鹿児島県【かごしまけん】

[現状]

 県内には80数カ所の部落が存在する。県行政はこのうち6市19町の49地区を同和対策事業の対象地区として指定している。『鹿児島県に於ける同和問題の調査』(鹿児島県,1991)によれば,同和関係世帯は2565世帯,同和関係人口は8274人である。混住が進まず,同和関係住民の占める割合が95%以上の地区が27地区に及び,25%以下は6地区にすぎない。15歳以上の就業率はほぼ県・全国水準に達しているが,公務員は極端に少なく,事務従事者もわずか5.2%(県全体14.3%,全国17.7%)であり,従業員数50人未満の事業所に勤める者の占める率は66.3%になる。年収199万円以下の就労者は69.6%を占め(年収500万円以上は2.4%),世帯総収入199万円以下は51.3%に達する。〈未就学・小学中退〉は70歳以上が41.3%、60-69歳が14.6%、また20-29歳の78.3%が〈高卒以上〉の学歴を持っていないことからも,学力の獲得が大きな課題であることが示されている。結婚については、1.夫婦共に部落が61.1%、2.夫は部落、妻は部落外が23.2%、3.妻は部落、夫は部落外が9.9%、4.夫婦共に部落外はわずかに1.2%である。夫、妻のいずれかが部落外の場合,〈結婚にまつわる部落差別を受けた〉が25.0%にもなり、1983年調査の21.6%よりも増えていることに注目したい。また,この結婚差別も含めて部落差別を直接体験したり直接見聞した人が51.0%にのぼる(1983年調査より1.7%増)。そのうち、夫婦共に部落の人の場合に62.3%ともっとも高い。

[前近代]

 鹿児島県の歴史の特徴は,鎌倉武士の島津忠久以降,島津氏という一守護大名によって近世末期まで支配されたこと,城下士を9階級に分けたその下に半農半士の郷士等を〈外【と】城【じよう】〉に分割し差別支配を徹底したこと,郷士等を含めて士族がほぼ3分の1の多きに及ぶこと,この士に対する権力支配を通して年貢や夫【ぶ】役【やく】労働の共同責任の門【かど】割【わり】制度によって農民収奪を徹底したことである。島津義弘は慶長2年(1597)の一向宗禁制以降の残酷な弾圧,同3年に朝鮮から強制連行してきた陶工たちへの異化と同化の政策を重ね,さらに同14年の琉球侵攻以降,奄美(直轄領,黒糖収奪)と琉球(密貿易)の分裂支配・異化支配を貫いた。

 慶長16年に〈せひらい(*青癩)〉と〈しく(*死苦)〉村を検地の対象からはずし,寛永12年(1635)にはキリシタンの宗門改め,一向宗統制と同時に〈せひらい〉村の人別帳を別帳とすることを命じた。『庄内地理誌』に〈貴賤の差別相分ち候ハ,寛永14年御領国中手札改之有り,是より貴賤の差別格別ニ相違い候〉とある。慶応2年(1866)までの30回の宗門手札改めで、*慶賀・*えた・*行【あん】脚【ぎゃ】などの被差別の民は別記された。寛文5年(1665)には被差別民衆の手札を横焼印とすることを命じた。後に、明和4年(1767)には被差別部落民の所有する川船にも焼印を横向きに押すよう命じ差別を強めた。延宝5年(1677),薩摩・大隅・日向3州の人口37万9142人のほかに慶賀・行脚・〈しく〉・乞食の1811人が別記された。その後被差別部落の人口は増え続け,約150年後の文政9年(1826)には3倍に近い5024人に達した。『薩摩見聞記』は〈(被差別部落の酋長が)その部下の為に尽す所も亦甚だ厚く,常に米銭を貸し事業を与えて之を救護せり。又此種族の間は団結一致の風盛んにして,一家事あれば衆人行て之を助け共同親和せる〉と記している。1750年代,慶賀や〈しく〉と農民の結婚を禁じ,違反すれば双方から銀1枚の罰金を取る法令があったのは,相互の結婚があったことを示す。天明4年(1784),〈しく〉を〈えた〉と改めることを命じ,差別を強めた。骨粉肥料の確保のため本願寺〈印鑑〉交付と引き換えに牛馬骨を集める建策を立てたのも部落の人々の力を必要とする面があったのである。奄美【あまみ】に文政末期から牛馬皮の係役人を置き,次いで天保8年(1837)には各郷にも係役人を置いて皮剥ぎを部落に命じ,他産業と共に専売制を強化し統制を一段と強めた。また,一向宗禁制にもかかわらず念仏は子から孫へ,またその子へと受け継がれ,絶えることはなかった。番役の時吉萬次郎にとどまらず念仏と部落との関係は今後の大きな研究課題である。

[近代]

