先住民族の人権【せんじゅうみんぞくのじんけん】

[概説]

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 近代帝国主義は,国民国家の形成と並行して,ヨーロッパを起源とする〈文明による支配〉を旗印に,〈未開〉とみなした民族の住む地域を一方的に征服,占領,入植など の手段により植民地化し,そのかなりの部分を〈内地〉として近代国家内部に編入した。こうした地域で,〈野蛮〉な民族として偏見や無知から虐殺され,また,強制同化政策【どうかせいさく】のなかで民族としての文化や伝統,価値,そして存在そのものを否定された民族的集団が〈先住民族〉とみなされる。多くの国では,先住民族の存在,その歴史,文化のいずれもが支配的社会のなかで認知されていない場合が少なくなく,他方,民族としての権利を否定するさまざまなかたちの植民地政策【しょくみんちせいさく】が,現在も巧妙に継続されている。

 先住民族に対する差別構造の一つは,固有の価値,制度,伝統が集団的権利として無視されていることから生じている。たとえば民族に固有な共有制の土地制度と,その基礎である土地権【とちけん】が認められない場合,先住民族の土地は一方的に国有地とされ,そこでの狩猟や採集など伝統的経済生活そのものが国有財産を侵害する犯罪とされてしまう。熱帯林や寒帯林地域では,こうした国有林の伐採権が多国籍企業などに売却され,生活環境を破壊された先住民族の抗議活動が続いている。その結果,抵抗する住民に対する警察や軍による逮捕や排除,そして暴行や発砲などが行なわれている。こうした問題は,森林伐採のみならず,ダム建設,鉱山開発など多くの開発事業において例外なく生じている。

 さらに,強制同化政策などによる個人的権利の侵害もきわめて深刻である。言語を含めて伝統的文化が徹底的に否定され,先住民族の子どもたちの多くが隔離に近いかたちで*同化教育を受けた地域では,祖父母と孫が言語による意思疎通ができず,伝統文化の継承にきわめて困難な状況をつくり出している。また,民族のアイデンティティを取り戻す運動のなかでも,先住民族自らが,まず自らの歴史や文化を基礎から学ばなければならないという厳しい状況はけっして少なくない。同じ状況のもとで,先住民族の歴史や文化に無知な多数者は,依然として偏見を抱きやすく,それがまた差別の温床となっている。就職や学校,結婚などでの先住民族に対する差別は,直接,間接に経済的・社会的格差の大きな原因となっており,格差は再び差別意識を助長している。厳しい貧困,低い学歴,高いアルコール中毒と自殺率などが多くの先住民族社会に共通した問題といえる。

 こうした差別を解消するためにもっとも重要なことは,過去の歴史に対する謝罪や補償を前提にした民族自決権【みんぞくじけつけん】の回復だろう。民族が,主体的に自らの歴史や文化,伝統を取り戻し,未来の世代にこれらを発展的に継承していくためには,自らがこれを決める権利が不可欠であり,権利回復のための国際連帯が進められている。

 また、1980年代に入ると国連人権機構の中で、先住民族の権利に大きな関心が集まるようになった。82年には〈国連先住民作業部会〉が設置され、先住民族の権利に関する国際基準の設定が始められた。また、89年には国際労働機関(*ILO)で〈*先住民族条約(第169号条約)〉が採択された。さらに、93年は〈国際先住民年【こくさいせんじゅうみんねん】〉に制定され、この成果を確実なものにするため95年から2004年までは〈先住民の国際10年【せんじゅうみんのこくさいじゅうねん】〉とされた。先住民族の人権宣言ともいえる〈先住民族の権利に関する国連宣言(草案)【せんじゅうみんぞくのけんりにかんするこくれんせんげん(そうあん)】〉は1995年以来国連人権委員会で検討作業が続けられている。

(上村英明)

[アジア]

 アジアには1億5500万人の先住民族が住んでいるといわれている。その内訳は,中国など東アジアに6700万人,東南アジアに3000万人,インドを中心とする南アジアに5100万人,西アジアに700万人である(International Work Group on Indigenous Affairsの年報より)。この数字は世界の先住民族の半数近くにあたる。米国やオーストラリアのように外部からの侵略過程がはっきりしている地域と異なり,アジアでは<先住性>だけを軸に先住民族の問題を考えることはできない。

 アジアの先住民族を考えるときに前提となるのは,欧米諸国と日本の植民地支配によって作られた境界線を,アジア諸国は独立後もそのまま国境として引き継いでいるという点である。たしかに民族解放闘争によって独立を果たしたが,その独立を指導したのは多数派民族であり,独立による恩恵を受けない,あるいは独立国家とは無縁に存在する多くの民族集団を含んでの独立であった。しかも独立後の<国民統合>政策により,少数派民族への同化の圧力は強まってきた。

