裁判【さいばん】

 部落差別の歴史と,部落解放の運動は,つねに裁判との対決を迫られてきた。裁判における差別の様相は,〆絞娘圓紡个垢襦糾弾が行なわれた場合に,差別者の差別の犯罪性が看過され,一方的に糾弾行動を犯罪視する類型と,部落民に対する差別意識が予断・*偏見となり,往々にして無実の人を起訴し,裁判官がこれを有罪とする類型がある。後者の類型には,*結婚差別にかかわる*高松差別裁判などのように,法を無視して犯罪とした事例さえある。

〈戦前〉

 1922年(大正11)に起こった水平社運動は,差別者に対する徹底的糾弾のかたちで展開した。この糾弾の行動は,つねに裁判の対象とされた。差別者の差別によって、時には部落民が死に追い込まれるような残忍な非人間性,犯罪性が看過され,これを糾弾した側の行動だけが一方的に取り上げられて,刑罰の対象とされたのである。部落解放運動の歴史はこうした差別裁判の歴史でもある。糾弾行動はつねに暴力行為,脅迫などの罪名で処罰された。その事例は枚挙にいとまがない。部落民に対する差別意識が予断・偏見となり,人権と法を無視した裁判,罪なき人を罪人とした裁判の極端な事例として,広島離婚裁判事件【ひろしまりこんさいばんじけん】,高松差別裁判事件,*福山結婚差別事件を挙げることができる。

 1902年(明治35)12月,広島地方裁判所は〈部落民でありながら,相手に之を告げないのは詐欺であるから離婚原因と認められる〉とした。すでに〈解放令〉が出され,自由・平等の理念のもとに近代法制を整備した時代における裁判とは考えられないが、当時はこれに対する批判も強い抗議も起こってない。さらに33年(昭和8)高松地方裁判所は香川県内の部落の青年と部落外の女性との自由結婚に対して,〈部落民でありながら,自己の身分をことさらに秘したのは結婚誘拐罪に当る〉という乱暴な差別裁判を行なった。これに対し,全国水平社,労働者,革新的な市民,在郷軍人を中心に激しい抗議がわき起こり、〈人間としての権利を認めるか,それとも兵役,納税の義務をやめるか〉と弾圧に屈せず全国的抗議運動が展開された。その結果,司法大臣,検事総長は裁判の不当を認め,高松地裁所長,高松警察署長の辞職,検事の左遷等の行政処分を行ない,被告人を仮釈放した。

 福山事件は、夫が部落出身者との理由で妻の親たちが仲を裂いたうえ,夫および結婚の世話をした2人を不法監禁,営利誘拐などで告訴したもの。検事は同様罪名で起訴,広島地裁福山支部は不法監禁を無罪としたが,結婚誘拐罪を有罪とした。広島高裁はこれを支持したが最高裁は弁論を開いて原審を破棄差し戻した。ここで公訴棄却となって,やっと救済された。この事件の起訴状は〈被告人方が俗に〇〇部落と世人より蔑視せられ,一般社会との交際疏遠である所謂特殊部落内の一家であるとの観念のもとに,尋常の手段方法では到底同女との結婚は至難であると思念し…〉虚言を用いて結婚したという露骨な差別文章で綴られている。部落差別を前提としなければ成立しないこうした結婚誘拐罪が,地裁・高裁でまかり通ったことは驚くべきである。この事件は54年に日本国憲法下で起こっている。高松事件で犯した誤りが裁判所で再び繰り返されていることは重大である。

 見落とせないのは,高松事件では裁判の誤りを認め,裁判関係者の前例のない行政処分,被告人の釈放という処置をとったが,有罪判決は取り消されていないことである。福山事件では,最高裁は告訴取消の点で審理不尽として破棄差戻し,差戻し審ではこれを受けて公訴棄却の判決をしている。部落差別を有罪の根拠にすることがいかに誤りであるかについての正面からの判断を避けていることが指摘される。

 いまなお日本の社会では,いわれなき部落差別が根強く残っている。人権擁護の府であるべき裁判所の裁判においても,なお差別の底流が払拭されていない。しかし,69年同和対策事業特別措置法の制定により,同和問題は国の責務であり,早期解決は国民的課題であると宣言された。このことは公正な裁判への警鐘とならねばならない。75年大阪地方裁判所は*矢田教育差別事件で〈糾弾は限度を越えない限り正当と認められる〉として2人の被告人に無罪の判決を下した。無批判に糾弾を広く犯罪としがちであった裁判に,差別される者の立場に理解を示した画期的な判例である。裁判にも正しい理性が取り戻されねばならない。

*冤罪*糾弾権

(和島岩吉)

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Last-modified: 2015-12-03 (木) 21:09:42 (1358d)