警察【けいさつ】

 公共の治安を害する行為や状態を除去するための強制的手段を行なう政府の行政機構。1875年(明治8)<人民ノ凶害ヲ予防シ安寧ヲ保全スル>(行政警察規則1章1条)との趣旨で設置された。この理解は,警察を国民に対する国家的・権力的作用であり,保護的作用とみる点に特徴があった。その範囲は,風俗,言論,思想,出版,衛生,営業,産業など国民生活の全般にわたる警察行為を伴った。治安対策のために東京・京都・大阪で士族を中心とした取締組(*邏卒)を創設。当初は一揆や士族反乱に対する軍事的機能ももち,*自由民権運動の高揚をみると,集会,新聞,出版などの取り締まりや密偵活動に努めた。75年には<行政警察規則>に基づいて警察出張所を設置,巡査(邏卒からの改称,身分の変更)を採用し,全国的基準を設けて地方警察の整備を行なった。86年7月,地方官官制の公布に基づき警察として各府県内の各郡区に警察署1カ所を,88年には各町村に駐在所を設けた。ここに内務大臣―知事―警察本部―警察署―駐在所の治安警察体制が成立した。

 産業革命の進展とともに,都市民衆の騒擾,労・農・社会運動が始まる。政府に対抗するとみられた政党勢力は民衆統合の機能の一端を果たすようになった。社会主義運動に対しては,*大逆事件を契機に特別高等課が1911〜12年に東京・大阪に設けられた。かつての民権政党から社会主義政党対策へと政治警察の方向は転回した。

 1920年代に入ると,1925年(大正14)の治安維持法制定,28年(昭和3)の特別高等課の拡張,35年前後には警察精神作興運動が展開された。また,警察は民衆と政党との結びつきを恐れ,選挙粛正運動に関与したり,戦時下には産業報国運動,経済統制,防空・警防団活動など市民の生活にまで介入した。

 敗戦後,GHQによって秘密警察機関の廃止,特高警察関係者の罷免があったが,公安警察としての機能は継承された。そのなかで一定の民主化が立案され,47年12月警察法が公布され,人口5000人以上の市町村に自治体警察が,それ以外の村落地域には国家地方警察が設けられたが,自治体財政を圧迫,54年6月,中央集権化復活のなか都道府県警察に一本化された。国家公安委員会が警察庁長官,警視総監,道府県警察本部長,警視正以上の任免権をもつようになり,警察庁(中央官庁)が都道府県警察を指揮監督する体制となった。

〈被差別民と警察〉

 維新前の<えた・非人>身分の警刑役にみられるように身分的な役目として存在したが,明治5年(1872)の邏卒【らそつ】制度の成立とともに終わった。その後,1890年代の福岡,三重,奈良,京都,岡山,滋賀,和歌山,静岡などで展開をみる*部落改善事業に警官が指導者として参画,そのなかで生活指導(風俗改善,戸籍登録,奨学,納税,徴兵,生活改善,職業紹介)などを行なった。

 解放運動との関係では、大逆事件への部落民参加の誤認,*米騒動などの検挙があった。全国水平社の成立以降,糾弾闘争が展開するなかで<暴力行為等処罰ニ関スル法>(1926)で対処した。また,全水左派に対しては治安維持法(1925)を適用。一方,部落改善運動から融和運動への展開のなかで,その団体の幹部として運営にも参画した。

 警察官の関与した差別事件も多く,たとえば24年の滋賀長浜署,25年の下関署,26年の長野の*臼田署,30年の京都*宇治署,33年の大阪の三宅署,香川の*高松差別裁判,35年の岡山の総社署などがある。戦後では*松阪職安事件,55年の京都の五番町事件,57年の兵庫の徳本事件があり,なかでも63年の*狭山事件は警察による部落に対する偏見予断にもとづく見込み捜査が、この*冤罪事件を作り出したものと言え、現在でもその解決が迫られている。

→*治安立法、邏卒

参考文献

  • 大霞会『内務省史』全4巻(1970)
  • 山元一雄『日本警察史』(松華堂,1934)
  • 大日方純夫『天皇制警察と民衆』(日本評論社,1987)
  • 同『日本近代国家の成立と警察』(校倉書房,1992)
(秋定嘉和)

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Last-modified: 2015-12-03 (木) 21:09:39 (1417d)