 ここで取り上げるのは,現在は国民国家の一員に組み込まれているが,長く自分たちの地理的領域である<先祖伝来の地=Ancestral Lands>で独自の言語や文化,経済などを維持してきた民族である。何より重要なのは,こうした人々が大地との精神的結びつきをきわめて重視しているという点である。これは,世界中の先住民族に共通している。しかし比較的近年まで孤立した地域に住み,国家とはある程度距離をおいた共同生活を営んできたアジアの先住民族に対しては,開発や同化といった民族絶滅策が襲ってくるのも遅く,日常的な暮らしの中で大地との結びつきが壊されずに残ってきた。その結びつきが,とくに1970年代以降の<開発>,とくに天然資源の採掘,ダム建設などによって壊されようとしている。この点もアジアの先住民族を考えるときに欠かせない。

〈インド〉

 インドでは憲法で<指定部族Scheduled Tribes〉の制度が設けられており,北東部のアッサム地方や中部インドに住む諸民族を中心に,約5000万人,320の民族集団が<指定部族>とされている。こうした民族はアディバシと呼ばれることが多い。とくにインド北東部のメガラヤ州やナガランド州,ミゾラム州では人口の大多数がアディバシである。<指定部族>の多く住む州には自治県や自治地区が設けられ,議会が設置されるなど一定の自治権が認められている。しかし<指定部族>の80%以上が集中するマディヤ・プラディシュ州など中部インドでは,アディバシの集中する地域を<指定地域>とし,州政府が保護政策を進めているが,現実には政策が実施されることはほとんどない。ケララ州ではアディバシの土地を政府が勝手に非アディバシに渡していることに抗議して,アディバシの組織が土地を求める闘いを始めた。またインド北東部のナガランドは47年に独立を宣言したが,インドとビルマはそれを無視し,ナガランドを分断し武力制圧した。それ以降,独立を求める闘いが続いている。

〈バングラデシュ〉

 バングラデシュ南東部のチッタゴン丘陵部には,チベット・ビルマ系の言語を話す13の非イスラム系民族(約60万人)が住んでいる。そのうち最大の民族集団であるチャクマ(35万人)とマルマ(14万人)が仏教徒である。チッタゴン丘陵は,1860年に始まる英国植民地支配下では<チッタゴン丘陵規則>により,一定の自治が認められていた。しかし英領インドからインドとパキスタンが独立するにあたって,バングラデシュ(当時は東パキスタン)に港を確保するため,チッタゴン丘陵もバングラデシュの一部とされた。チッタゴンの諸民族は民族自決の原則を掲げてバングラデシュ国内での自治を求めたが認められていない。またバングラデシュ政府のベンガル人移民政策やダム建設によって,チッタゴン丘陵諸民族の土地権が侵害されている。先住民族は,統一人民党とその軍事部門シャンティ・バヒニを組織して政府に抵抗している。しかし対ゲリラ行動という名目で大量の政府軍が導入され,数限りない暴行・虐殺が繰り返されている。1992年からチッタゴン丘陵先住民族の政治組織である統一人民党とバングラデシュ政府との間で和平交渉が続いていたが、97年12月和平協定が成立、25年に及ぶ内戦が終わる。

〈ビルマ〉

 人口の30%にあたる約1000万人が先住民族である。北部のカチン民族(95万人),西部および南部のカレン民族(190万人),シャン民族(418万人),チン民族,アラカン民族など大きく分けて11の民族が国境付近の森林地帯に住む。日本の敗戦により,戦後再び英国領となったビルマでは,1947年にビルマ国軍とカチン、シャンなどの民族が,10年間は連邦制を維持し,その後は各民族の独立を認めるというパンロン協定を結んだ(カレン民族を除く)。その翌年ビルマは独立するが,その後のビルマ民族主義の政策に反発を強めた各民族は,分離独立を求めて武力闘争を開始した。軍事政権と各民族の内戦は今も続いている。タイとの国境地帯には10のカレン民族難民キャンプがあり,8万人以上の人が避難民として暮らしている。

〈タイ〉

 カレン・ラフ・アカ・モン・ヤオ・リスの6大民族を中心に50〜60万人の先住民族が北部のチェンマイ県,チェンライ県などに住んでいる。こうした先住(山岳)民族のほとんどが,第2次世界大戦後に中国やビルマ,ラオスから国境を越えてきた人々である。そのため先住民族の半数近くはタイ国籍を持っておらず,選挙権などの市民権を行使できないまま暮らしている。95年、タイ政府は<山岳民族>に対して合法的移民資格を与えることを決定した。しかしタイ在住年数や公の証明書取得など,市民権を得るための制限はまだまだ大きい。また,政府による森林政策によって,焼き畑農業を営んできた先住民族の村が強制移動させられる問題,若い先住民女性が売春に追い込まれているという問題,麻薬問題など,タイ社会との接触,急速な貨幣経済の浸透によって深刻な問題に直面している。

