山形県【やまがたけん】

 東日本部落解放研究所の調査(1991)によると,県内に13部落が確認されている。このうち県内最大の部落のある米沢市では200戸を数える。そのほか,酒田,鶴岡が50戸,小国が40戸で,あとは上の山など10戸以下の少数点在であり,とくに最上川流域の農村地区には1-2戸の〈バンタ〉と呼ばれる人々が点在するといわれる。今後の調査の進展によっては,さらに地区数が増えるものとみられている。

 米沢では江戸時代初期の元禄8年(1695)に〈河原之者諸修行〉と書かれ人口が385人だったことがわかっている。皮細工や警備役などが主な仕事だった。酒田では文政1年(1818)に長吏(穢多身分)30戸,浜乞食小屋(非人身分)25戸が記される。鶴岡では享保16年(1731)に〈穢多町牢屋〉が記されており,地区内に牢屋があり,牢番をはじめ警備役を担っていたことがわかる。明治維新当時18戸だったとされる。鶴岡にはほかに大山地域に10戸の部落がある。庄内地方にあたる酒田,鶴岡,大山の部落では共通して正月の門付芸の春日打を行なっていた。大黒舞なども行なった。

 1990年(平成2)に部落呼称変更差別事件【ぶらくこしょうへんこうさべつじけん】が起きた。92年に開かれる〈べにばな国体〉を前に,農村を表す言葉としての〈部落〉という呼称を〈地区〉に変えようとしたものである。その理由は〈部落は場所によっては嫌われている〉というもので,庄内地方の5町村で議会決議が行なわれた。部落解放同盟はこの変更理由は差別だとして糾弾した。米沢市では70年(昭和45)に同和対策事業特別措置法を利用して部落の住環境の改良を行なった。しかし地区住民には知らされず,改良した市営住宅には一般市民を居住させ,土地を提供した地区住民は明らかに質の悪い住宅に移住させられた。このような差別行政を行ないながら,県行政は〈部落はない,差別はない〉との言い逃れを続けている。

参考文献

  • 原田伴彦・田中喜男編『東北・北越被差別部落史研究』(明石書店,1981)
  • 成沢栄寿「東北」(部落問題研究所編『部落の歴史・東日本篇』、1983)
  • 藤沢靖介「東北地方の被差別部落」(『解放研究』5号,1992)
(川元祥一)

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Last-modified: 2015-12-03 (木) 21:09:43 (1411d)