身分制度【みぶんせいど】

[古代]

 日本古代における身分の発生は,通常は弥生時代のことと考えられており,身分の存在する時期は日本列島の人類史の100分の1を占めるにすぎない。すなわち弥生時代になって水田農業が本格化し,階級と身分が発生したとされる。最初の身分は,中国文献である『漢書』『後漢書』に記された<王><*生口【せいこう】>などで,紀元前後から1世紀にかけて,倭国の<王>は中国王朝と外交的・文化的な交流を持っていたこと,一方の<生口>は倭王から中国皇帝への献上物として,つまりは一種の奴隷として扱われていたことなどがわかる。<魏志倭人伝>の記す邪馬台国時代になると身分制度はいっそう拡大深化したようで,3世紀の倭国には,<女王>卑弥呼を頂点とし,各国に存在した<王>,そのもとに<大人><*下戸【げこ】><*奴婢>などの身分があり,<下戸>が路上で<大人>に会うとただちに道端に退かねばならないなど,厳しい身分差別があった。5世紀後半にはこうした身分制度がさらに発展し,朝鮮半島,とくに百済の制度を参考にした、部民制【べみんせい】を中心とする倭王権(大和王権)の身分制度が成立した。部民制そのものは必ずしも身分制度としてのみ機能したものではなく,社会的分業や徴税体系にかかわる一種の社会制度の側面をも持っていたが,東アジア身分制度の影響を受けて大王から奴婢までの身分制度が新たに成立した。こうした身分制度が一挙に整えられるのは,律令制度【りつりょうせいど】の採用によってで、隋・唐の制度を模範とし,<良【りょう】><賤【せん】>を中軸とする身分が成立した。<良>は貴族・政治家や一般庶民をいい,当時の日本社会を構成する主要な要素をなす。〈賤〉は*五色の賤【ごしきのせん】と称される*陵戸【りょうこ】・*官戸【かんこ】・*家人【けにん】・*公奴婢【くぬひ】・*私奴婢【しぬひ】をいう。こうしたいわば絶対的身分と並行して,カバネ(姓)を軸とした氏族単位の身分秩序があった。古代社会においてはこうした律令制に基づく身分制度が基本として存在したが,時代が降るにつれてその秩序は崩壊し,やがて律令制の外の身分が発生して中世的な身分制度ができあがる。その時代は平安時代中・後期のことであり,身分制度という意味ではこの時代を古代の崩壊,中世の成立ととらえることができる。

(井上満郎)

[中世]

 中世の身分制を包括的に論じたものとして第1に挙げるべきは黒田俊雄【くろだとしお】の「中世の身分制と卑賤観念」であろう。黒田は中世社会において身分が成立してくる主要な系列として,‖射鄒験茵き∩餘燹Ω領の支配,8¬腓硫隼沙拉枌畚,す餡斑畚を挙げたうえで,中世の身分階層の基本構成を,ゝ種,∋・司,I汗,ぁ下人,ァ非人とした。,論治権力を掌握している権門身分,△鷲雹痢Υ運佑藥拉杣埒畔,は公的な被支配者民衆の基本をなす身分,い六篥な隷属身分、イ六拉枸貘梓愀犬ら外れた体制外身分である。ここでとくに注意を要するのが非人身分の位置づけである。黒田は非人身分の特質を,公私を問わず所有や支配の対象でないことであるとし,〈社会の支配秩序の諸身分から原則としてはずれ〉た〈身分外の身分〉とされる。これは,古代の賤民制の延長上で*散所や*河原者をとらえていたそれまでの常識を打破するものとして学界に大きな影響を与えた。

