黒人差別【こくじんさべつ】

[アメリカの黒人差別]

〈奴隷制度の時代(1619〜1865)〉

 アメリカ(合衆国)の黒人差別は,いうまでもなく奴隷制度にその端を発している。アメリカのような自由と平等を唱えるデモクラシーの近代国家が,19世紀半ば過ぎの南北戦争の時代まで大規模な奴隷制度を維持してきたことは,世界の歴史のなかでも異常としかいいようがない。

 北米のイギリス植民地は,アフリカから奴隷貿易によって連れてこられた黒人の奴隷労働を伴って発展した。約300年の間に約500万人の黒人が奴隷としてアフリカからアメリカへ連れてこられた。しかし独立革命(1775・〜83)の高揚期には自由への精神が広まって,比較的奴隷労働を必要としなかった北部諸州が,奴隷貿易や奴隷制度を廃止する方向に向かった。 これに対してタバコ,綿花,米,藍,砂糖などを大規模に栽培する農場経営形態の南部諸州では,独立後ますます多くの奴隷労働を必要とするようになり,奴隷が人口の半数を超えるような州もあった。

 これに対して黒人奴隷たちは逃亡や暴動などの手段に訴えて奴隷所有者に抵抗し,1830年代に入ると北部で奴隷制度反対の運動が組織された。また個人的に自由をかち得た黒人や北部への逃亡に成功した黒人たちは自由黒人free negroと呼ばれ,全黒人人口の10%を超える数になったが,参政権などはなく,白人と同じ権利を与えられたわけではなかった。しかしそのなかから,天文学者,詩人,舞台俳優などとして活躍する人たちも出てきた。

〈公民権獲得までの1世紀(1865〜1964)〉

 1863年の奴隷解放宣言【どれいかいほうせんげん】,65年の憲法修正13条(奴隷解放),68年の14条(黒人に対する公民権の保障),70年の15条(黒人に対する選挙権の保障)などによって,解放された黒人たちは白人と同じ権利を得たはずだった。事実70年前後には南部各州の州議会に黒人議員たちが登場した。しかし連邦軍の南部支配が終わると再び南部のホームルールが復活し,南部各州議会では黒人を生活のあらゆる面で差別する州法を次々に制定して,合衆国最高裁もこれを認めたのである。また一方ではクー・クラックス・クラン(K.K.K)など暴力的秘密結社による黒人へのリンチも多発した。

 黒人たちはその才能を開花させる突破口を,音楽や文学,演芸,スポーツなどの分野に見いだした。1920年代ニューヨークのハーレムを舞台に独自の黒人文化を発展させたのはその代表的な例である。しかしまだ当時のアメリカには白人中心の優越思想【ゆうえつしそう】White Supremacy,白人中心の人種主義White Racismが横溢していて,黒人の平等の権利はなかなか認められなかった。

 第2次大戦に参加した黒人将兵は戦争を通じて人間の平等を体感し,戦後1954年に最高裁で公立学校での人種別教育を違憲とする判決(ブラウン事件判決)が出されると公民権獲得の機運が高まり,55年暮れに起こったアラバマ州都モントゴメリーでのバスボイコット闘争から,全米を揺るがす公民権闘争【こうみんけんとうそう】へと発展した。これに対して南部白人保守層の反発は激しかったが,折からの米ソ冷戦のなかで,一方のリーダーである<民主主義の国>アメリカに醜い人種差別が存在することが全世界に報道され,次々に独立を果たしたアフリカ諸国などは敏感に反応し、世界の注目を浴びる問題になった。

 このなかで*キング牧師の唱える非暴力大衆直接行動Nonviolent Mass Direct Actionという闘争方針は圧倒的な支持を得て,63年8月にリベラルな白人層も参加して25万人のワシントン大行進を実現させた。その圧力のもとで,翌64年7月にかつてない強力な公民権法が成立した。

〈現代の黒人差別と人権問題(1964〜 )〉

 公民権法成立によってそれまで南部で行なわれていた白人専用White onlyと黒人用Coloredという隔離政策は撤廃された。また,同年キング牧師がノーベル平和賞を受賞したことは,黒人たちの公民権闘争が成功して世界の支持を受けたことを物語っていた。しかし、南部では依然として差別を合法化する州法が存在したり、また、南部と違って法律上の差別はなかった北部でも、現実には差別を受けていた都市スラムに住む黒人たちのフラストレーションが爆発して,毎年夏になると<Long and Hot Summer>といわれるほど人種暴動が続発した。キング牧師の非暴力に飽き足りない若い黒人たちはブラックパワーを叫んで過激な運動を展開した。

 60年代の激しさが過ぎ去ったあと,成果は確実に残った。まず黒人たちを中心に,アメリカ人全体の人種問題に対する人権感覚が変化した。60年代までは<American Negro>という表現が使われていたが,その後<Negro American>となり,さらに<Black American>,<Afro・American>となって,現在では<African American>(アフリカ系アメリカ人)という表現が定着している。まさに<Black Revolution>(黒人革命)と呼ばれるにふさわしいアメリカ全体の意識変革である。たとえば,それまで黒人が果たしてきた役割が無視されていたことへの反省から,黒人の歴史,文化などを中心として研究するBlack Studiesが各大学で採用され,他の少数派集団にも大きな影響を与えている。