〈ベトナム〉

 ベトナムでは,<ベトナム人>という国籍と同時に,ベトナムを構成する諸民族のどれに属するかを示す<民族籍>を持つことになっており,54民族がベトナムを構成する民族として認定されている。総人口の90%を占めるキン民族(5480万人)を除けば,ベトナム北部山岳地帯に住むタイ語系の諸民族と中部高原地帯に住むモン・クメール語系諸民族など,人口数十万人の少数民族がほとんどである。こうした少数民族は,都市部など平地に住むキン民族に比べて,保健・衛生やベトナム語中心の教育などで不利な状況に置かれている。

〈マレーシア〉

 半島マレーシアに住む<オラン・アスリ>と総称される先住民族とボルネオ島サバ州・サラワク州に住む先住民族に大別することができる。<オラン・アスリ>の総数は約7万人,ネグリト,セイノ,プロト・マレーいという三つの主要な民族集団がある。森林伐採やダム・道路建設などの開発政策によって<オラン・アスリ>の土地は奪われ,90年から94年の間に居住地面積が2764ha減っている。またサバ州では,州総人口の半数以上が39の民族集団からなる先住民族に属する。サラワク州では,ダヤクと総称される先住民族(イスラム教のメラナウ民族を除く)が人口の50%近くを占めている。ここでも森林伐採によって先住民族の土地が奪われている。先住民族の慣習法に基づく土地権が一定の範囲で認められてはいるが,実際には政府の開発プロジェクトや森林伐採業者の権利が優先されている。

〈インドネシア〉

 1万3000を超す島々と300以上の民族集団からなるインドネシアでは,東ティモール,西パプア,アチェなどで分離独立を求める闘いが続いてきた。1998年5月のスハルト体制崩壊によって、こうした動きに大きくはずみがついた。小スンダ列島の東端にあるティモール島の東半分を占める東ティモールでは,75年から始まるインドネシアによる軍事侵攻により20万人が死亡したといわれる。インドネシア政府はジャワなどから大量の移民を送り込みティモール人の少数化をはかってきた。 しかし、1999年3月、国連におけるインドネシア・ポルトガル外相会談で結ばれた合意によって、8月30日住民投票が行なわれ、78.5%の人びとが独立を選んだ。ところが、投票直後から激化したインドネシア軍の支援を受けた〈併合派〉民兵(ミリシア)の暴力により、多くの人が犠牲になった。9月20日の多国籍軍の上陸によりインドネシア軍は撤退し、〈治安〉が回復、国連による暫定統治が始まった。

 またアチェ特別州でも、東ティモールの独立に刺激され、独立を求める声が高まった。ニューギニア島の西半分を占める西パプア(イリアン・ジャヤ州)は19世紀にオランダが植民地支配を開始し,63年にインドネシアに併合された。その際に、インドネシア統治下において〈自由選択行為〉という名の自決権行使が行なわれることになっていたが、インドネシア政府はこの国連協定を無視した。その後、スハルト政権はきわめて形式的な〈自由選択行為〉を実施したが、それはパプア人の総意を問うものではなかった。

 インドネシア政府は統治後も<自由パプア組織>による独立闘争を弾圧し住民虐殺を続け,パプアの<ジャワ化>を進めるため移民政策を実施してきた。また,銅埋蔵量世界一のフリーポート鉱山(親会社は米国の多国籍企業)では,現地のアマンメ民族が,土地の収奪や強制移住に抗議している。

〈フィリピン〉

 フィリピンには<トライバル・フィリピーノ>と自称する450万人の先住民族がいる。またミンダナオ島には,分離独立を求めてきたイスラム教徒(バンサ・モロと自称)が住む。先住民族の中でもルソン島北部のコルディレラ民族(約100万人)は先住民族の自決権の確立によるコルディレラ地域自治区の設立を求めている。また東南アジア最大級の規模のサンロケ・ダム建設計画に対しては,コルディレラの先住民から強い反対の声が上がっている。ルソン島中部に住むアエタ【あえた】民族(約6万人、フィリピン各地の山中に暮らすネグリートの1グループ)は,91年のピナトゥボ山噴火により,それまで住んでいた村を追われ,平地に<再定住>することになった。しかし生活の手段をすべて奪われ,<再定住地>にも自活に不可欠な十分な広さの土地が用意されていないため,困窮生活を強いられている。ミンダナオ島にはルマド・ミンダナオ民族(約210万人)が住む。ここでは95年の新鉱山法によって操業を始めたオーストラリア企業による金と銅の露天掘りによって環境破壊が起こり,ブラアン民族やチボリ民族など数千人が強制立ち退きさせられている。97年に〈先住民族の権利法(IPRA)〉が制定され、先住民族の土地に対する権利が、憲法の範囲内で認められるようになった。