 一方,大山喬平が「中世の身分制と国家」で次のような新しい中世身分制論を打ち出した。大山は,身分は,社会的諸活動を恒常的に遂行していくために編成された諸集団の内部規範に成立の根拠をもつとして,.ぅ─き▲爛蕁きE沺Π贐筺座・武士団,じ¬腟族・幕府・権門寺社,ス餡函△慮泙弔鮟乎弔僚段階として挙げる。そして,〇,百姓・凡下,2漆諭擇欧砲鵝曄所従【しょじゅう】の三つを中世の基幹身分とし,他の諸身分は,この三つの基幹身分のさまざまな変形だという。そのうえで〈中世身分研究の一つの重要テーマ〉として被差別身分〈非人=清目【キヨメ】〉を取り上げ,中世的差別原理ともいうべきケガレ思想の展開過程,天皇と都市を中心とした中世特有のケガレ=キヨメの構造,非人集団の内部編成などを詳しく検討,*非人・*清目【キヨメ】・河原者・*坂の者・*穢多・*声聞師等々さまざまな名称と職能からなる中世の被差別民がケガレ観念の中世的形態と分かち難く結びついて,〈キヨメ=掃除〉という社会的分業を担うものとして非人身分を形づくっていたと説き,これをやはり三つの基幹身分のうちの百姓・凡下の一つの特殊形態と位置づける。以上端的にいえば,黒田が社会体制から排除された非人身分を基軸にして中世の全身分体系を構想したのに対し,大山は侍・百姓・下人の三身分を基幹として中世の全身分を位置づけた,といえる。

 ところで,非農業民の世界の研究に新生面を切り開いてきた網野善彦は,給免田を与えられ年貢・公事を免除されて非農業的な職能に携わっている供御人・神人らを平民百姓と異なる存在として職人身分【しょくにんみぶん】ととらえ,非人もまたキヨメを職能とする職人身分の一種と位置づけている。これは職人身分を設定しない大山や非人を身分外身分とする黒田らと鋭い対立をみせている。一方,諸氏の論を再検討した高橋昌明は,これら供御人・神人・寄人や散所・清目・穢多など被差別民を官庁(准官庁)の直轄下に入ることからくる支配関係として,所管――被管関係による帰属身分と位置づけるという新しい視点を提示している。

(丹生谷哲一)

[近世]

 近世に入ると,豊臣政権の諸政策によって全社会的に身分制度が組織された。秀吉は天下の土地を掌握し,土地支配・裁判権などをもつ領有権を公家・武家・寺社の領主階層に与えた。とくに大名に対しては意図的に国替えを行なって旧地から切り離し,さらに領国では城下町に武士団や商工業者を居住させた。また農村では検地を行なって登録人を百姓として土地所持者・年貢負担者とし,人掃い令などによって百姓とその家族を把握して夫役負担者を確定した。百姓から武器を没収する刀狩りも行なわれ,百姓身分が明確になった。つづいて天正19年(1591)には身分統制令【みぶんとうせいれい】が出され,侍などが百姓・町人になることや,百姓が町人・職人になることが禁じられた。このように近世では兵農・商農分離がなされ,原則として都市には領主・町人(商工業者),農村に百姓が居住するという体制ができ,近世身分制度の根幹が成立した。これは土地台帳・戸籍によって個々の人間が把握されるものであり,土地そのものも地域が異なるだけでなく,領主は領有,百姓は所持,町人は用益と,土地所有の内容も違っていた。これだけ整備された身分制度のなかに,*えた・*非人などの被差別民も置かれた。彼らの居住地は定められ,戸籍に記載された。たとえば農地を所持している場合,検地帳に記載されるが,百姓と異なる身分であるということで,人名の肩書に〈*かわた〉などの身分が記された。また一般的に身分転換は禁じられたが,移動や旅行でも,村・町の役人が発行する文書を必要としたため身分を脱することは困難であった。かくして武士・百姓・町人,さらにえた・非人などを基本とする身分制度が定まった。もちろんこの主たる身分の内部でも,さらにさまざまな身分があった。近世は組織された身分社会といえる。ここでは人間は平等との意識はなく,身分などの区別があるのが当然と考えられていた。

 商品経済が発展し,町人が台頭するなど身分制が動揺を始めた17世紀後半には,儒学者がイデオロギー強化に努め,*士農工商論が盛んとなった。明治維新により〈四民平等〉がうたわれ,近世身分制度は消滅したが,天皇・華族・士族・平民という近代身分制といえるものが存在した。

(脇田 修)

[近代]

