アンベードカル Bhimrao Ramji Ambedkar

 1891.4.14〜1956.12.6 現代インドの社会改革運動家,政治家,法律家,教育者,宗教家。デカン西部でかつて不可触民【ふかしょくみん】カーストの一つとされていた〈マハール〉の出身。過酷な差別を受けつつも勉学に励み,1912年にボンベイのエルフィンストーン・カレッジを卒業。その後,アメリカ(1913〜16)とイギリス(1916〜17,1920〜23)に留学して経済学・法律学を修め,コロンビア大学・ロンドン大学の博士号と法廷弁護士資格を取得する。一方,1920年前後から不可触民制撤廃運動に身を投じ,社会改革団体・被差別労働者組織・政党(独立労働党,指定カースト連合)などの結成,機関紙の発行,全インド不可触民(被抑圧階級,指定カースト)大会の開催,大衆示威運動の指導などにあたった。貯水池使用権の獲得を目的としたマハッドでの反差別闘争(1927),寺院立ち入りの権利を求めたナーシクでの反差別闘争(1930)はとくに名高い。また,政治的独立よりも社会改革(カースト制度・不可触民制の撤廃)を優先させるべきであると主張し,ガンディーの指導する国民会議派と対立した。インド統治法改正を目的としてロンドンで開かれた3回の英印円卓会議(1930〜32)に不可触民代表として出席し,不可触民の代表を不可触民のみで選ぶ分離選挙制度【ぶんりせんきょせいど】を求めた。選挙制度や不可触民制撤廃の方法をめぐりガンディーともっとも激しく対立したのはこの時期である。

 インド独立(1947)以後は,初代ネルー内閣の法相,憲法起草委員会の委員長として活躍し,50年に施行された共和国憲法【いんどきょうわこくけんぽう】に不可触民制廃止の条項(17条)を書き加えた。51年以後は野に下り,下院議員・上院議員として活動。この間,大学での教職歴も長く,35年から38年にかけて公立法科大学の学長となっている。またシッダールタ・カレッジ(ボンベイ),ミリンダ・カレッジ(オーランガーバード)をはじめ多数の教育施設を創設し,下層民の教育の向上に尽力した。宗教に関しては,不可触民差別の根源はヒンドゥー教にあるとの理由から*『マヌ法典』【まぬほうてん】を焼却(1927)。つづいて他宗教への改宗を決意し(1935),長い熟慮ののち,死の2カ月前の56年10月に,ナーグプールで数十万の大衆とともに仏教に改宗した。彼の仏教は旧来の仏教と区別して新【ネオ】仏教【ねおぶっきょう】と呼ばれることもあるが,改宗者たちは自らを単に〈仏教徒〉と称している。今日インド共和国に住む700万人以上の仏教徒の大部分は,この新改宗者たちである。なお,部落解放運動の指導者*松本治一郎は53年1月30日,インドを訪れた際,ニューデリーでアンベードカルと会見している。

*ダリット解放運動

参考文献

  • 山崎元一『インド社会と新仏教』(刀水書房,1979)
  • ダナンジャイ・キール『不可触民の父アンベードカルの生涯』(山際素男訳,三一書房,1983)
  • アナント・パイ編『アンベードカル物語』(村越末男訳,解放出版社,1985)
  • アンベードカル『カーストの絶滅』(山崎元一・吉村玲子訳,明石書店,1994)
(山崎元一)

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Last-modified: 2015-12-03 (木) 21:09:30 (1300d)