(越田清和)

〈台湾〉

 台湾の人口の圧倒的多数は、中国大陸から17世紀以降に渡来した漢族の子孫だが、そのはるか以前から、言語学的にはオーストロネシア(南島)語族に属する原(先)住民が住み続けてきた。その現在の人口は全体の2%にも満たないが、タイヤル族、サイシャット族、アミ族、ブヌン族、ツォウ族、ルカイ族、パイワン族、プユマ族、ヤミ族などのエスニック・グループに分かれ、それぞれの伝統文化を維持してきた。たとえば、比較的近年までアミ族は母系制の社会であったし、パイワン族は長子(初生子)相続を軸とした首長制を守ってきた。

 日本の植民地統治(1895〜1945)は、こうした伝統を大きく変えた。日本政府は、台湾の原(先)住民を日本帝国の臣民に仕立てあげるため、さまざまな政策を実行した。学校教育では、日本人の子どもが通う〈小学校〉および漢人の〈公学校〉とは区別した施設・制度が作られ、原(先)住民の各村には〈蕃童教育所〉が設置され、日本への同化を強いる教育が行なわれた。戦後も、国民党政権下で北京語による学校教育が行なわれ、一時的には〈平地化政策〉によって、平地に住む漢人と生活習慣を同じにする政策がとられたこともあった。

 こうした長期間の同化政策【どうかせいさく】の結果、生活文化は大きく変容したが、近年になって、原(先)住民としての権利を回復するさまざまな運動がわきあがってきている。日本による植民地統治時代に失われた土地権の回復運動、復姓運動(漢民族式の姓名を使わずに、自分たちの名前を発音通りに綴る運動)、母語教育運動などが各地で起こり、民族の尊厳と伝統の回復をめざす運動が高まりをみせている。植民地時代では〈蕃人〉あるいは〈高砂族【たかさごぞく】〉、戦後しばらくの国民党統治下では〈高山族〉もしくは〈山胞〉と呼ばれていたのに対し、現在では〈原住民〉という呼称が正式に憲法で採択されている。それは、この島の主人として台湾に原初から居住していたことが名目的には認知されたことを意味し、運動の成果の一つとして評価されている。(山路勝彦) [太平洋]

 太平洋は何重もの意味で被差別の海であり,また反差別運動が広がる海でもある。太平洋諸島の先住民族への無知と無視とが横行し,太平洋がその周りの国々に属する海のように扱われることも多い。アジア太平洋経済協力会議(APEC)が日米加豪中やASEAN諸国などで構成され,パプアニューギニア以外の太平洋諸島諸国がまったく含まれないというのは,その一例。赤道北側のミクロネシア地域を〈南太平洋〉,太平洋諸国を〈南太平洋諸国〉とする誤記もみられる。広大な海域に小さな島々が散在し,独立国もそのほとんどが人口10数万以下の極小国家だが,本来は彼・彼女らこそ太平洋の主人公たちなのだ。

 太平洋はその名とは逆に,侵略と戦闘そして核の海だった。戦前・戦中は米日など列強の植民地支配と戦争に苦しめられ,戦後も大国の統治下で各地が核実験場【かくじっけんじょう】とされた。マーシャル諸島のビキニ環礁ほか・仏領ポリネシアのモルロア環礁ほか・ジョンストン島・クリスマス島・アリューシャン列島のアムチトカ島などで,これまで米英仏3国が200回を超える核実験を実施。各地で風下の住民たちが動員軍人らとともに死の灰の被害を受けた。1994年以降,米国の核実験による付近住民の被曝は計画的な人体実験との疑惑を示唆する公文書が公開され,マーシャル諸島共和国政府は事実関係の再調査を要求している。

 75年以来,核兵器と原子力発電に反対し,真の独立を求める反核独立太平洋運動【はんかくどくりつたいへいよううんどう】Nuclear Free and Independent Pacificが広がる。国際事務局は〈太平洋問題情報センターPacific Concerns Resource Center〉で,フィジーのスバ市に置かれている。日本政府は79年に原発からの放射性廃棄物を西太平洋で投棄する計画を発表したが,太平洋諸島の民衆と諸政府からの強固な反対にあって断念に追い込まれた。こうした反核意識を背景に,諸島各国が〈非核憲法〉を制定し,85年には〈南太平洋非核地帯設置条約【みなみたいへいようひかくちたいせっちじょうやく】(ラロトンガ条約)〉も採択された。