 近代社会は,天皇は大日本帝国憲法(1889)と皇室典範(1889)に基づいて全国民を<臣民>として支配下においた。そのもとで新しい身分的秩序が編成され,幕藩体制の解体に尽くした公家や武士,豪農・豪商などの一部を貴族として包括,公・侯・伯・子・男爵として貴族院議員の選出に関与させた。一方,その前後の資本主義の発展を背景に上昇する有産者層や官僚・軍人・教育者など国家的功労者も華族として編入した。また,衆議院を同時に成立させ一般的な資産者層にも政治的権力の一端を与えて政治的・社会的矛盾の拡散につとめた。ここに華族【かぞく】(貴族)に代表される血統的,伝統的な身分的存在と,新しく登場した資本的階級的存在が交流することになった。そのうえに維新後に拡大をみる官僚・軍人的階層が交差し,経済的にも血縁的にも上層身分階層として成立するのである。この上層身分も資本主義的変動と政治的危機のなかで身分的・階級的変動に際会するという動態的なありようを示していくのである。このことは,これまでの封建的な静態的な身分秩序からの転換でもあった。それは血統や家柄に対して後天的・能力的な収入・財産・学歴・社会的威信が身分形成の要件として登場することでもあった。さらにまた,定期的には,国民的功労者に対して<貴勲>を与えて身分的存在の補完的役割とした。

 一方,被差別部落の場合は,いわゆる*<解放令>によって居住と移転の自由,職業選択の自由,結婚の自由を得たが,地域的・職業的・血縁的共同体の残存と持続が,戦後まで続いており,法・政治制度上の自由は一般社会の共同体的差別の存続のなかで解体(解放)をみなかった。階級的分解は被差別部落の内部にとどめられる傾向をもち,一般社会での資本と賃労働化の傾向は差別のためにしばしば排除された。そして伝統的な部落産業・労働と小資本展開の分野にとどめられたのである。

 他方,身分的統合の象徴としての天皇と華族は,新しい身分的観念としての<臣民>的秩序の造成に成功した。士・農・工・商につづいて五番目の民としての賤民解放は,天皇の近代的身分・階級的観念である〈四民平等【しみんびょうどう】〉の完成でもあった。融和主義者からは平等といわれても<権利に等差を附ける>(小川緑雲)と察知された。また,自由民権運動の敗北のなかで<*天賦人権論>にかわる<社会有機体説>が支配,天皇のもと民族・政治・企業・諸団体・軍隊・家族までも包括する<家族国家観>が形成された。ここでは身分も階級など社会的階層や個人までも吸収されて新しい位階的秩序観が形成されたのである。このなかで支配的位置にある身分や階級の政治的責任は拡散されたのである。

 イギリスの王政(制)の場合,王の政治的関与については責任を問われ処断される歴史を数多くもった。日本の場合は,敗戦によって戦前の身分制(天皇・華族・官僚など)は重要な改変を受けたが,その政治的責任の追及は不十分に終わった。

(秋定嘉和)

参考文献

  • 石母田正「古代の身分秩序」(『石母田正著作集』4巻、岩波書店,1989)
  • 井上光貞他編『日本歴史大系 原始・古代』(山川出版社,1984)
  • 黒田俊雄「中世の身分制と卑賤観念」(『日本中世の国家と宗教』岩波書店,1975)
  • 大山喬平「中世の身分制と国家」(『日本中世農村史の研究』岩波書店,1978)
  • 高橋昌明「中世の身分制」(『講座 日本歴史』東京大学出版会,1984)
  • 黒田日出男「『人』・『僧侶』・『童』・『非人』」(『境界の中世 象徴の中世』東京大学出版会,1986)
  • 網野善彦「中世前期における職能民の存在形態」(永原慶二・佐々木潤之介編『日本中世史研究の軌跡』東京大学出版会,1988)
  • 後藤陽一「近世の身分制と社会」(『岩波講座 日本歴史』9巻,岩波書店,1975)
  • 朝尾直弘編『日本の近世7――身分と格式』(中央公論社,1992)
  • 石井良助『日本法制史概説』(創文社,1960)
  • 石田雄『明治政治思想史研究』(未来社,1954)
  • 同『近代日本政治構造の研究』(同前,1956)
  • 同『近代日本思想史における法と政治』(岩波書店,1976)

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Last-modified: 2015-12-03 (木) 21:09:47 (1294d)