糾弾権【きゅうだんけん】

〈糾弾権の生成〉

 1922年(大正11)の全国水平社創立以来,差別糾弾闘争【さべつきゅうだんとうそう】は差別に苦しむ被差別者が直接あるいは集団の支援のもとに差別者に抗議し,差別事象を糾す追及行為として,部落解放運動を進めていくうえで不可欠な基本的闘争形態とされてきた。それは全水の<綱領><決議>に端的に示されている。当初は,差別を観念ととらえて,遅れた知識によって差別観念をもつ個人に対して*糾弾【きゅうだん】を行なっていたが,その後、差別を引き起こし,あるいは放置している原因者たる行政などの組織に向けられるようになった。

 部落解放運動の歩みのなかで反復・蓄積されてきたこの闘争形態は今日の運動に継承されている。すなわち公開性,社会性,説得性を原則に,糾弾要綱に拠りながら大衆的に取り組まれる。糾弾は、被差別者の権利救済に対する法的保護の無力性にかわり得る自己防衛の抵抗手段として,事実上,社会的承認を与えられてきた。憲法12条は国民の不断の努力による人権保持の義務をうたい,いわゆる抵抗権【ていこうけん】の根拠を提供している。

〈糾弾権の是非〉

 これに対して,1986年(昭和61)の*地域改善対策協議会の<意見具申>,確認・糾弾【かくにんきゅうだん】についての法務省の<見解>は,糾弾闘争否認の考え方に立って,確認・糾弾会が行き過ぎて一方的・主観的・恣意的となる場面のあること,被糾弾者の人権に及ぼす影響など,糾弾が新たな差別意識を生み出す要因となって差別解消の目的を達成するうえで障害になっているなどと断じている。差別的言動に対する糾弾行為(糾弾権)について最初の法的判断を示したのが*小松島差別事件での徳島簡易裁判所判決(1972.10.11)である。それ以来、判例は,差別が現存し,かつ差別行為に対する法的規制と救済手段を欠いている現状のもとで,差別糾弾は手段,方法が相当な程度を超えない限り,社会的に承認されて然るべき行動であり(*矢田教育差別事件・大阪地裁判決1975.6.3),また法秩序に照らし,相当と認められ,程度を超えない手段,方法による限り,かなりの厳しさを有することも是認される(同事件・大阪高裁判決1981.3.10)とも判示している。いずれも,一定の限定を付けつつも,判例上,糾弾権を肯定したものと解してよいだろう。その限りにおいて,糾弾権に対応して,差別者の側が糾弾に応ずべき義務を社会的に負担すべきことが是認されよう。また、*八鹿高校差別教育事件における大阪高裁判決(1988.3.29)は憲法14条の平等の原理を実質的に実効あらしめる一種の自救行為【じきゅうこうい】として,糾弾権について是認できる余地があるとしている。

〈糾弾と啓発〉

 糾弾は被差別者の,多くは団結,すなわち集団としての<抗議>の意思の表明である。これによって,差別の誤りを諭し,差別を許さない立場へと,差別者自らの変革を求める行為とみることができる。この意味で,人間として差別に耐え難い情念を抱く以上,糾弾行為自体は啓発の域を超える位置と厳しさをもつ。しかし,糾弾・追及などの行為のめざすところは,個人的な訴えを超えた,社会的・集団的な抗議の表現手段として,社会の人権意識の是正・高揚に向けた啓発研修の課題とも結び付いている。

→*糾弾

参考文献

  • 原田伴彦『入門部落の歴史』(部落解放新書,1988)
  • 友永健三「差別糾弾闘争の意味するもの」(『部落解放研究』50号,1986)
  • 和島岩吉『差別事件と糾弾権』(解放出版社,1989)
  • 山上益朗「糾弾闘争における集団の思想について」(『部落解放研究』66号,1989)
(睫鈞胆 

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Last-modified: 2015-12-03 (木) 21:09:38 (1467d)