 また地球温暖化【ちきゅうおんだんか】による海面上昇で、ただでさえ小さな国土の水没が懸念されるようになった。諸島諸国は南太平洋地域環境計画(SPREP)等を通じて協力を深め、NGOとも連携して、92年に開催の地球サミット(国連環境開発会議)から98年の第4回気候変動枠組み条約締約国会議(COP4)にかけて、温室効果ガス削減などに向けた働きかけを強めている。(横山正樹) [オーストラリア]

 豪州の先住民族(いわゆるアボリジニー諸民族とトレス海峡諸島民)は,ヨーロッパ人の侵略が本格化した18世紀末以来,さまざまな形で差別・人権侵害を被ってきた。それは単なる個人的な暴虐にとどまらず,むしろ制度的政策的なものであったという点に注意すべきである。入植者による虐殺,性的虐待,強制移住,言語・宗教の禁止や親子隔離をも伴う強引な同化政策,そして環境破壊による生業基盤の崩壊などによって,先住民族共同体は物理的にも精神的にも癒し難い傷を負わされた。多くの地域で伝統的部族社会は壊滅させられ,人々は都会に流出して経済的下層を構成し,あるいは僻地の牧場や農園で奴隷的労働を余儀なくされた。伝統文化がかろうじて存続した内陸沙漠地域や北部森林地域においても近年の鉱物資源開発に伴う社会変化の波にさらされている。この結果,都市・僻地を問わず失業,アルコール依存症,ガソリン吸引中毒(ペトロ・スニッフィング),麻薬問題,家庭内暴力,警察官による虐待,異常なまでに高い率でおこる留置場内での自殺や不審死(いわゆるデス・イン・カスタディ=拘禁死問題)などの社会問題に先住民族はさいなまれて現在に至っている。

 もちろん政府も先住民族自身も,事態をただ座視してきたわけではない。1967年に国民投票を踏まえて憲法改正し,先住民族に市民権を認めると同時に,いわゆる<人種条項【じんしゅじょうこう】>を導入(連邦政府に先住民族のための積極措置を講ずる権限を付与)して以来,医療・福祉・教育・職業訓練をはじめ,法的経済的な各種の支援措置がとられてきた。各地で先住民族の自助組織が設立され継続的に活動してきたことも特筆に価する。しかし,これら対症療法的な措置が一定の実績をあげてきたにもかかわらず,先住民族がおかれている状況は根本的なところでは改善されず,差別や社会問題はその時々で形を変えつつ強固に存続してきた。 先住民族の文化と経済の基盤である土地および海の権利を不当に奪ってきたことに対する歴史的謝罪と補償がいまだ不十分であることが原因と考えられる。司法上は92年のマーボ判決と96年のウィック判決(ともに連邦最高裁)により先住民族の土地権・先住権【せんじゅうけん】は部分的ながらも復活認定されており,行政がこれをいかに実行していくかが問題である。96年の政権交代以降,豪州政府の先住民族政策は著しく後退しており,内外での厳しい批判にさらされている。

(細川弘明)

[ニュージーランド]

 ニュージーランドの総人口の約13%を占める先住民族マオリ(1996年現在約43万人)の権利保障については大別して三つの局面で考えることができる。第1は,統計的に顕在化する状況であり,たとえば失業率20%(平均の約3倍),刑務所収監者に占める比率(人口比の約4倍)など,被差別弱者としての位置は明白である。第2に,個人に対する人権侵害である。福祉制度・政策がそれなりに充実した同国において,マオリ個人に対する差別は見えにくい面もある。日常生活,友人関係,通婚実態などを見る限り,マオリと白人の関係はひどく悪いというわけではない。しかし,第3の局面,すなわち集団としての法的地位において,マオリの<2級市民>的立場は厳然とある。1840年に英国王室とかわしたワイタンギ条約でマオリは土地水域の共有権・利用権・漁業権を保障されたはずだったが,現実には同条約は長い間無視された。土地を不当に奪われたマオリの多くは都市に流入して貧困層を形成した。同条約を再評価する近年の政策も,差別を生み出した根本原因である土地権問題を解消するに至っていない。マオリは国会に特別議席4を与えられているが,その数は国会定数の増加やマオリ人口比の増大にかかわらず19世紀以来ずっと据え置かれている。マオリ語は名目的に<公用語>と認定されながら公的使用は著しく制限されている。ワイタンギ条約150周年(1990)を契機にマオリの抗議行動が激しくなるにつれて,白人側の反動(マオリ文化施設への焼き打ち事件など)も目立ち始めた。

(細川弘明)

