正常と異常【せいじょうといじょう】

 正常と異常の区別は文化によっても,あるいは歴史的にみても,相対的なものである。このことは,現在〈異常心理〉と呼ばれている心理状態が,ある文化の特定の歴史的時点においては神聖なものとされていたことからも証明される。そうだとしたら,あることを〈異常〉とすることにはどんな意味があるのだろうか。フーコーによれば,〈正常〉の価値が重視され始めたのは,近代産業社会において規則正しい労働が支配的になった時点と時を同じくする。このとき誕生したのは〈規格normal=正常〉に従うことが自己の存在証明になるといった,ある特別な感性である。しかしこの感性は,自らの〈正常〉性を証明するために,何らかの個人や集団に〈異常〉という*スティグマを貼り,医学や心理学といった専門的知識を動員して,社会から排除しようとする。つまり〈規格〉に従うことは社会に隷従することであり,反対に何かを〈異常〉とみなすことは差別と排除を伴う政治的行為の一部なのである。たとえば同性愛や障害が歴史のある時点では〈異常〉とされ,医学による〈更正〉や〈治療〉が至上命令であったことは周知の事実である。私たちは,このような強制された*アイデンティティと闘うことによって,自己の存在証明を政治的社会的に獲得してきた数多くの解放運動を知っている。それは〈異常〉を社会的に作り出し,日常世界から隔離して排除してきた管理社会との闘いでもある。

参考文献

  • M.フーコー『狂気の歴史』(田村俶訳,新潮社,1975)
  • 野田正彰『狂気の起源を求めて』(中公新書,1981)
  • 山田富秋・好井裕明『排除と差別のエスノメソドロジー』(新曜社,1991)
(山田富秋)

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Last-modified: 2015-12-03 (木) 21:09:49 (1388d)