山谷【さんや】

 東京都の台東区と荒川区にまたがる,早朝に*寄せ場(青空労働市場)となる泪【なみだ】橋【ばし】交差点付近を中心とした簡易宿泊所(ドヤ)街。建設・土木関連の一大日雇い労働市場で,大阪・*釜ヶ崎,横浜・*寿町とともに日本の3大寄せ場の一つ。労働者たちは,寄せ場,玉姫労働出張所(玉姫職安),山谷労働センター,あるいは〈つて〉や新聞求人などを通じて労働現場へと向かう。長期の飯場仕事に出向く人も多く,また住民票をこの地域においていない人も多いため,山谷の寄せ場労働者の総数は明確ではないが,周辺の木賃アパートに居住する人も含め8000人とも1万人とも言われる。ただし,1970年代以降求人は減少しており,バブル経済の崩壊が追い打ちともなって,ある者は寄せ場から離れ各地の飯場へ,またある者は野宿生活へと拡散し,人口も減少傾向にある。職安利用者は約5000人で,簡易宿泊所【かんいしゅくはくしょ】の宿泊者は約6000人程度とみられる。高齢化は著しく,生活保護受給者の増加も目立っており,1997年(平成9)現在、簡易宿泊所の宿泊者のうち半数強は生活保護受給者である。

 山谷は,戦前は木賃宿街として知られていたが,東京大空襲によっていったん焼け野原となる。そして,敗戦後,東京都によって狩り込まれた上野公園の戦災〈浮浪者〉たちを収容する天幕ホテル街として再出発する。高度成長期とりわけオリンピック景気の際に、寄せ場としての山谷は急速に膨張,63年(昭和38)には簡易宿泊所宿泊者数は1万5000人にも達した。また,60年代には暴動も頻発し,治安維持目的で山谷に眼を光らせる警察の差別的処遇への労働者の怒りが爆発する。60年代後半から70年代前半にかけて,夫婦や子どものいる世帯については都営住宅の割り当てが優先的に行なわれ,簡易宿泊所から女性や子どもが姿を消す。逆にいえば,山谷は,単身男性の街へと純化され,放置されたのである。

 寄せ場の労働者の生活は不安定で,けが,病気,失業は容易に彼らを野宿者にさせる。昨今の山谷における求人の減少と簡易宿泊所の高級化(ビジネスホテル化)は,上野や隅田川公園の*野宿者の増加と直接関連している。他の寄せ場と同様,山谷の労働者は社会的に蔑視されており,生活保護,中高年の就労対策,住宅政策をはじめとする行政の処遇もおろそかにされてきた。この面での改善がなされない限り,山谷は野宿者の供給源であり続けるだろう。簡易宿泊所の経営者が外国人に対して排他的であるため,他の寄せ場と比べて新来の外国人が少ないことも特徴である。これによっても,寄せ場としての山谷の先細り傾向が促されている。

参考文献

  • 西澤晃彦『隠蔽された外部――都市下層のエスノグラフィー』(彩流社、1995)
(西澤晃彦)

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Last-modified: 2015-12-03 (木) 21:09:43 (1300d)