[ロシアの北方]

 ロシア自体が北国であるため,<ロシアの北方>がどの地域を指すのかは定かではない。ここでは大まかに,ウラル山脈の西では北極圏を,東ではシベリアとしておく。

 ロシアの東部北極圏には主としてサーミ(1970年のソビエト国勢調査では2000人強)が,そしてシベリアには大きく分けて26の少数民族が約100万人分布していると考えられている。シベリアの少数民族で,10万人を超える民族は三つしかない。ブリヤート(1970年のソビエト国勢調査では31万人強),ヤクート(30万人弱),トゥヴァ(14万人弱)である。有名なツングース(現在ではエヴェンキという)でも2万5000人程度である。

 定住し始めたロシア人と遊牧民サーミとが接触したのは17世紀前半らしい。一方,ロシア人が資源を求めて組織的に武装集団をシベリアに派遣し,これまた遊牧民であった先住民と衝突し始めたのは17世紀末であった。

 ロシアのサーミが北欧のサーミと共通の言語・文化・伝統を保持していたのに対し,シベリアの少数民族はウゴル系,アルタイ系,モンゴル系,ツングース系など,いくつかの言語族に属する派生言語を話していた。つまり,彼らは相互に独立した文化伝統を保持していたのである。その一方で彼らの世界観や信仰(シャーマニズム)には共通性もみられたという。

 革命(1917)後のロシアの民族政策は,<民族自決>と<中央集権>という,相互に矛盾する政治目標のはざまにあって揺れた。1920年代にあっては前者に重点が,ナチと日本の脅威に挟まれる30年代に入ってからは後者に重点が移動した。具体的な指標として民族言語を例にとると,38年頃までは,少数民族の固有の言語が尊重されたが,第2次世界大戦が始まるとロシア語が<国家語>に近い地位を占め,この同化政策は戦後いっそう顕著になった。現在では,どの民族の若者も流暢なロシア語を話すようになった。ペレストロイカ以降では,各民族の独自性の主張が強まっている。(新保 満)  

[スカンディナヴィア]

 スカンディナヴィア半島北部に広がる通称ラップランド地域,およびロシアのコラ半島地域に先住少数民族サーミが住む。〈ラップ〉は〈辺境民〉という原義をもつ侮蔑的他称であるため,今日,公的には用いられていない。

 祖父母の代までさかのぼっての母語の申請と本人の民族意識とを規準とした最近の民族人口調査では,ノルウェーに4万5000人,スウェーデンに2万5000人,フィンランドに5700人,ロシアに2000人の総計約8万人だとされる。その民族言語サーミ語は,ウラル諸語のフィン・ウゴル系諸語に属する。

 スカンディナヴィア山脈のツンドラ高原地域でトナカイ遊牧を続けてきた〈山岳サーミ〉や,北極海沿岸で海洋漁労を続けてきた〈海岸サーミ〉など,生業構造に地域色が認められるが,全体としてはトナカイ飼育,漁労,狩猟,採集活動のすべてを組み合わせて,厳しい自然環境を十分に利用してきた。ただし,今日,これらの伝統的生業活動に従事するサーミはごく少数派である。

 スカンディナヴィア3国では,国家が認めた民族議会があり,サーミが集中して住む北部自治体でサーミ語が公用語に定められるなど,先住民族としての復権が進んでいる。サーミは,3国共同の民族議会である北欧サーミ会議,その執行機関である北欧サーミ評議会,民族文化の生存・発展のための研究機関である北欧サーミ研究所をもち,世界の先住民族の復権運動をリードする立場にある。1992年以降は,これらの民族組織にロシアのサーミも参加している。

(葛野浩昭)

[カナダ]

 カナダにおける先住民は,認定インディアン,メーティス(フランス系白人との混血とその子孫)とイヌイットの三つのカテゴリーに法的に分類されている。その総数は100万人余り(国勢調査では50万人余り)と推定されている。イヌイットやクリーなど極北・亜極北に住む先住民を除けば,カナダの先住民のうち6割以上の人々はリザーブ(指定居住区)を離れ都市部で生活している。1970年代以降,エスキモーはイヌイット,インディアンはファースト・ネーションズ First Nationsと呼ばれるようになった。

 ヨーロッパ人と接触する以前には,北米の極北ツンドラ地帯にイヌイットが,亜極北地域以南にはインディアンの諸民族が住んでいた。15世紀末以降にヨーロッパ人と接触し始めたカナダ先住民は,その後,ヨーロッパ人と毛皮の交易などを通して平等な経済関係を結ぶが,近代的な技術と資本をもつ植民・移民者の大量流入により,人口と政治経済的な面で少数民族となった。さらに合衆国やカナダという国家の成立によって,先住民は国境によって分断されたり,国民国家の中に取りこまれた。国家は主流社会への同化政策を先住民に実施してきた。その政策は先住民族の言葉や生活様式を否定し,欧米化させることに主眼が置かれていた。さらに主流社会の側には,先住民は政府から支給された金で酒ばかり飲み,何もできない人間というイメージが形成され,先住民は差別と偏見の対象となった。

