滋賀県【しがけん】

[現状]

 1993年(平成5)総務庁調査によれば、同和地区数64、同和関係世帯数1万1235、同人口3万5277、混住率87.1%である。1887年(明治20)の県調査では69部落となっている。

 滋賀県の部落には,徳川治政下につくられ,その遺制として現在も差別を受けている部落だけでなく,明治維新後新しく成立した部落や第2次大戦後発生した部落,さらに同和対策事業の過程で拡大した〈同和地区〉も現れている。また1部落の世帯数は,数世帯から1000世帯を超える大部落まであり,湖東には全人口のうち同和地区人口が50%以上を占める自治体もある。

 69年*同和対策事業特別措置法の施行以来,同和地区指定を受けて同対事業が積極的に行なわれた地区では,劣悪をきわめた住環境はほとんど改善された。また,地区内には隣保館,教育集会所をはじめさまざまな施設整備が進み,周辺地域との交流や人権学習が急速に進んでいる。一方,地区指定を受けていない〈未指定地区〉では事業のらち外に置かれ,今日もなお劣悪な住環境のなかにあえいでいる。

 皮革・食肉など伝統的部落産業は,衰退の一途をたどっている。企業連活動を通して太鼓皮張替,製靴,履物,食肉等,産業の活性化をはかることは、部落の芸能や生活文化を伝承するためにも非常に重要である。地区内に新しく根づいた建設業関係業種(土木建築工事,電気工事,塗装工事,管工事,運送業等)は,すでに地区内の基幹産業となっている。近年の慢性的不況は,基幹産業の倒産を招き,受け皿を失った建設業関係労働者(とくに中高齢者が多い)に対する早急な雇用安定対策が求められている。

 教育分野では,依然として低学力,非行問題は克服しきれていない。しかし,数%の格差はあるが高校進学率の向上,さらには大学や専門学校への進学者の増加は,部落解放への期待を抱かせる。一方差別落書きや職場内差別など頻繁に報告される差別事件は,被差別部落の生活実態が改善されただけでは,部落差別の鎖は断ち切れない事実を示している。教育啓発,人権救済の遅れは否めない。

(山田竹春)

[前近代]

 近江は京都・奈良に近く、比叡山延暦寺、三井寺(園城寺)、多賀大社、大原観音寺など有力な社寺も多い。これに関連して史料・記録に*河原者、*宿、*散所などの呼称で被差別民の存在が記されている。絵画資料でも、一遍上人絵伝には大津の関寺における踊り念仏の場面で、寺門外に群居する*乞食の姿が描きこまれていることは著名である。また、近江甲賀において戦国期に武士団の連合体としての〈甲賀郡中惣〉が成立しており、その下に〈甲賀郡中惣かわた〉という、かわた身分の組織も存在していたことがあった。

 江戸期に入ると、*『諸式留帳』の記録により、二条城掃除役、牢屋敷外番役とも〈江州十三ヶ村〉が人足役を負担しており、京都の天部・六条村の配下にあったことがわかる。ただし、この時期には近江国内のかわた村の数は13よりもかなり多く、〈江州十三ヶ村〉は一部にとどまるものであった。もともと近江の東北部を領国化していた彦根藩では頭村があり、ある種の統轄組織が存在していたが、実態の解明は十分なされていない。近世の近江は、彦根藩と膳所藩以外はまとまった支配領域が存在しておらず、横のつながりについては今後の課題である。

 仕事としては皮革業、農業に従事したほかに、膳所藩や大津では公役として警刑吏役にかかわったこともわかっている。皮革業のうち太鼓皮づくりの盛んであったことは、随筆『世事見聞録』に、かわた富豪の例として、大坂の*渡辺村とならび愛知郡山川原の者が挙げられており、相当に名を知られた存在であったことからも、裏付けられる。

