阪神・淡路大震災【はんしんあわじだいしんさい】

 1995年(平成7)1月17日午前5時46分,兵庫県の淡路島北部を震源地とした,マグニチュード7.2の地震。兵庫県南部地震と呼ばれている。震度1以上は鹿児島から北陸・関東の広い地域にまたがり,兵庫県の阪神地域,淡路島,大阪府の一部に大きな被害が出た。兵庫県内だけで,死亡者は6000人を超え,40万以上もの世帯が全・半壊の被害にあった。被害のもっとも大きい神戸市では,死亡者が4512人,全壊6万7421棟,半壊5万5145棟,火災発生による全・半焼は7048棟である。そのほかに,水道・ガス・電気等の生活関連設備,道路・高速道路・鉄道等のライフラインに大きな被害が出た。避難状況は,ピーク時で,避難所599カ所,避難所就寝者は22万2127人に及ぶ(神戸市『平成7年兵庫県南部地震 神戸市災害対策本部民生部の記録』1996.1.19)。都市型災害の典型的なケースとして,地震発生時の被害状況から,都市政策,防災対策等の検討が行なわれつつあるが,地震発生以後の災害対策,復興政策の問題点も指摘されている。

(日野謙一)

[部落と震災]

〈部落の被害と特徴〉

#ref(): File not found: "hanshin_awaji_daishinsai.jpg" at page "*阪神・淡路大震災"

 部落の被害状況は,部落解放同盟兵庫県連の調べで,神戸,西宮,芦屋,尼崎,川西,伊丹,宝塚,明石の8市と淡路島9町,計44地区に及び(1995.3.27現在),死亡者189人,全壊・半壊家屋が7060戸となっている(図表)。しかし,この被害状況については,まだ確定したものではない。各部落の被害については,活断層との位置関係,そして宝塚市の米谷のように,河川の合流地点周辺の新築住宅が地面にめり込むなど,地質との関係なども影響する。それだけではない。震災で部落の被害を大きくした主要因として,住環境整備の整備方法と整備状況を指摘することができる。すなわち、|篭莢良事業の実施範囲が狭いために,同和地区内の事業指定範囲外個所の老巧・不良住宅が倒壊した。神戸市長田区の番町地区では,全半壊家屋は約1400戸,これは地区内世帯の60%にあたる。長田区全体の全半壊家屋28%と比べると,大きな差がある。番町で被害を大きくしたのは,住宅地区改良事業の指定範囲が狭く,事業指定外の老巧・不良住宅が倒壊したことにある。同和地区内の高層改良住宅は5棟全壊。そのうち1棟は1階が脱落し,3人が死亡した。それ以外に,地区改良事業範囲内で,事業の進ちょくの遅れによって,不良住宅が放置されたままになっていた個所も被害を受けている。このケースの被害は,番町以外に,住吉・南須磨(神戸市),芦原(西宮市)などがある。∋業の着手や進ちょくが遅れたため,大きな被害となった。神戸市灘区の都賀では,全半壊家屋約510戸で,同和地区内の90%にあたる。灘区全体の全半壊家屋39.9%からすると,極端な被害状況である。小集落地区改良事業が1棟44戸のみしか実施されていず,住環境整備にほとんど手がつけられていなかった。 資金貸付と地方改善事業による方法の場合,この整備形態では,低所得層の世帯は改善できないまま取り残されることになる。淡路島の部落が主にこのケースに該当する。

 年齢別死亡者を被害の大きかった神戸市の番町,都賀,西宮市の芦原の場合で見ると,〈70歳以上〉がもっとも多い。とくに都賀では死亡者59人中25人(42.4%)を占め,〈60歳以上〉を含めると、全体の57.5%となる。このように、震災は高齢者に大きな被害を与えた。その理由は,全壊した住宅のうち長屋建,共同低層の被災率(全壊長屋建数を長屋建総数で除したもの)が,他の所有形態に比べて高かったことからもわかるように,震災は低所得層の集住地域に大きな被害を与えたからである。

 その他の被害として、震災は住宅だけでなく産業関連施設にも大きな被害を与え,大量の失業者を出した。とくに,神戸市長田区のケミカルシューズ関連施設の被害は,部落住民の仕事と生活に大きな影響を与えている。

〈災害対策と避難生活〉

 政府の緊急災害対策が〈7日間〉に設定されていたため,震災当初の避難所には,生活のための設備や備蓄がなかった。避難所では,救援物資が不足し,〈未公認〉の小規模施設や公園などの避難者には救援物資の届かなかったところが多くあった。同和地区内の施設は部落内・外住民が避難し利用するところとなった。解放同盟の各府県連による救援活動や物資の援助は,避難している部落内・外住民の助けとなった。

 避難生活については,災害救助法の打ち切りによる避難所の閉鎖と移動強制,仮設住宅の諸問題〈仮設住宅については,間借り同居者を応募資格から除外,建設戸数不足,建設立地と居住空間,設備仕様,プライバシー,周囲の生活関連施設の不足,分散入居方式〉などの居住権の問題,生活関連支援事業や施策が被災者の実情に合わないなどの問題が指摘されている。とくに,仮設住宅・復興住宅の建設計画に,震災前の地域コミュニティを重視するという考え方が取り入れられなかったことは,被害の大きかった部落コミュニティの解体を引き起こしている。