 しかし1960年代に入って先住諸民族の権利を回復するための運動が盛んになり,先住民権に関する〈ニシュガ(コルダー)・ケース〉が結審した73年からはカナダ政府も彼らと先住民権について政治的に話し合うようになった。82年に制定されたカナダ憲法では先住民族の権利の保障が明記された。その結果,政治的自立や,文化や言葉の保全を主体的にめざす先住民族グループもでてきた。たとえば,(旧)北西準州と北ケベックに住むイヌイットはカナダとの政治交渉を終え,前者は〈ヌナヴト協定〉(1993)を,後者は〈ジェームズ湾および北ケベック協定〉(1975)を締結し,国民国家の枠の中で独自の歴史と文化をもつ民族として生きる道を実現しようとしている。1999年4月1日には,新しい準州ヌナヴトが誕生した。ヌナヴト全住民の80%はイヌイットであり,実質的には先住民イヌイットの準州ができたことになる。

(岸上伸啓)

[アメリカ]

 1960年代までは<アメリカのインディアン American Indian>という表現が使われてきたが,少数派集団の人権意識が高まった60年代末からは<インディアン系アメリカ人 Indian American>または,〈最初のアメリカ人 First American>となり,現在では<先住アメリカ人 Native American>に定着した。

 アメリカの先住民族はモンゴル系人種に属し,紀元前2万5000年頃から同1万2000年頃にかけて,当時は陸続きであったベーリング海峡を経てアジアから移住し,その後しだいに北米から中米へ,さらに南米の南端にまで広がった。ヨーロッパ人が到達した15〜16世紀,現在のUSAにあたる地域には推定200万から300万の先住民族が住んでいたが,500余りの部族が統一されずに狩猟・採集生活や農耕生活を営み,言語の系統さえ50以上に及んでいた。土地を個人の所有とは考えず,大自然の精霊とともに自然に融けこんだ生活を送っていたので,西欧契約社会の侵入は典型的な異文化との接触であった。

 大西洋岸から侵入してきたイギリス人やフランス人は,未知の大陸での生活をこれら先住民族に救われたり教えられたりしながら,植民地を拡大した。現在アメリカは世界最大の農産物輸出国であるが,その農産物の種類の3分の2近くは先住民族に教えられたものであり,トウモロコシをはじめ,ピーナツ,ココア,やまいも,じゃがいも,いんげん,タピオカ,かぼちゃ,メロン,さらに綿花やタバコに至るまで,何種類もの重要な農産物が含まれている。

 しかし東海岸でアメリカ人が独立し,西部開拓を進めるようになると,建前上は先住民各部族と条約を結んで土地を割譲させたが,そのうち条約を破って侵入したり,強制移住法を制定して追放したり,あるいは武力を使って虐殺するようになった。このため19世紀後半には人口が激減したが,これらはすべて白人が先住民族を対等の人間とは考えない白人中心の人種主義思想 White Racism によるもので,その後たくさんの小説やハリウッド映画が先住民族だけを悪者にして,白人の西部開拓を妨害する凶悪な野蛮人というイメージを作り上げた。

 60年代に高まった黒人革命は他の少数派集団にも大きな影響を与え,68年には<ブラック・パワー>に呼応して先住民族は〈レッド・パワー〉を叫び,復権運動を全国レベルで展開した。70年の「ソルジャー・ブルー」を皮切りに,ハリウッド映画も先住民族に対する評価を一変させた。1975年、政府は先住民族の〈自己決定 Self・determination〉の権利を認め、先住民族の権利は着実に回復されつつある。一方、現在、全米には286カ所の先住民族居住地【せんじゅうみんぞくきょじゅうち】Indian Reservationがあり約200万人の先住民族のほぼ3分の2がその中に住んでいる。その居住地の多くは荒野にあり、住民の多くがいまなお貧困であるという現実もある。(猿谷 要) [中南米]

 1492年コロンブスが〈新大陸〉をインドと誤認して以来,〈インディオindio〉,〈インディアンindian〉は中南米の先住民を指す名称となったが,〈未開人〉〈野蛮人〉〈無能力者〉など侮蔑の意味を含み差別用語であるとの見解から,近年〈インディヘナindigena〉に改められた。スペイン、ポルトガル,フランス,イギリス,オランダによる南北アメリカ大陸の植民地化は,アステカ、マヤ、インカの文明を崩壊させ,自然との共生を重要視する先住民族の価値観や文化を否定し,キリスト教への改宗,征服国の言語・教育の強要,強制労働と租税の加重,土地略奪による生活権の侵害など幾重もの社会的・政治的抑圧と人権蹂躙の歴史を生みだした。

