秋田県【あきたけん】

 1930年(昭和5)に現地を探訪した*三好伊平次の報告書によると,角館,象潟,大館,本荘,横手,大曲,秋田などに14の部落がある。しかし実態調査や地区指定,同和対策事業は行なわれていない。

 明治初年の『藩制一覧表』に穢多身分117戸534人と記されている。また1907年(明治40)調査では,6地区100戸592人と記されている。代表的な職業として製靴業,毛皮商,竹細工が挙げられる。60年代になって*野本武一(当時,同和対策審議会専門委員)による県内3地区についての報告があるが、戦後の政府調査には載っていない。意識調査なども行なわれていないが,現在でも地域の人には,部落の存在が意識されており,結婚や就職に際して差別事象は起こっている。

 『梅津政景日記』などによると江戸時代初期の秋田氏支配下では土崎湊に居住していた〈らく〉(秋田,山形などで穢多身分を指す)が,佐竹氏が入部した元和4年(1618)に秋田城下に移され,牢番,皮細工,竹細工,草履作り等をした。また病死,水死,行き倒れ等の処置をした。猿引,*非人身分の存在も少数あった。*穢多身分は芸能の興業権をもち、居住地に隣接した芝居小屋があった。正月には*門付芸として万歳を行なった。

参考文献

  • 三好黙軒(伊平次)「東北三縣の融和状態督見」(2)(『融和事業研究』第11輯、復刻版、部落解放研究所、1973)
  • 金森正也「秋田藩城下町久保田の『町穢多』について」(東日本部落解放研究所編『東日本の近世部落の具体像』明石書店,1992)
  • 藤沢靖介「東北地方の被差別部落」(『解放研究』5号,1992)
(川元祥一)

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Last-modified: 2015-12-03 (木) 21:09:46 (1295d)