 明治4年(1871)8月28日の太政官布告を,鹿児島県は10月に布達した。部落の人々の仕事は,斃牛馬処理,牛馬皮骨売買,と殺,食肉売買,骨粉産業などで,小作や小作地を又借りするなど農業に従事する者も多かった。農業だけでは食っていけないので,農業従事のほかの〈余業調査〉(1888)では竹細工182人,竹皮笠工179人,草履作り3088人等を挙げている。農業従事者は,悪い条件の沼沢に等しい田畑を耕し土地を買い広げるなど次第に財をなし生活を築き上げ,1920年(大正9)頃には,衆議院議員選挙権者154人,県会・郡会議員選挙権者383人に達した。20年8月の『鹿児島新聞』は部落の新しい動きを〈青年会・婦人会等の中心団体を造って向上発展の途を講ずると同時に,自発的に申し合わせを為して子弟の義務教育を完全ならしめんとし,且つ進んで中等の学校へも入らしめて…〉と報じた。新聞は,全国水平社や全九州水平社との接触をも伝えている。薩摩郡の部落の備忘録に,18年のこと,〈従来A組合ノ許ニ支配セラレ唯命是レニ従フノミ殆ンド自由ノ権利義務ヲ束縛セラル風アリ…非常ノ努力ト猛烈ナル運動トハ遂ニ報ヒラレ〉と,A組合から分立して別の組合を作り,他の6組合と肩を並べるようになったことが記されている。『鹿児島朝日新聞』によれば,伊佐郡の部落の40余戸が24年9月の集会で革声会を結成し,〈今後部落民は一致団結のもとに部落民の生活に脅威を与ふる者に当る〉と決議をあげた。菱刈町の川村新右衛門の墓誌には〈小作制度の不合理,法の不平等が人間差別につながっている事を自ら以って体験し〉と,小作農民組合運動に飛び込んでいったことが刻まれ,1920年代の農民組合運動と部落とのかかわりを示唆する。なお、この時期,部落外ではあるが鹿児島県日置郡出身の*伊東茂光が京都の崇仁小学校の校長となる。29年(昭和4)4月,鹿児島県社会事業協会に融和事業部が置かれ,県内で初めて融和事業担当の専門機関が開設された。41年11月,同和奉公会鹿児島県本部の第1回協議会が開かれた。

[戦後の解放運動]

 各地で続発する差別事件に対する県内部落住民の対応は,戦後しばらく有志や地域だけの糾弾や抗議にとどまっていた。1956年(昭和31)6月,雑誌『展望』に悪質な差別記事が掲載され,部落総会を開き中央からの来援を得て運動組織を結成したのが初めての組織活動であったが,この動きは県内に広がらず,その結果多くの部落住民が65年の同対審答申のことも知らなかった。72年,部落解放国民大行動のオルグを受けるなかで,いくつかの自治体が同和対策予算を部落外に不正流用している事実が暴露され,これへの怒りがバネとなり,同年4月,10支部50余人で部落解放同盟鹿児島県連が創立された。以来,中央や九州地方協議会の指導のもと組織の整備,拡大に努め今日に至っている。85年度から1000人規模の研究集会の開催,小中高生と親たちの交流キャンプ実施,県高校友の会の月1回開催,女性部の着実な発展などに力を入れている。漢字学力の低さを賤称語で教室に掲示した事件を契機に,糾弾闘争が大衆と共に組織的に展開され始め,学習会としても大きな成果をあげている。周辺に,77年結成の県共闘会議が発展した部落解放共闘県民会議(連合鹿児島と共に1996年度結成),あらゆる差別をなくす県民会議,〈基本法〉制定要求運動県実行委員会,〈同和〉問題に取り組む県宗教者連絡会議,狭山事件を考える鹿児島住民の会など多くの運動体が生まれている。

[行政]

 部落解放同盟鹿児島県連結成後の1975年(昭和50)に県同和対策室(後に課に昇格)を設置,78年から県総合計画に同和対策推進の項目を設け諸事業を推進している。組織的解放運動の取り組みが遅れたために実態的差別の解消も課題が多く,行政への期待は大きい。県民に対し,講演会・映画会・民放テレビ利用の映画放映・パンフ配布など啓発に力を入れている。国に対し事業法の継続要請も行なってきた。鹿児島県〈人権教育のための国連10年〉推進本部部長を知事が務めるほか,市町村行政にも部落解放の取り組みが浸透しつつあるが,課題は山積している。

[教育]

 1976年(昭和51)3月,県同和教育研究協議会の発足によって組織的な同和教育の取り組みが始まった。任意加入の組織で,会員数は98年(平成10)現在約1万3000人。毎年,県〈同和〉教育研究大会(2日間,1500人規模),県〈同和〉教育基礎講座,参加者150-200人規模の〈進路保障〉〈部落問題学習〉〈社会教育〉の課題別研究会,同和教育推進教員主体の合宿研究会等を開催。地区同和教育研究協議会でもそれぞれ研究会,学習会,講座等を開催。このような取り組みが進む一方で,子どもや教師による差別発言も多く報告されている。県教育委員会は79年に〈同和教育基本方針〉を策定し,81年に県同和教育室(現在は課に昇格)を設置,同和教育推進を重点方針の1つとした。重点校に配置した推進教員は70余人になり,予算の裏づけも行なっている。県教委では,すべての地域を網羅する研究会,職種別の研修会等を数多く実施している。学校教育に比べて社会教育分野の立ち遅れは否めず,範囲が広く課題が山積している。

参考文献

  • 鹿児島県同和地区実態調査委員会編『鹿児島県に於ける同和問題の調査』(鹿児島県,1984・91)
  • 村岡仁三次『私の解放運動史』(人権書店,1989)
  • 鹿児島県部落史編さん委員会編『鹿児島県の部落史』(鹿児島県,1992)
  • 『部落解放同盟鹿児島県連合会創立20周年記念誌』(1994)
(和 眞一郎)

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Last-modified: 2015-12-03 (木) 21:09:45 (1300d)