〈復興の課題〉

 |楼茱灰潺絅縫謄の確保は,生活と人権の基本的課題である。震災前のコミュニティを確保しうる復興計画や住環境整備の計画策定が求められる。∋纏,教育,福祉等について,多くの課題がある。とくに,子ども,女性,高齢者,障害者,在日外国人などの問題は深刻である。復興計画は,人権が守られる新たな街を創造するという視点をもった総合的な計画が必要である。今回の震災は,開発優先の都市政策から取り残された社会層に被害が集中した。部落の場合,その点がより深刻に現れている。被災地部落の被災状況(活断層,地質・形を含む)を検討したうえで,他地域の同和対策事業の点検が必要である。

(日野謙一)

[障害者と震災]

〈直接被害〉

 兵庫県によると,阪神大震災による障害者の死亡者数は,身体障害者211人,知的障害者15人となっている(1995.8.31現在)。この数字は,身体障害者手帳および療育手帳所持者に限定されたものであり,独自の調査によるものではない。また精神障害者に関しては,当時は手帳制度がなかったため,実態すら明らかになっていない。震災直後,法定施設に措置された障害者については,その安否確認,被災実態把握,救援対策は行なわれたが,地域で自立あるいは在宅の障害者については,まったく放置されていた。これは,災害救助法での対応,また自治体での防災マニュアルにおいて,地域の障害者の存在が無視されていたためである。

 障害者施設の被災地での被害状況については,法定施設の全半壊(焼)が62カ所のうち1カ所(1.6%)であったのに対して,法定外施設といわれている小規模作業所の全半壊(焼)は、107カ所のうち37カ所(35.9%)と大きな差を生じた(兵庫県社会福祉協議会調べ)。その理由として,施設対策を重視する半面,地域での福祉施策や自主的な地域活動を十分支援してこなかった政府や自治体の責任が挙げられる。

〈被災後の問題〉

 震災後の最初の避難場所については,親戚や友人・知人宅の場合が身体障害者で17.2%,知的障害者で13.8%となっており,これは学校や公民館などの避難所と比較して1%少ないだけとなっている。また、避難所から約40%の人が親戚や友人・知人宅に移動している。このことは、避難所に段差があったり利用できるトイレがないこと、また、体温調整が困難だったり、酸素吸入器など機器の必要な人をはじめ、情報を受け取ることができなかったなど、障害者が避難所で生活することが困難だったことを示している。避難所の生活が非常に困難だったという人が身体障害者で23.1%,知的障害者で25.3%ある。〈周囲の人への気がねなどのため居づらくなった〉という人が、身体障害者で3.3%,知的障害者で5.1%という数字が出ており、これは設備や備品など物質的理由による排除ではなく、差別意識に基づく排除と思われる。

 震災から2年たって震災前と比較すると,地域社会とのかかわりで〈顔もよく知らない人がほとんど〉と答えた身体障害者が12.8%から14.7%に,知的障害者では21.5%から27.9%といずれも増えている。通常の市民ではこの項目は5.2%といわれ,震災前も大きな差があったが、震災後はいっそう拡大している。震災前から障害者はコミュニティから排除されていたが、震災後に仮設住宅・復興住宅へと生活の環境が変化したことによって、いっそうコミュニティを失ってきていることが示されている。(神戸市市民福祉調査委員会『心身障害者生活実態調査報告』1998.12)

(大賀重太郎)

[高齢者と震災]

 家屋の倒壊や火災などの1次災害による死者5502人のうち33%が70歳以上、53%が60歳以上の高齢者である。さらに、震災後の避難所や損壊家屋で肺炎などの健康悪化による2次災害として、多数の震災関連死者がでた。この震災関連死者のうち、60歳以上の者が9割を占めている。

 このような1次災害で高齢者が大多数を占めた理由としては、“鏗欧梁腓かった海岸沿いの平野部が旧市街地の下町であり、高齢化率が20%前後と高率であったこと、高齢者の多くは老朽家屋に居住していたこと、F欝鏖搬欧任蓮高齢者が虚弱な場合は、移動しやすいように1階で居住していたことが挙げられる。また、神戸市における生活保護受給者の死亡率が1.24%と、神戸市全体(0.25%)の約5倍に達しており、さらに、生活受給者のうち44%は高齢者世帯で占められている(1997年度)。その結果、高齢者の多くは、アパート等の居住水準の良くない家屋に住み、そこに被害が集中したといえる。

