貴と賤【きとせん】

 人間および人間集団を上・下に分けた身分。出自によって貴と賤の身分を設定して,階級支配の維持・強化をはかった。中世ヨーロッパの封建社会では貴族に特権を与えたが,中国や朝鮮でも貴族と賤民の身分が形づくられた。<貴族>の語は『晋書』をはじめとする中国の古典にもみえる。

 日本の古代の律令制度においては三位以上を<貴>,五位以上を<通貴>,六位以下を<非通貴>とみなした。中世では皇族や高位の公家【0くげ】(摂家【せつけ】)を〈貴族【きぞく】〉として重視し,近世においては武家に対して公家を<貴族>と呼ぶ場合が多い。華族は三条ほか清華【せいが】七家(のちに九家)を指したが,明治2年(1869)に公卿・諸侯の称を廃して華族とし,1884年(明治17)には華族令を施行して五等爵(公・侯・伯・子・男)を授けた。89年の貴族院令によって満30歳に達した公・侯爵の全員ほか150人の華族が貴族院議員となった。

 良・賤の身分制は律令制度によって明確となり,諸王・諸臣・百官人・公民を良とし,いわゆる,〈*五色の賤〉(*官戸・*陵戸・*家人・官奴婢・*私奴婢)との身分差別が顕在化した。公民には公戸・*品部【しなべ】・*雑戸【ざつこ】などが含まれ,中国とは異なって日本では雑戸も良とみなした。しかし実際には品部・雑戸は<卑品【ひほん】>の扱いをうけ,官奴婢は*公奴婢とも呼ばれた。律令制度が解体していくなかで,良・賤の身分も変質し,中世には*散所の民や*河原者などが差別されるようになる。近世封建社会においては,武士・百姓・町人のほか,公家・神職・僧侶や山民・海民など,そして*穢多・*非人の新たな身分制が組成され,身分のなかにさらに細かい身分が設定された。<身分内の諸身分>は,幕藩体制の矛盾と被差別民衆の解放への努力によってしだいに動揺し,明治4年(1871)にはいわゆる*<解放令>が出された。しかし貴・賤の身分とその身分意識は再生産され,ようやく第2次大戦後の*日本国憲法の制定によって,華族制度は廃止された。しかし多年にわたって浸透した貴・賤の身分意識の克服は,戦後民主主義の大きな課題の一つとなった。

*賤民

参考文献

  • 上田正昭『日本古代国家論究』(塙書房,1968)
  • 同「律令制成立期の身分と階級」(『日本史研究』77号,1965)
  • 部落解放研究所編『部落解放史』上・中・下(解放出版社,1989)
(上田正昭)

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Last-modified: 2015-12-03 (木) 21:09:37 (1294d)