 近江の部落史を特色づけることとして彦根藩における食肉生産が挙げられる。彦根藩は味噌漬の牛肉を薬効高い珍品として将軍家や雄藩に献納していたが、その生産には藩の指示のもとに領内のかわた村があたっていた。維新後、東京、横浜方面の牛肉関連産業に近江出身者が目立つのも、このことと無縁ではないだろう。なお、近江の非人は、京都悲田院配下にあり、地域ごとにおかれた小頭を通じて支配が行なわれたが、大津、膳所、水口、彦根の城下・藩領ではそれぞれ頭による独自の支配が行なわれていた。

(亀岡哲也)

[近代]

 滋賀県内では*〈解放令〉反対一揆は知られていないものの、湖西坂本の部落では本村から*〈解放令〉の伝達が行なわれなかったところがあり、部落からの抗議によってしぶしぶ認めるという事例があった。近世において独立村ではなく枝村とされていた部落が本村から分村独立しようという動きがさかんであった。町村制の実施を控えた1887年(明治20)になると、郡役所と町村役場を介した県域の状況調査が行なわれた。この調査では沿革、規模、経済状態、周辺地域との交際の様子などが記述されており、いくつかの部落では松方デフレ後の厳しい窮乏状況にあることがわかる。*米騒動については、滋賀県ではそれほど激しいものではなかったが、大津市や湖東の中心である蒲生郡八幡町に隣接する宇津呂村等では、米の廉売要求が高まり騒動化し、一部には検挙者も出ている。

(亀岡哲也)

[水平運動と融和運動]

 全国水平社初代委員長・*南梅吉は,十産部落(現近江八幡市)出身で,時の県知事堀田義三郎は〈滋賀の地に水平社は一歩たりとも入らせぬ〉と豪語し,県警と連携のもと*大日本国粋会を利用して水平社と対峙させる一方,わずかに融和対策を講じた。知事の執拗な水平社弾圧と部落ボスへの懐柔策が功を奏し,滋賀での水平運動は低調だった。それでも創立大会には宝ノ木部落から数人が参加。1924年(大正12)4月,同村にて県内初の支部が結成され,35年(昭和10)までに5支部が結成されている。

 滋賀の水平運動史上最大の事件は1932年の〈愛知川警察署差別事件【えちがわしょけいさつさべつじけん】〉であろう。大町部落(現豊郷町)の屑買い村田某が,稲枝村金田の寺院境内で昼食をとっていたとき,寺前農家の老婆が〈庭に干した錦紗の着物が紛失した〉と騒ぎたてた。事実は若嫁が取り入れてあったのだが,村田某が盗んだものと決めつけ駐在巡査に訴え出る。巡査は調べもせず村田某を逮捕し,愛知川署に拘置。老婆の申し出によってすぐに誤認逮捕と判明するが巡査はこれを報告せず,村田某は愛知川署において2日間にわたって拷問を受けるが屈せず,最後まで否認を通した。水平社3つ池支部の藤本晃丸が中心となり県下活動家数人と地元有志連とともに糾弾闘争を開始。愛知川署は全員を逮捕し,県下各地の警察署に分散留置してしまう。大町部落の婦人たちはこの事実を全水本部へ急報。全水幹部数人が現地に乗り込み,1.逮捕者全員の即時釈放,2.村田某の治療費および見舞金の支払い,3.署長および暴行警官の罷免を要求し糾弾闘争を展開する。大町部落の人々は,警察の弾圧を恐れてだれ1人参加する者はなかった。後日談はあるが,数回にわたる闘いによって水平社の要求はすべて受け入れられ,全面勝利をかちとったのである。このほか,いくつかの糾弾闘争に取り組むことになるが,滋賀の水平運動は概して散発的,個人的な域を脱しきれず,第2次大戦突入とともに完全に消滅してしまう。

(山田竹春)

[戦後の解放運動]

 1946年(昭和21)2月19日,部落解放全国委員会が発足。間もなく滋賀においても中村治三郎【なかむらじさぶろう】の檄によって県内各地より10数人が結集。東京から参加した吉田善五郎を代表に選出し,戦後の解放運動が始動した。県内各部落に解放運動にたちあがるよう呼びかけるきっかけとして吉田を衆議院選挙に立候補させる。落選するものの所期の目的を達成。47年8月,彦根東小学校において滋賀民主同盟を結成。〈民同〉は,敷紡差別事件(労務課長による部落の人間の排除発言)をはじめ数件の糾弾闘争に取り組む。

