神奈川県【かながわけん】

[現状]

 県内の部落は,1993年(平成5)の神奈川県調査によると,地区数11(部落数15),世帯数919,人口3065人,混住率16.9%(都市部では低く,農村部では70-90%)となっている。1921年(大正10)の内務省調査では33地区が報告されており,84年(昭和59)の部落解放同盟の調査では50前後の地区が確認されている。地区の世帯数は,5-200世帯とさまざまであるが,平均で30-40世帯規模の地区が多い。地形的には,急傾斜地や谷間,河川沿い,低地に立地する地区が多い。また過去の災害により平地と高台に移転したと伝承されている地区が数個所ある。事業の実施によって住環境の改善がはかられてきたが,91年に県が初めて実施した実態調査によれば,宅地の接道が2m未満の個所が16.0%,4m未満では46.3%あり,住宅の大修理が必要な世帯が6.0%存在している。奨学金制度などにより高校・大学への進学率は高まっているが,最終学歴(20歳以上)は小・中学卒が56.4%。短大以上が5.5%となっている。就労では,事業所規模99人以下が50.3%,臨時・日雇いが13.1%(1984年の解放同盟調査では20.9%)。年収では,300万円以下が71.1%を占めている。この県調査は,あくまで事業実施地区のみを対象として実施されたもので,事業未実施地区は対象外であった。調査結果は事業実施地区においても住環境の整備と就労と教育の対策が引き続き課題としてあることと,事業未実施地区に対する対策が必要であることを示している。また県民意識の実態では,91年に県が実施した県民意識調査によると,部落問題を認知した時期は,6-18歳が56.0%を占めている。認知の経路は家族などが27.5%であるのに対し,学校の授業が15.6%と,教育や啓発の問題が問われる結果となっている。県内A市が93年に市民意識調査を実施した結果,郵送回答者中の8.3%が〈差別を見聞きしたことがある〉と回答し,〈自由記載欄〉にその具体事例が寄せられており,差別意識の深刻な実態が浮かび上がっている。

(茂木 昇)

[前近代]

 神奈川県の部落の起源は鎌倉幕府の成立期にまでさかのぼる。源頼朝は軍需物資としての皮革を確保する必要から,極楽寺村の長吏【ごくらくじむらのちょうり】に関東各地の皮作を支配する権能を与えた。また極楽寺村の長吏たちは皮作のほかに,戦場の後始末や,刑場の雑役,八幡宮その他の社寺の清掃,神幸の際の露払いなどの役を務めたと考えられる。明応4年(1495),伊勢長氏(北条早雲)が小田原城を攻略してからは,極楽寺村長吏の支配権は分断され,後北条氏は皮革を確保するため小田原城周辺に皮作を配置し,関東の長吏の支配権も小田原山王原に住む長吏太郎左衛門【たろうざえもん】の手に移った。この時期の後北条氏や,これと対立していた上杉氏の城郭の周辺には部落が多く,こうした戦国大名の分国支配と部落の成立との関連が推測される。近世幕藩体制下においては,現在の神奈川県を構成する武蔵3郡・相模9郡の*穢多・*長吏は江戸浅草の*弾左衛門の支配下に置かれ,皮革業,農業,あるいは*草履・草鞋づくり,*灯心販売,薬販売など種々の仕事に携わり,また,東海道,大山街道などの街道筋や,酒勾川・相模川などの河川流域の部落は運輸にもかかわったと考えられる。横浜開港後,安政7年(1860),幕府は開港場付近に外国人への襲撃を防ぐため見張番屋を設け,穢多・非人を配置させることを命じ,さらに慶応1年(1865),外国人のためのと場を北方村に設置,ここを中心に新たな部落が形成された。

(藤野 豊)

[融和運動]

 神奈川県には水平社の組織が生まれず,かわって融和運動が全県的に展開された。それは全国的に見ても活発な部類に属した。そうした融和運動の前史となるものが,1909年(明治42)1月5日に創立式を開いた中郡伊勢原町の伊勢原自彊組合【いせはらじきょうくみあい】である。これは,前年初秋の近衛師団の機動演習の際,町役場により兵士の分宿対象から除外されるという差別を受けた部落大衆が発奮し,経済の向上をめざして結成した部落改善団体であり,のち,昭和恐慌期には,*部落経済更生運動【ぶらくけいざいこうせいうんどう】の模範として高く評価された。その後,21年(大正10)5月27日,中郡比々多村に一燈銭会,23年3月15日,中郡神田村に向上会が,そしてこれらの団体と前後して中郡伊勢原町に相和会,都筑郡柿生村に親和会が設立され,融和運動が芽生えていった。