 中央アメリカにおける先住民族総人口は約1300万人。大多数は農民であり,多国籍企業を含む資本家や大地主を支援する政府により、独裁的に土地略奪,虐殺,拷問監禁,村からの強制退去,都会への移住による貧困,白人層だけでなく近代化により増加した〈メスティソmestizo〉(先住民族と白人の混血)からも最底辺層として差別されるなど,民族差別の根は深い。20世紀から土地問題を中心に民族自決権を求め各国で政府軍と農民ゲリラとの抗争や先住民族運動が活発化。 1994年以降,メキシコ・チアパス州サパティスタ国民解放軍(EZLN)と政府軍の抗争が激化。グアテマラ,エルサルバドル,ニカラグア,ホンジュラスでも同様の抗争が政府軍に鎮圧された。このような動きと並行して〈第1回先住民サミット〉(1993)開催や,〈国際先住民族の10年〉(1994〜2004)を国連で採択させたグアテマラ・キチェ族のノーベル平和賞受賞者(1992)リゴベルタ・メンチュ女史の活動,サルバドル・インディヘナ民族協会(ANIS)や,中央アメリカ・インディヘナ組織評議会など,先住民族活動組織が活発化していった。

 南アメリカにおける先住民族の総人口は約1500万人を超え,ケチュア族,アイマラ族などアンデス山岳民族が多数を占めている。アマゾン川流域に居住する低地民族は,森林伐採によって生活権を奪われた。このほか道路工事やダム工事による土地略奪(アカワイオ、カヤポ,カイオワ,マプーチェ族),虐殺による民族抹殺(チマ、モホ、チヒーマ族),水銀汚染によるヤノマミ族1万6500人病死,石油や鉱山採掘による水銀汚染などの数々の人権侵害に対し,87年アマゾン川流域先住民族組織連合(COICA)が結成された。その他,コロンビア・インディヘナ民族協会,エクアドル・インディヘナ民族同盟などの先住民運動組織も自らの自決権を求めて闘っている。

(ゴンザレス・ダリオ)

参考文献

  • 上村英明『世界と日本の先住民族』(岩波書店、1992)
  • 同『先住民族』(解放出版社、1993)
  • 解放出版社編『アジアの先住民族』(1995)
  • 上村英明・チカップ美恵子・村田由彦『アジア・太平洋の先住民族』(解放出版社,1997)
  • ジュリアン・バーガー『世界の先住民族』(明石書店,1992)
  • 「アジアの先住・少数民族」(『オルタ通信』4月号,1994)
  • 国立国会図書館調査及び立法考査局編『外国の立法 第32巻2・3合併号,先住民族』(1993)
  • 古田元夫『ベトナム人共産主義者の民族政策史』(大月書店,1991)
  • Nicholas,Colin/Singh,Raajen(ed.),Indigenous Peoples of Asia(Bangkok:Asia Indigenous Peoples Pact,1996)
  • 細川弘明「先住権のゆくえ」(西川長夫他編『多文化主義・多言語主義の現在』人文書院、1997)
  • Kawharu,I.H.,Waitangi: Maori and Pakeha perspectives of the Treaty of Waitangi(Oxford University Press,1989)
  • J.Forsyth,A HISTORY OF PEOPLES OF SIBERIA(Cambridge U.P.,1992.)
  • N.Volkov,THE RUSSIAN SAMI(Nordic Sami Institute〈Norway〉,1996)
  • 葛野浩昭『トナカイの社会誌』(河合出版,1990)
  • 岸上伸啓『極北の民 カナダ・イヌイット』(弘文堂,1998)
  • 新保満『カナダ先住民デネーの世界』(明石書店,1993)
  • スチュアートヘンリ「北ケベックのイヌイット」(西川長夫他編『多文化主義・多言語主義の現在』人文書院,1997)
  • 富田虎男『アメリカ・インディアンの歴史』(雄山閣,1982)
  • 上田伝明『インディアン研究の旅』(法律文化社,1994)
  • C.W.ツェーラム『最初のアメリカ人』(寺田和夫他訳、新潮社,1971)
  • 『ラテンアメリカを知る事典』(大貫良夫他監修,平凡社,1987)
  • ジュリアン・バージャー『世界の先住民族(図説)』(綾部恒雄監修,明石書店,1995)

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Last-modified: 2015-12-03 (木) 21:09:50 (1411d)