ユダヤ人差別【ユダヤじんさべつ】

 2世紀に祖国を失ったユダの民は西アジアやヨーロッパ各地に分散したが,中世よりヨーロッパのキリスト教国でユダヤ教を信仰するユダヤ人は異教徒として差別され,特別隔離居住区(*ゲットー)に囲い込まれるなど,さまざまな経済制裁・差別・迫害を受けた。18世紀の市民革命以降,ユダヤ人も市民的平等を獲得していったが,その反動として反セム主義(反ユダヤ主義)が台頭し,疑似科学的な〈人種学〉を根拠に〈ユダヤ人は《劣等人種》に属す〉と,ユダヤ人差別の正当化が試みられた。ロシアでは19世紀末期にユダヤ系住民への組織的襲撃(ポグロム)が引き起こされ,フランスでもユダヤ系将校が軍事機密をドイツへ洩らしたとする冤罪事件(ドレフュス事件)で反ユダヤ主義が強まった。なかでも,1920年のドイツ〈ナチス党綱領〉の内容は,疑似科学的〈人種学〉を根拠とする強烈な反ユダヤ主義に満ちていた。

 ドイツでは33年1月にナチス党が政権を掌握,同年4月から翌年にかけてユダヤ系住民に対する制度的差別(公職追放,職業制限,ボイコット)を開始した。35年9月公布の〈ニュルンベルグ法〉で〈異人種の血統〉とされたユダヤ人と*ロマは,選挙権などあらゆる市民権を剥奪され,〈アーリア人〉との結婚や公共施設の使用も禁止された。38年11月には1000を超えるシナゴーグ(ユダヤ教会)の放火,7000軒に及ぶユダヤ系住民が経営する企業や商店,その墓地,学校や家の破壊・略奪,数百人のユダヤ系住民殺害,約3万人のユダヤ系住民逮捕の事件(いわゆる〈水晶の夜【すいしょうのよる】〉)が起こった。その後,多くのユダヤ系住民は〈安住の地〉を求めてドイツからの亡命を試みた。第2次世界大戦勃発前のナチスによる〈ユダヤ人対策〉は,〈第三帝国〉内のユダヤ系住民のみをその対象としており,その第1段階が諸権利の剥奪,第2段階は〈疎開〉〈保留〉〈移住〉などの名による,とくに東ヨーロッパのナチス〈新領土〉への強制追放であった。

 41年以降のユダヤ人迫害は,より計画的・組織的になる。ユダヤ系住民が〈ダビデの星(ユダヤ人と書かれた黄色い星)〉の着用を義務づけられたのも同年9月からであった。この時期から〈ユダヤ人対策〉はその第3段階,〈最終解決策(殲滅)〉を迎えた。ナチス党幹部が42年1月にベルリン郊外で開いた〈ヴァンゼー会議〉において,ユダヤ人殲滅が決定されたといわれる。ナチス占領下の各地でユダヤ系住民は他の住民から隔離されたゲットーに集められ,そこからアウシュヴィッツ・ビルケナウやマイダネックなど東部の絶滅収容所【ぜつめつしゅうようしょ】へ送られ,実数不詳な人々が毒ガス(ツィクロンB)などによって虐殺された。

 ヨーロッパ人多数のより陰険な形態でのユダヤ人に対する悪感情・偏見・差別意識は持続しており,各国でのユダヤ人教会・商店・墓標等に対する落書き,迫害等は後を絶たない。また各国において*ネオ・ナチズム運動が近年また活発化している現実も軽視できない。

参考文献

  • 大野英二『ナチズムと「ユダヤ人問題」』(リブロポート、1988)
  • マイケル・ベーレンバウム『ホロコースト全史』(芝健介訳,創元社,1996)
(金子マーティン)

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Last-modified: 2015-12-03 (木) 21:09:34 (1294d)