岩手県【いわてけん】

 岩手県における被差別身分は、旧南部藩時代、穢多身分および非人身分とされた人々が盛岡に存在したことが諸文献に記載されている。それらによれば、穢多身分とされた者は明治3年(1870)には戸数31戸、男女合わせて189人とされ、街道沿いの交通上の要所に居住し、皮革業のかたわら警察関係の下役などを勤めたとされている。また盛岡には、〈乞食町〉〈下河原〉と呼ばれた所に非人小屋などもあった。盛岡で非人とされた人々の職掌は、行刑の下役であった。享保年間(1716-36)の記録には、打首・獄門になった人々の行列図に馬の口取り役として〈乞食口取〉2人が描かれている。その他、盛岡藩の賤民として〈店【てん】屋【 や】猿引〉もいた。〈店屋〉(典屋)とは俗体で守札を配るなどした芸能賤民とされ、〈店屋猿引〉とは〈店屋〉の〈猿引〉の意である。また、仙台藩・盛岡藩・八戸藩などでは穢多身分とされた者が雑芸能に従事、〈春田打〉などの芸能を担った。南部藩の支藩である八戸藩の資料には延宝1年(1673)のこととして〈謡始めとして、典屋松太夫、殿中に於て、春田打の舞を奏す〉とある。

参考文献

  • 成澤栄寿「東北」(部落問題研究所編『部落の歴史・東日本篇』、1983)
  • 門屋光昭「盛岡藩に於ける芸能集団・七軒丁について」(『民族芸能研究』4号、1986)
(門馬幸夫)

トップ   差分 リロード   一覧 単語検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS
Last-modified: 2015-12-03 (木) 21:09:37 (1294d)