ロマ民族【ロマみんぞく】 Roma

 インド北西部(パンジャブ地方)発祥の民族で,今日では世界各国に居住する独自の文化をもつ少数民族。ロマ人口はヨーロッパ大陸で600万人以上,インド残存のロマ(バンジャーラ)1500万人を除いて全世界で約1000万人と推定される。その独自の言語(ロマネス語)の基本的相違,また伝統的生業によっていくつもの集団に区分されるが,13世紀後半に東部ヨーロッパにたどり着き,ルーマニア語の影響を強く受けたロマネスを使うワラキア系ロマと,サンスクリットの語彙を多く含むロマネスを使う非ワラキア系ロマに大別される。さらに東ヨーロッパのカルデラシュ,中央ヨーロッパのマヌシュ,南西ヨーロッパのカレーに区分され,それらのグループがまた多くの小グループ(マヌシュ系のスィンティなど)に細分される。ロマの伝統的生業は鍛冶,鋳掛けの金物細工,かご・ふるい製造,馬喰,大道芸人,楽器製造や楽士などであった。日本でロマが一般的に〈ジプシー〉と呼ばれるが,これは中世ヨーロッパ人がロマをエジブト人(Egyptian→Gypsy)と考えたことに由来する誤った呼称。ロマを指して多数派が使うツィガン・ツィガノ・ツィンガリ・ツィゴイナーなど雑多な呼称があるが,その語源はギリシャ語のアツィンガノイ(不可触民)だとされる。いずれせよ,それらの名称のすべてが日本の〈特殊部落〉という差別語同様,比喩的に悪の代名詞として使われる侮辱的・差別的ニュアンスを含む蔑称である。

〈迫害の歴史〉

 ロマの先祖がインドから移動を開始した正確な時期と理由は不明だが,中世インドにおけるイスラム教徒の侵略によって,1000年以上前から移動を開始したとの通説がある。その移動が集団的大移動でなく,複数の小集団に分かれ,また異なる経路を通って西方に向かったことを比較言語学が明確にした。15世紀初頭に中央ヨーロッパに,16世紀に北欧に到着,17世紀にはヨーロッパからアメリカ大陸へ渡ったが,ヨーロッパに着いた当初からロマは〈異教徒〉と迫害され,すべての国家がロマの〈国外追放〉策をとったため,〈絶え間ない移動〉=逃亡生活を余儀なくされた。17世紀以降,各国で暴力的手段によるロマの強制定住化=農民化政策が試みられたものの,多数派の強烈な差別観のため,そのほとんどが失敗に帰した。

 〈ジプシー問題〉の〈最終解決策〉を提供したのは1933年にドイツで政権を掌握したナチスである。〈異人種の血統〉とされたユダヤ人同様,ロマも35年秋から〈ゲルマン民族〉の〈純血〉を汚す〈劣等民族〉〈反社会的犯罪分子〉〈労働忌避者〉などとみなされ,選挙権剥奪,非ロマとの結婚禁止,自営業禁止,移動禁止,就学禁止,国防軍からの排除,強制不妊・断種手術,強制移住,強制労働など,徹底的な迫害にさらされ,最終的にアウシュヴィッツなどの〈絶滅収容所〉へ送られた。少なくとも50万人のロマがナチス時代を生き延びることができなかった。敗戦後も〈戦後補償〉体系で差別的取り扱いを被っている。

〈戦後の諸問題と人権獲得運動〉

 ロマは〈放浪の民〉であるとの誤認・偏見がいまだに世界各国で根強いが,実際にはかなり以前から多くのロマが定住生活をしていた。第2次大戦後,東ヨーロッパ諸国は〈移動禁止令〉(ソ連1956年,チェコスロヴァキア1958年,ポーランド1964年)を発し,西ヨーロッパでもロマのかつての生業が崩壊し,ほとんどのロマが定住している。だが,ロマを少数民族と公認している国家は少なく,ほとんどの国家がロマの自主性をまったく無視した同化政策を遂行している。もっとも,東ヨーロッパの旧ユーゴスラヴィアは74年,ハンガリーは79年にロマを少数民族と公認,西ヨーロッパでもオーストリアが93年にロマを〈民族集団〉=少数民族と認め,ドイツも95年にドイツ国籍をもつロマを政府公認の少数民族に含めた。

 各国に反差別・人権獲得の自主的運動があるが、*ドイツ・スィンティ・ロマ中央評議会は*反差別国際運動(IMADR)の創立以来、参加している。しかし、少数民族と公認されようとも、伝統的な差別意識は東西ヨーロッパ社会において存続しており、深刻な差別事件が後を絶たない。

参考文献

  • D.ケンリック・G.パックソン『ナチス時代の「ジプシー」』(小川悟監訳,明石書店,1984)
  • ロマニ・ローゼ「人種主義ではなく市民権を」(小川悟訳、『部落解放研究』53号,1986)
  • 金子マーティン「ロマ民族のナチス被害に対する国家補償」(『歴史学研究』630号,1992)
(金子マーティン)

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Last-modified: 2015-12-03 (木) 21:09:34 (1469d)