 県当局はこうした機運に乗じ,全国的な水平運動の高揚に対抗し,23年8月,県内の部落青年と部落外の青年50人を鎌倉の円覚寺に集め,社会教化青年講習会を開催し,全県的な融和団体の設立を決定,翌年7月,青和会【せいわかい】を設立し,25年4月12日,神奈川県青和会【かながわけんせいわかい】と改称した。神奈川県青和会は,県内務部長(のち学務部長)を会長とする官製団体であったが,活動の中心となった常務理事中村無外【なかむらむがい】は,仏教的人道主義に立脚した社会啓発を重視し,会には町村長以下の地域の有力者を積極的に入会させ,水平運動に対抗する姿勢は弱かった。しかし,水平運動が階級闘争と連帯する姿勢を強めると警戒を強め,28年(昭和3)4月足柄上郡川村小学校で,差別に抗議して部落大衆が水平社と連絡をとり同盟休校に突入すると,これの鎮静に奔走した。31年6月,中村にかわり*植木俊助【うえきしゅんすけ】が常務理事に就任してからは,それまでの社会啓発中心の活動から部落経済更生運動,融和教育運動に積極的に取り組み,部落内に組織を浸透させ,さらに戦時体制下においては*満州移民を奨励するなど,全国の融和運動の方針に忠実に沿って活動を続けた。41年9月27日同和奉公会神奈川県本部に改組,47年6月30日これも解散し,県内の融和団体の歴史は幕を閉じた。

(藤野 豊)

[解放運動]

 神奈川県では戦前に水平社が組織されることはなかったが,部落大衆が全国の水平運動に無関心であったわけではない。1923年(大正12)には,現在の秦野市内の部落の人々が,小田急線の開設に伴う駅舎建設予定地を,町議会が反対多数で当初の部落近接地から部落外に変更決定したことに抗議し,部落総出で夜中に集合して嘆願書を決議し,郡役所への行進による直接行動を起こした。28年(昭和3)には,足柄上郡川村(現山北町)の小学校の教師が授業中に差別発言を行なったことに対し,教師の罷免を要求して地域ぐるみの*同盟休校が行なわれた。この闘争には*全国水平社との連携もあったといわれており,当時の水平社の糾弾闘争と同様の運動が県内でも展開されている。

 戦後は,戦前の融和運動の影響が強く残り,少数の分散した人々による解放運動の組織化が何度か試みられたが,組織の形成に至らず長い間解放運動の停滞が続いた。その後も少数の活動家による地道な活動が続けられ,一方では,山北町の地区で軒を連ね生活道路しかない環境での火災への不安から自力で道路建設をめざす活動が起こるなど,特別措置法の制定と地域の環境改善の要求が結びつき,3年間の準備活動を経て,74年6月16日に5支部で部落解放同盟神奈川県連の結成大会が川崎市立福祉会館で開催された。97年(平成9)現在、11支部で活動が行なわれている。また,82年5月29日に部落解放県共闘会議,85年12月2日に県同企連,86年2月24日に県同宗連,同年1月14日に基本法県民実行委員会が結成され,88年の世界人権宣言40周年に県内の反差別・人権団体による記念行事の統一開催を契機として,90年(平成2)6月に任意団体・神奈川人権センター【かながわじんけんせんたー】が設立(1993.8社団法人認可)されるなど,県内の反差別・人権の活動は大きく進展している。

(茂木 昇)

[戦後の行政・教育]

 神奈川県は戦前に融和運動の組織化と並行して融和行政を行なっていたが,戦後に同和行政が行なわれたのは1975年(昭和50)以降である。県当局は〈箱根から東に部落問題は存在しない〉という態度を崩さず,同和対策そのものを否定していたが,度重なる差別実態の提起に対して個人給付と貸付事業の項目を順次拡大し,事業対象地区も当初2市2町の4地区のみにとどまっていたが,85年12月に5市3町の11地区に拡大された。それまでは,事業対象地区の指定には〈住民のコンセンサスが必要〉とする県の見解により,未指定地区での国費による事業実施が不可能であったことから,市町村が同和対策として実施する事業に対して,国庫補助の代替として県単費補助制度による事業の方式を採用し,市町村による部落間での事業の格差是正をはかってきた。しかしこの方式の定着が,同和対策事業の中心課題が属地属人主義ではなく属人主義による個人施策であるかのような誤解を与えるとともに,環境整備事業の遅れの弊害を生じさせる原因ともなった。87年に地対法から地対財特法への切り替えにより未指定地区の事業からの除外が明らかにされたことから,それまでに事業実施計画を策定した地区の指定を行なうこととなった。97年(平成9)現在5市3町以外の6市が未指定のまま事業を実施している。

 教育行政では,79年に教員採用試験の第1次合格者に戸籍抄本の提出を求めていた事実を差別と認め,同和教育基本方針を策定し,同和教育担当参事を設置して同和教育研究指定校の委嘱・指導者養成講座など研修・啓発に取り組んでいるが,教師自身による差別事件が続発している。県の機構としては,77年民生部に同和担当参事を設置,92年に福祉部(旧民生部)の同和担当参事職を人権担当県参事職に改め,さらに94年の機構改革で人権担当部長を設置した。91年に事業対象地区のみではあったが県内で初めての部落生活実態調査,93年に県民意識調査を実施。92年人権政策推進懇話会を設置,93年に提言が知事に答申され,94年に人権政策推進指針がまとめられた。

(茂木 昇)

参考文献

  • 荒井貢次郎・藤野豊編『近世神奈川の被差別部落』(明石書店,1985)
  • 川村善二郎「神奈川における近代の部落問題」(神奈川県県民部県史編集室編『神奈川県史』各論編I、1983)
  • 藤野豊「神奈川県融和運動史年表」(『部落問題研究』69-80号,1981-84)

トップ   差分 リロード   一覧 単語検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS
Last-modified: 2015-12-03 (木) 21:09:47 (1467d)