 49年彦根東小学校において解放委滋賀県連結成大会を開催,中央本部からは*松本治一郎委員長ら3人が出席,100人余の同志が結集し,熱気あふれる討議のなか,中村治三郎を委員長,*朝野温知を書記長に選出し,新たな第一歩を踏み出す。

 55年正式に部落解放同盟滋賀県連と名称変更。4月,委員長となった上田一夫は社会党から県議選に出馬し,当選を果たす。上田は県議会始まって以来初の部落問題に関する質問を行なった。*オール・ロマンス事件以降の全国的な行政闘争を学んだ上田は,糾弾闘争から行政闘争への質的転換を求めていく。

 57年1月,呉竹隣保館で開催した第11回県連大会は,画期的な意味をもっている。運動方針には1.県連執行部の確立,2.自主財政の確立,3.各部落での支部結成,4.活動家の育成,5.民主団体,労働団体との連携を明確に示し,部落だけがよくなったらよいという部落特権主義に陥ってはならないと締めくくっている。以後滋賀における解放運動は,本方針を基調として積み上げられていく。

 61年9月,〈部落解放要求貫徹全国大行進〉が組織され,滋賀の部落大衆は,行進隊の粛々とした行動の中に,統一と団結の力を初めて学んだ。9月末2日間にわたって行進隊の指導のもと対県交渉を闘い,民生部長は〈これまでの対部落行政は差別行政だった〉ことを認め,〈今後は部落解放行政を確立する〉と確約する。〈同対審答申完全実施,特別措置法制定要求〉の闘いが結実し,ついに69年7月,同対法が制定施行される。72年8-10月を部落解放県民運動月間と位置づけ〈同対審答申即時具体化,同対法即時実施〉をスローガンに県内行動隊を組織。すでに全国行進隊から多く戦術戦略を学んだ行動隊は,3カ月間にわたる各市町村行政交渉および県交渉を闘いぬく。これを機に県および市町村の同和対策予算は飛躍的に増額されることとなる。また,初めて文書回答を引き出し,確約事項は必ず実行させる強力な県連執行部体制が確立したのもこのころである。

 74年の第28回県連大会は,*八鹿高校差別教育事件の解釈をめぐり大論争となるが〈互いの思想信条を尊重し合い,部落解放で一致,組織の統一と団結を守る〉ことで意思統一をはかる。さらに81年の第34回県連大会では〈政党支持,政治活動の自由を保障し合い,民主的な組織運営のもと部落ぐるみ,地域ぐるみの運動を展開する〉ことを確認し合う。これらは〈滋賀路線〉と呼ばれた。85年部落解放基本法制定に向けた県内網の目行動を宮田新太郎(日共)書記長を中心に展開。大津湖西隊と湖東隊の2隊は6日間の要請行動を終え,川久保地区で合流し,宮田書記長ともども〈基本法制定のために今後とも頑張ろう〉と意思統一をはかる。だが前書記長飯田富一(日共)らは突然〈基本法反対の意見書〉を発表。間髪を入れず当時県連事務局に働いていた日共系専従職員全員(数人)を引き上げてしまう。〈滋賀路線〉を確立し,〈滋賀には,同和会も全解連もない部落解放のただ一点で一致団結しよう〉と主張してきた人たちが組織破壊の暴挙に出た背景に党利党略が働いていたことを見逃してはならない。壊滅的な打撃を受けた県連事務局は,新しい事務局員を迎えて竹尾事務局長のもと着実に力をつけていく。

 86年9月,部落解放基本法制定要求国民運動滋賀県実行委員会が組織される。これには県連正常化以降,次々と組織されてきた同企連,同宗連,県民会議,県農協,県林業,県水産業など多くの団体が加盟し,県行政および各市町村行政,さらに滋賀県解放県民センターもオブザーバーとして参加。基本法制定に向けた県内行動をはじめ,中央行動の主力として活躍している。