 こうした高齢者や生活保護受給者が被害の中心であったことは、平常時での低い居住水準がこうした莫大な死傷者につながっているといえる。震災に強いまちづくりのためには、高齢者を中心とした住民の居住水準を高めることが重要である。さらに、震災時に、神戸市長田区真野地区のようなコミュニティ活動が活発に行なわれていた地域では、地域住民総出で被害者の救出活動にあたったことから、地域住民によるコミュニティづくりがリスク管理には欠かせないことであることも明らかになった。一方、2次災害での犠牲者の多くが高齢者であったことは、リスク管理として、避難所内での健康管理のためには、地域の医療関係者との密接な連携や、被災地外の救急病院との連絡体制の必要性が示された。また、食糧の確保や被災者の健康維持に、被災地外からのボランティアが大きく貢献したが、こうしたボランティアはリスク管理上欠かせない存在であった。

(白澤政和)

[在日韓国・朝鮮人と震災]

〈問われた日本の歴史〉

 兵庫県内の災害救助法指定自治体10市10町の震災直前における韓国・朝鮮籍者の人口は,5万5913人。震災による被害の大きかった阪神間は,日本でも有数の在日韓国・朝鮮人の多住地域であった。在日韓国・朝鮮人の阪神間居住の歴史は鉄道の敷設に始まり,その後の戦時体制下の重工業への就労,ゴム靴(のちのケミカルシューズ)製造,阪神間の開発に伴う土木・建設従事者の増加などいくつかの要因が挙げられるが,この地域が持っていた神戸の居留地の歴史も含めた国際化の歴史も要因の一つと考えられる。

 今回の地震による外国人死亡者数は,1995年(平成7)5月11日時点での県警発表では174人,そのうち在日韓国・朝鮮人は112人となっている。この数字を日本人と比較すると,死亡率で1.3倍以上になる。犠牲者数をみても,今回の地震が在日韓国・朝鮮人に与えた被害が甚大であったことがわかる。在日韓国・朝鮮人の死亡率が高い原因としては,在日の多住地域(神戸市長田区など)がとくにひどい被害地域になったことや、長年公営住宅の入居にあたって国籍条項があったため低所得者層が安全な住宅に住めなかったことが原因として挙げられる。

 在日韓国・朝鮮人問題の深刻さは、数字とは別に地震発生後の死亡確認作業において生死確認が困難をきわめたことにも表れている。その原因はつきつめていくと植民地時代に起源を持つ通称名使用に帰結する。差別を避けるために続けられてきた通称名が在日韓国・朝鮮人の安否情報を遅らせたことは,日本社会が過去を清算できずにきたことを象徴している。

〈在日韓国・朝鮮人の抱える課題〉

 震災後,在日韓国・朝鮮人が抱える問題を考えるとき,従前の制度の問題を抜きにして実態はみえてこない。たとえば国民年金の場合,定住外国人の加入が認められたのは82年(昭和57)と遅かったため,在日韓国・朝鮮人の高齢者は,年金に加入したくてもできない状態が現在も続いている。そのため外国人住民の大半が国民年金に加入していない。今回の地震において重度障害者になったとしても,在日韓国・朝鮮人の大半は障害年金を受けることができない。また生活困窮による生活保護の受給についても外国人は権利としてではなく恩恵による受給とされているため,認定に対して異議を申し立てることもできない。このように従前からの国籍による差別は,震災による被害に輪をかけるものであり,在日韓国・朝鮮人の被災者をより過酷な状況に追いやっている。

 在日韓国・朝鮮人にとって被災地域で最大の就労先はケミカルシューズ産業だった。しかし,日本ケミカルシューズ工業組合によると関連メーカー450社のうち85%が全壊または焼失し,96年時点で90%以上が操業を再開したといわれるが生産量は震災前の60%にも満たない状況にある。その結果,在日韓国・朝鮮人の雇用も減り,就労したとしても実質賃金は下がっている。新たな仕事を探すにしても,公務員の国籍条項に代表される日本社会の閉鎖性,外国人排除の壁があり,差別によって就職できない現実がある。

 復興政策に対して当事者の声を反映させようにも参政権も保障されておらず,復興に向けて大きな課題である神戸空港の建設に対しても,意見を表明することもできない。このような厳しい現実は一朝一夕で変わるものではないが,震災後生まれた助け合いの精神は少しずつではあるが広がっている。避難所や民族学校での国籍を超えた助け合いの精神は,8言語の放送局である<FMわぃわぃ>の誕生,神戸定住外国人支援センターや外国人救援ネットに代表される外国人支援活動の発足,神戸市長田区の街づくりに際して在日韓国・朝鮮人や在日ベトナム人など外国人の持つアジアの文化を生かした<アジアタウン構想>が生まれるなど,未来に向けた活動も生まれている。

(金 宣吉)

参考文献

  • 兵庫部落解放研究所編『記録 阪神・淡路大震災と被差別部落』(解放出版社,1996)
  • 阪神大震災被災調査委員会編『天地砕けたれど人として生きる――震災下における被差別民衆の生き抜くことの記録』(神戸地区県立学校同和教育研究協議会,1995)
  • 熊野勝之編著『奪われた「居住の権利」――阪神大震災と国際人権規約』(エピック,1997)
  • 岩崎信彦他編『阪神・淡路大震災の社会学』全3巻(昭和堂,1999)

トップ   差分 リロード   一覧 単語検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS
Last-modified: 2015-12-03 (木) 21:09:43 (1469d)