 <White Racism>は今も根絶されてはいない。とくに教育水準の低い白人層にその傾向が強い。しかし各方面に黒人の進出はめざましく,最高裁判事,上下両院議員,閣僚,国連大使などの重要なポストにも選ばれるようになった。そのうえ今日のアメリカ社会は多(元)文化主義multiculturalismの方向に進みつつあり,それぞれ異質の人種・民族が持つ独自の文化を保ち,互いに尊重し合ってアメリカの多様性を発揮しようとしている。黒人が自分たちの人権を守るために闘った長年の道のりはいま,みごとな成果を上げ始めているのである。その一方で、ブラック・アンダークラスと呼ばれる黒人の貧困層は減るどころか逆に増えていて、黒人の中産階級化に伴い、黒人内部の二極分化が始まっている。さらに人口統計局によると、2005年前後にはヒスパニック系の人口が黒人を上回ると予測される。黒人は多元文化の方向に向かうアメリカ社会の中で、新しい役割を担うことになるだろう。

(猿谷 要)

[黒人差別と教育]

 アメリカでは,黒人に対する白人の人種差別意識に基づいて,黒人の青少年に教育機会の不平等を強い,白人優位の文化を注入してきた。これに抗して,黒人は教育機会の平等と偏見なき文化の教育を要求して闘い,教育権を拡大してきた。このような黒人差別教育とそれを克服する闘いが,アメリカ教育の大きな特徴をなす。

 黒人教育【こくじんきょういく】の歴史は3段階を踏む。第1期は奴隷制度のもと教育禁圧の時代。第2期は分離学校制度の時代で,1865年の奴隷制度廃止から1954年まで。<分離すれど平等>を教育方針とした。第3期は黒人と白人の共学の具体化の時代で,1954年の最高裁のブラウン判決以降今日へと至っている。判決は,<分離すれど平等>という方針を,黒人にとって差別教育であり,違憲とし,学校における人種統合を命じた。

 今日,共学完全実現をめざして,さまざまな試みがなされている。当初はバス通学制を導入して,各学校に共学を実施。また,*補償教育制度を発案し,文化を剥奪された子らに補充教育と財政援助を行なった。さらに,大学に特別枠を設け優先入学制を始めると同時に,黒人研究の部門を拡大した。近年は学校教育改革を志し,多文化カリキュラムを実践して白人優位の文化構造を打破し,生徒数に応じた有色人教師の増加を求めて教員構成の改革をはかっている。これに対し,一部の白人はバス通学や優先入学を*逆差別として提訴したり,子どもを私立学校に入学させたりして抗争を続けている。

(小沢有作)

[日本のなかの黒人差別]

 日本人は,個人としても,国としても,黒人との直接の交流の歴史をほとんどもっていない。しかし,日本人の多くは,幕藩体制崩壊から今日までの百数十年間に欧米文化を積極的に吸収する過程で,白人を中心とする人種差別主義をも無批判に摂取した結果,いつからか黒人に対する人種偏見を共有するようになった。日本の経済力の伸展に伴って活動の場が世界に広がるにつれ,日本人の黒人に対する人種偏見が表面化し,国内外でさまざまな黒人差別問題を引き起こすに至っている。

 この問題が注目されるようになるのは,日本の有力政治家による相次ぐ黒人差別発言や日本国内での多量の黒人差別商品の製造販売などに対して,厳しい国際批判と抗議を受けることになる1980年代以降のことである。戦後のアメリカからの急激かつ大量の文化流入を通して,とくに公民権運動以前のアメリカで強化された黒人差別の表現と態度が日本人に広く浸透し定着したが,そのことに気づいている日本人はいまだに少ない。

 日本人の黒人に対する人種偏見を端的に示しているものに,日本で製造販売された多数の黒人差別商品と漫画がある。日本人がつくり出し描く黒人像は,そのほとんどが,〕腓帽ミノ姿で,手にはヤリやオノを持っている〈野蛮人〉,▲献礇坤泪鷸僂離潺紂璽献轡礇鵝き0豸してボーイやメイドとわかる〈使用人(召使い)〉,い修梁召裡桓鑪爐妨造蕕譟ち澗里剖δ未垢詁団Г蓮き々人の容貌を,黒い丸顔にドングリ目玉で大きく誇張した厚い唇とする,欧米で確立された*ステレオタイプ化した黒人差別表現(サンボ表現)と同一であること,△修譴蕕法匚ん坊(クロンボ)〉〈土人〉〈サンボ(ちびくろサンボ)〉などと名づけていることである。これを見て,〈かわいい〉という日本人は多いが,このような表現と内容が,いかに黒人の尊厳と誇りを傷つけるものであるかについて,いま一度,人類の恥ずべき黒人差別の歴史に学ぶことが必要であろう。(有田利二)

参考文献

  • J.H.フランクリン『アメリカ黒人の歴史』(井出義夫他訳,研究社,1978)
  • B.クォールズ『アメリカ黒人の歴史』(明石紀雄他訳,明石書店,1994)
  • S.ターケル『人種問題』(田村博一他訳,晶文社,1995)
  • 本田創造『新版 アメリカ黒人の歴史』(岩波新書,1991)
  • 猿谷要『歴史物語 アフリカ系アメリカ人』(朝日選書,2000)
  • 黒崎勲『教育と不平等』(新曜社,1989)
  • アップル他編『デモクラティック・スクール』(長尾彰夫監修・沢田稔訳,アドバンテージサーバー,1996)
  • ジェームズ・A・バンクス『多文化教育』(平沢安政訳、サイマル出版社、1996)
  • 東郷茂彦『「Japan」クリッピング――ワシントン・ポストが書いた「日本」』(講談社インターナショナル、1996)
  • マイケル・ワシントン「人種問題に鈍感な日本人」・桑原泰枝「黒人差別をなくす会」(『ヒューマンライツ』54号,1992)
  • 有田利二「気づいていない差別」(『記録』186号,1996)
  • 同「日本人と黒人差別」(『飛礫』15号,1997)

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Last-modified: 2015-12-03 (木) 21:09:42 (1469d)