 〈滋賀同和問題企業連絡会〉は,88年12月,企業の立場から部落問題の解決に資することを目的に219社で設立。99年4月現在508社695事業所が加盟している。活動の特色としては,94年(平成6)5月の第7回総会で採択した〈人権宣言〉にのっとり,会員企業における人権尊重の企業風土確立のサポートを行ないつつ,基本法制定運動にも積極的に参加している点を挙げることができる。

 〈同和問題に取り組む滋賀県宗教教団連絡会〉は,8カ月間の準備期間を経て87年3月,県内17教団が大同団結して発足。同宗連では,部落差別をはじめ,いっさいの差別を許さない立場から,基本法制定要求運動に積極的にかかわり、さまざまな活動を展開している。とくに会報『一窓』を定期発行し,内部研修啓発だけでなく,広く一般に〈人権,平和,共生〉を訴えている。

(山田竹春)

[行政]

 終戦直後,同和行政の進展はほとんどみられない。1952年(昭和27)10月,戦後4回目の衆議院選の最中、林県議(自民党)が〈解放委幹部は半人前だ〉と差別発言を行なう。ただちに藤井県議(南野部落出身)らとともに,県議会多数派の傲慢と県行政の差別性を厳しく糾弾。〈わが県には部落などない〉と豪語していた服部岩吉知事は解放委県連の理路整然とした追及に窮し,部落対策予算の計上を確約。12月,県の外廓団体として解放委県連も参画した〈滋賀県部落対策協議会〉が設置され,64年に県社会福祉協議会内の同和部に移管されるまで約10年間,いわば解放委(解放同盟)対策的な同和行政が行なわれる。61年,県同和対策審議会ならびに同和行政総合対策連絡会が設置されると同時に県福祉課社会係に同和担当が配置され,ようやく同和行政推進体制が確立される。

 67年,副知事を本部長とする県同和対策本部が設置され,翌年,福祉課社会係同和担当を同和対策室に独立させ,推進体制の強化をはかる。69年7月,同対法が制定施行され,翌70年,同和地区実態調査が実施される。71年,県審議会が〈同和対策の推進方策について〉答申,同年〈県同和対策長期計画〉を樹立するがその中身は不十分極まりなかった。滋賀県の同和行政は,前述のとおり解放同盟の〈大行政闘争〉を経て,年々充実強化されていく。教育行政面では,企画広報室同和係を同和教育企画室に独立させ,同和教育行政の専門窓口として取り組みを開始。73年には同和対策室を同和対策課に,また76年には同和教育企画室を同和教育指導課に格上げ。両課とも,その事業量,事務量の増加とともに課員を増員し,〈滋賀県解放県民センター〉を下部機関化しながら計画事業の完全実施をはかっていく。滋賀県の場合,住宅を中心とする環境改善事業は所定の実績をあげることができたが,産業就労,教育人権福祉面では,依然多くの課題を残している。

 市町村行政では,湖北・湖東一帯で取り組まれている〈同和対策12町連絡協議会〉が特筆される。82年から83年にかけて平和堂関連会社ナショナルメンテナンスにおいて発生した差別事件を契機に,多賀町,能登川町,近江町,永源寺町,伊吹町の5町により〈5町連協〉が発足。86年,栄昌堂差別事件に関連する高月町,びわ町,五個荘町,さらに山東町が自主的に加盟し〈9町連協〉となる。さらに,3件の差別事件を契機に湖東町,余呉町,湖北町が加盟し,97年には〈12町連協〉に発展した。〈12町連協〉の活動中,特筆すべきは,年1回,各町長が参加し,同和地区の現地研修と同和問題解決に向けた解放同盟県連との意見交換を行ない,各町同和行政に反映させていることである。また,7月の就職差別撤廃企業内同和問題啓発強調月間,9月の同和問題強調月間における統一啓発資料の作成と職員の一泊研修にも取り組んでいる。

 99年8月現在,滋賀県内50市町村のうち4市31町で人権擁護条例が,また5市35町および県行政において人権擁護宣言が行なわれている。さらに県行政では7月〈県人権施策推進懇話会〉を立ち上げ,2000年度の〈人権条例〉制定へ向けて取り組みを開始した。これによって,同和問題だけでなく,人権救済に向けた行政措置にも期待がもてる状況が生まれつつある。

