ドヤ街【どやがい】

 大阪・*釜ヶ崎,東京・*山谷などの*日雇い労働者【ひやといろうどうしゃ】を中心とした都市下層の集住地域を,居住面に着目した呼称。労働市場に着目した*寄せ場【よせば】という呼称もある。しばしばそこで生きる人々の生活実態を無視した差別的な視線にさらされがちである。ドヤ以外に、飲食店・一般商店・遊技場・公的施設などにより構成される。ドヤは宿の倒語。現在では簡易宿所【かんいしゅくしょ】(旅館業法)を,明治・大正期では木賃宿【きちんやど】を指す。居住性は劣悪で,寝室的機能に特化している。

 その沿革は,近世における木賃宿営業許可地域が近代に入り*スラム・クリアランスの対象となって移転した場合(釜ヶ崎),近世においては都市周辺の岡場所・処刑場であった地域が近代になり営業区域指定により木賃宿の集積地となった場合(山谷),戦後米軍の接収解除後港湾労働や軍関連労務の爆発的な増大に応じ流入してきた層への宿所提供をテコにして地域形成がなされた場合(横浜・*寿町)など,さまざまである。

 ドヤの構造は,ドヤ街によりいくぶん異なるが,釜ヶ崎では以下のような展開をみた。戦争直後は1部屋に多数が雑魚寝するいわゆる追い込み式であり,ついで3畳程度の旅館型・1畳の蚕棚型・梯子利用の棺桶型が現われる。以上はおおむね木造であるが,つづいて鉄筋コンクリート建てが出現。個室化が進み,吊り天井式と梯子式があった。ここまでは外装3階内装6階であったが,1970年代以降は外装3階内装3階で1畳個室もやや広くなる。80年代型ドヤと呼ばれるものは冷房・テレビなど種々の設備が整備され3畳個室となる。現在,個室の種々の型が併存している。

 居住者は戦前期から戦後高度成長期までは、一定の変化を示しつつも雑業層や力役層が中心で,世帯持ちもけっして少数ではなかった。60年代以降行政施策の一定の展開と日雇い労働力の需要拡大を背景に,バラックは衰微し単身者化が進行した。80年代後半以降、*外国人労働者も円高をテコに登場する。また現役労働者以外の野宿層や生活保護層の存在も無視できない。

*下層社会

参考文献

  • 中川清編『明治東京下層生活誌』(岩波文庫,1994)
  • 中島敏『写真集ドヤ街――釜ヶ崎』(晩声社、1986)
  • 釜ヶ崎資料センター編著『釜ヶ崎 歴史と現在』(三一書房,1993)
(本間啓一郎)

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Last-modified: 2015-12-03 (木) 21:09:32 (1358d)