世間【せけん】

 1877年(明治10)に<ソサイエティー>の訳語として<社会>という語がつくられて以来,公文書の世界では社会という語が用いられてきたが,この言葉は<個人>という語と不可分のものであった。個人という語は84年にインディビデュアルの訳語としてつくられたが,その実体は西欧の個人とはまったく異なるものであった。

 わが国においては,古来自分と自分の周囲の人間関係を<世間>という言葉で表す習慣があった。それはサンスクリットの<ローカ>の訳語であり,本来自然界の出来事と人間界の出来事の両方を示す語であった。中世にはこの言葉は主として人間界の出来事を示す言葉となり,人々の生き方に外から枠をはめる役割を果たしてきた。その意味では<世間>意識は一種の公共性的位置をもっており,ドイツの社会学者ハーバーマスのいう市民的公共性成立以前の初期的段階のものとみることもできる。

 明治以降わが国の近代化とともに<世間>という言葉は日常会話のなかに生き残り,公文書などには用いられなくなった。しかしわが国には欧米のような個人を主体とする社会はいまだ成立途上にあり,人々が生きていくうえで支えとしているのは<世間>なのである。<世間>はいわば人々の準拠集団なのである。そして<世間>は差別的で,排他的な本質をもっている。島崎藤村は*「破戒」のなかで丑松に<いつまでも世間の人と同じやうにして生きたい>と言わせている。世間は〈*新平民〉を排除したところで成立しているものとされている。現在まで差別が生き残っているのも<世間>意識が対象化されていないためなのである。

参考文献

  • 阿部謹也『「世間」とは何か』(講談社現代新書、1995)
(阿部謹也)

トップ   差分 リロード   一覧 単語検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS
Last-modified: 2015-12-03 (木) 21:09:49 (1388d)