(山田竹春)

[教育]

 〈滋賀民主同盟〉は,結成と同時に教育問題に取り組んだ。当時,不就学は少なくなってきたが高学年における長欠,学業不振等課題は山積していた。〈民同〉は,部落の子どもたちの教育に熱心な教師の参画を促し,わけても教職員組合の具体的な活動として解放教育運動が推進されるよう尽力した。1947年(昭和22)8月,滋賀県同和教育研究協議会が発足。初代会長・山根房一【やまねふさいち】は,その前年度から*全国同和教育研究協議会委員長も務めていた。58年10月,県内の全小・中・高校が参画するなか,教職員の自主的な研究団体として発展,改組。98年(平成10)4月現在1万4413人の会員を有する県内最大の教育団体に発展し,同和教育,人権教育の指導的役割を担っている。

 52年,真宗大谷派社会部から同和事業滋賀県駐在員として木之本町に派遣されていた朝野温知は,農繁季節託児所を常設保育所に発展させる。これが滋賀における同和保育の始まりとなる。58年県社会福祉協議会の呼びかけで,県内の同和地区内保育所の連絡組織として〈経営困難地区施設連絡会〉が発足。62年〈滋賀県同和保育協議会〉に発展,改組。さらに97年〈滋賀県同和保育研究協議会〉と名称変更。研究組織へと質的発展をめざし,全国解放保育連絡会に組織加盟する。これを機に同和保育所だけでなく県内すべての保育所を対象とし,徐々に加盟が進んでいる。99年11月には,第22回全国解放保育研究集会が滋賀県で開催された。

 75年*〈部落地名総鑑〉事件が発覚,県内では滋賀銀行の購入が判明。滋賀銀行糾弾闘争を通じて,解放同盟県連,県行政,雇用主団体などによって77年,滋賀県進路保障協議会が設立される。また,解放同盟県連,県行政,滋同教などによって滋賀県就職差別撤廃共闘会議が組織され,〈近畿統一応募用紙〉の徹底や身元調査禁止など就職差別撤廃に向けた活動を展開している。今日に至ってなお,大企業を中心に〈社用紙〉を使用し,また採用選考時の面接では,家族の職業や家族構成について質問するなど企業の違反行為が判明。進保協,撤廃共闘の取り組みはますます重要となっている。

 75年,行政,教育,運動団体をはじめ,部落解放を願う多くの県民の参加と協力のもと〈財団法人 滋賀県解放県民センター【しがけんかいほうせんたー】〉が設立される。現在,人権啓発,結婚相談,産業職業対策および労働福祉対策さらに地域総合センター(隣保館,教育集会所)の指導助言等の事業を行なっている。同センター発想の原点は,解放同盟県連が主体となって組織していた滋賀県同和事業促進協議会をさらに強化発展させたいと考えたところにあった。〈部落の完全解放と社会から一切の差別を根絶する〉ために,行政,教育,運動の補完的役割を果たすことを目的としたが,その事業費(1998年度,約3億3500万円)のほとんどが県費補助で賄われていることから,県行政の下請け的性格を帯びるに至っている。

 社会教育面では,同和教育推進協議会(同推協)が県内50市町村に組織され,県同推協に統一されている。解放同盟県連,同推協,滋同教,同企連,同宗連など多くの団体が連携し,数十人単位の〈地区別懇談会〉をはじめ5000人規模の滋同教大会は43回,また部落解放研究滋賀県集会は6回を数え(1999年現在),さまざまな困難を乗り越えて,多くの県民とともに部落解放の道を模索している。

 97年(平成9)12月,〈*人権教育のための国連10年〉滋賀県推進連絡会を結成。これには〈在日外国人の教育を考える会〉ほか16団体が呼びかけ団体となり,県が取り組もうとする行動計画への積極的な参画と学校,企業,マスコミなど各方面において〈行動計画〉が策定されるよう,人権教育,啓発の輪を広げようとしている。

(山田竹春)

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Last-modified: 2015-12-03 (木) 21:09:44 (1469d)