週1回は必ず学園に行こうと心に決めた。
2.学園のことをもっと発信(2003年度)
私自身の学園との本当の出会いは、担任となったMさんとの1年間との付き合いである。担任する直前の3学期、泣き叫んでいるMさんに当時の担任が「絶対、あんたのこと見捨てへんて言うてるやろ!」と話す言葉が聞こえ「この子を正面から見据えて格闘したはるな。」と思った。4月からのMさんといえば、学園と学校は子どもだと急ぎ足でも30分はかかる距離だが、2時間ほどかけて帰ったり、登校してもランドセルを机に載せたままであったり、昼休みから学校裏の川で全身ずぶ濡れで遊んでいたりとかの状態であった。5月から私が週1・2回学園に行き宿題をさせだしたが、教室とは違って素直に学習するMさんの姿に意外さを感じた。ある夕方、学園に別の用事で行って帰ろうとした時、Mさんから「せんせ、今日は勉強せえへんの?」と聞かれ驚くと共に、学園に通うことの意味を改めて痛感した。
こうしたことを守山市とその周辺の教員は知るべきだし、知らせるべきだということで教職員組合の研究集会でレポートを出したら、県、全国の研究集会でも報告ということになり、そこで大阪の島本第二小学校の方とも出会え、その後遥学園の訪問につながった。
3.学校組織としての取組みに(2004-05年度)
学園と関わる中で確信したことは、原点は学校側が学園に行くことである。何故なら、第1に今の施設への職員の配置条件では施設職員が学校へ頻繁にくるのは不可能であること、第2に教員が学園に行くことで施設職員との信頼ができ子ども達の情報も聞けること、そして第3に担任の子どもだけでなく他の子どもの学校とは違った姿や思いを知ることができるからである。
学校として、「入学前日の訪問」「平日夕方の訪問」、夏の「1泊2日キャンプ」「朝8時半から9時半の学習タイムへ」「親子バーベキュー」等への参加、秋の「学園祭」や「年末歌合戦」への参加等を始めだした。また中学校区として関われるように幼小中教員と学園との会合も始めた。この間の取り組みは、全国人権・同和教育研究大会で報告したり、日教組近畿ブロックの研究集会で報告したりした。
4.学園のことを学習内容に(2006-07年度)
私が信頼している先生から「教育内容に学園のことを位置づけていかないとあかん」と言われ、3年生の総合学習「河西ウォチング」(1学期)に、校区内の高齢者や障害者関係の福祉施設と共に学園訪問を位置づけた。「いつ来てくれるの?」と言ってくれる子もいたが、不登校の子やいやがる子どものことが気になり学園とも話をしできる限りの配慮をして実施した。こうした取り組みを学園の先生と一緒に全国人権・同和教育研究大会でも報告したが、準備過程で様々な思いをお互い初めて共有できたことが私にとっては一番の財産となった。同時に、大会で他の児童養護施設が様々な地域活動に参加していることも知り、参加費や引率等の学園の新たな負担があるがサッカー少年団に学園の子ども達が参加し始めている。
5.今後の課題
最後に5つほどの今の課題に触れる。第1は、学園の子や校区のしんどい子を中心とした集団づくりをどう進めていくかという点である。第2は、進路保障の課題でもあるが高校との連携(学力や中退問題等)がある。第3は、学園の先生達の労働条件のきびしさが何とかならないのかと感じる。第4は、学園に措置したら終わりではなく「スタート」である。児童相談所、学園、学校が一緒にケース会議を持ったりしてきたが、そういう福祉行政や教育行政がより充実するよう働きかける必要がある。しかし、滋賀県の「生きる力」加配が3年目の2006年度で切れ、少し不安もある。第5に、福祉行政と教育行政の間にある隙間から子どもが落ちないように組織として取り組むことである。
(文責・中村清二)
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