山梨県【やまなしけん】

[現状]

 1993年(平成5)の総務庁〈同和地区実態把握等調査〉によると、6市町村に6地区、94世帯293人で、混住化が進んでいる。35年(昭和10)調査では23地区,戸数341,人口1864人、68年には5地区700人となっているが実際には50カ所近い部落がある。立地条件は甲州街道,佐久街道,鎌倉街道などの主要街道沿いにあり,河川敷に立地する部落も多い。県内全体にいえることは,都市,農村を問わず日当たりが悪く,傾斜地に位置していることで、道路は狭く消防車の入れない所や下排水設備のない所が多く、課題は山積している。耕地面積は平均5反(約50a)ほどで,専業農家はごくわずかしかない。山梨といえばぶどう栽培が有名だが,部落とは無縁な産業である。青年を中心に東京へ出ていく傾向にあり,部落の中に青年の姿はほとんどみられない。山林不況を受けて失業率も高い。結婚は依然として部落内同士が主流で,東京に出た青年を中心にわずかながら部落外婚がみられるようになった。

[融和運動]

 融和団体である山梨県共愛会【やまなしけんきょうあいかい】が1926年(大正15)12月10日創立され,会長には県学務部長が就任。発会式は翌27年(昭和2)7月甲府市舞鶴公園機山館で開かれた。28年5月,県知事は内務大臣訓令に基づいて市町村役場,警察署,県立中学校,市町村立小学校,実業補習学校などへ融和促進に関して訓令を発した。水平社運動が全県的に燃え広がらなかったこともあり,融和運動もこれといった特色を打ち出すところまでいかなかった。37年には水平社の拠点であった北巨摩郡に共愛会青年連盟【きょうあいかいせいねんれんめい】が創立されたほか,谷村町,小笠原町,上手村,若神子村などに融和促進実行会が組織されていた。*融和教育の分野では,41年に県融和教育研究会が県学務部長を会長にして発足した。戦争中も差別事件は絶えず,青年団役員選挙や恩賜林保護組合選挙などで起きている。県内の部落は農地をほとんど持たなかったため,共同開懇事業を各地で行なった。

[解放運動]

 1925年(大正14)5月4日,北巨摩郡上手村で県水平社【やまんしけんすいへいしゃ】創立大会が開かれた。大会には静岡県水平社委員長の*小山紋太郎,杉浦繁尾【すぎうらしげお】の応援があった。地元の活動家としては清水義憲【しみずよしのり】,沓川太郎【くつかわたろう】,山本保則【やまもとやすのり】,山本久次郎【やまもときゅうじろう】らが参加した。創立された県水平社は差別糾弾闘争や農会の発展のために取り組んだ。また消防組【しょうぼうぐみ】の差別撤廃にも努力した。昭和恐慌下には一時,運動が停滞したが37年(昭和12)5月,*松本治一郎を迎え全山梨部落民大会を開催し,部落勤労農民の生活権を取り戻す闘いを繰り広げた。戦後の48年,部落解放青年連合会が新井春重【あらいはるしげ】らを中心に組織されたが,全県内に影響力を及ぼせなかった。明野村を中心に部落解放同盟組織の再建をはかっている。71年には解放同盟県連として県当局に同和行政の現状についてただした。

(大石 義)

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Last-modified: 2015-12-03 (木) 21:09:43 (1469d)