千葉県【ちばけん】

[現状]

 千葉県は少数点在といわれる東日本の中でも被差別部落が少ないところである。1996年(平成8)に千葉県が行なった〈同和地区実態調査〉では,いわゆる指定地区が19地区,659世帯,2277人となっている。そのほかに未指定地区が20地区あるが,そのうちほとんどの地区は極少数部落である。100世帯以上の部落は県内に2地区しかない。被差別部落の生活実態を,上記の実態調査からみると,生活保護率が県平均3‰に対し地区では6.6‰と倍になっている。住民税課税標準額によって所得階層をみてみると,60万円以下が県平均13.4%に対し地区45.7%,60万-200万円まででは県平均39.6%に対し地区32.1%,200万円以上では県平均47.0%に対し地区22.2%で,依然として生活格差は解消していない。農業経営についてみても,50a以下の農家が県平均29.2%に対し地区41.6%。逆に201a以上の農家は県平均13.2%に対し地区0.8%と,零細な経営規模のものが多い。就業構造をみると,第1次産業が県平均5.7%に対し地区1.8%,第2次産業が県平均29.5%に対し地区44.0%,第3次産業が県平均64.0%に対し地区54.2%となっており,いわゆる現業職・労務職への就業比率が高い。

 同調査では県内の被差別部落住民1085人を対象に〈被差別体験調査〉を行なったが,〈あなた,あるいはあなたの身の回りの人の被差別体験〉を聞いたところ,〈ある〉が520人(47.8%),〈ない〉が552人(50.8%)となっている。差別意識の存在も依然として根強い。このことを反映して76年(昭和51)の部落解放同盟千葉県連の結成以来,69件の差別事件が,同県連によって取り上げられている。

[前近代]

 千葉県の部落問題についての歴史的文献史料は皆無に等しく,正確に記すことは難しい。江戸時代,千葉県は,下総【しもうさ】,上総【かずさ】,安房【あわ】の3国に分かれていた。強力な藩はなく,下総に,関宿,佐倉,上総に,久留里,大多喜の各藩があり,県全体に幕府の天領が多かった。部落は,県内約40カ所に点在しているが,それぞれの経緯は明らかでない。関宿町,野田市,柏市,酒々井【しすい】町に,比較的戸数の大きな部落があり,県南部には少数点在部落が多い。関宿町,野田市は,江戸川,利根川の合流地点にある。この産業・軍事の要所を押さえ,利根川改修工事に動員するという必要から,大きな部落が配置されている。また,野田・関宿を貫いて〈旧日光街道裏往還〉という,幕府にとって重要な街道があり,その警備の役割もあったようである。酒々井町を含む佐倉藩が当時県内最大の藩であったことが,酒々井の部落世帯数の大きさに関連している。県南部には政治・産業の要所はなく,部落の世帯数も少ない。

[融和運動]

 県内の融和政策は,1922年(大正11)の地方改善予算の執行から始められ,井戸・便所・公会堂・作業所の新改築などが取り組まれた。全県的融和団体は存在せず,県社会課の主導で行なわれていたが,酒々井町,佐原市では融和団体がつくられ,*中央融和事業協会との連絡があった。その他,融和団体のなかった部落でも同様の事業が取り組まれたり,県主催の会議に部落の代表が参加することもあったが,全般的にみて,大きな運動とはならなかった。

[解放運動]

 県内の水平社運動は,ほとんど組織されなかった。1924年(大正13)には,関宿町に千葉県水平社【ちばけんすいへいしゃ】本部がおかれ,差別糾弾闘争が展開されたが,28年(昭和3)頃までには自然消滅していった。それ以降も,全国水平社委員長*松本治一郎,埼玉県水平社委員長*野本武一のオルグが続くが,組織の確立をみることはできなかった。戦後も運動の空白が続くが,1960年代後半に,解放同盟埼玉県連と連絡をとって,関宿町で運動が始まった。一方74年には,東京都連と連絡をとって,酒々井町,佐倉市で解放同盟の支部を結成。両者が合流して76年11月28日に解放同盟千葉県連が結成された。以降,差別糾弾闘争と行政闘争を柱に運動が進められ,千葉県同和対策総合計画,同和教育基本方針などの策定をかちとり,部落の生活改善と差別意識の解消に取り組んできた。97年(平成9)現在,解放同盟の組織は,13の部落に11支部が結成されている。そのほかに*全日本同和会と*全国部落解放運動連合会の支部が野田市に1支部ずつ存在する。

 解放運動に連帯する県内の運動としては,千葉県同和教育研究協議会(県同教)、同和問題にとりくむ千葉県企業連絡会(千葉同企連)、同和問題にとりくむ宗教教団千葉県連帯会議(千葉同宗連)などが結成され,活動している。

 また,87年には部落問題の啓発,教育の推進を目的とした千葉県部落問題啓発センターが官民結集で結成され,94年には社団法人認可。96年には名称を千葉県人権啓発センターに変更して活動している。同センターは97年現在,40団体,142個人会員で構成されている。

[戦後の行政・教育]

 県の同和行政が本格化するのは,解放同盟県連の結成以降で,1976年(昭和51)に千葉県同和対策総合計画,78年に千葉県同和教育基本方針が策定された。県庁には同和対策室,教育庁には同和教育対策室が設置され,13市町村中,7市町村に同和対策課・室がおかれている。法・政令で定められた事業のほかに,県単独で,少数部落向けに,環境改善,農業対策事業が行なわれたり,高校生向け自動車運転訓練などが取り組まれている。千葉県の同和教育は,78年に起きた千葉南高差別教育事件【ちばみなみこうさべつきょういくじけん】の糾弾を契機に始まった。78年に同和教育対策室が設置され,「千葉県同和教育基本方針」を策定。80年には,官民合同で千葉県同和教育推進協議会【ちばけんどうわきょういくすいしんきょうぎかい】が結成され,81年に答申を出している。また,90年(平成2)には,千葉県の同和行政に関する諮問機関として千葉県同和問題協議会が設置され,官民各界の識者が参加し,95年,97年にそれぞれ同和問題の解決についての意見書を県に提出している。96年に県は,従来の同和対策室を改組,改称し,人権啓発室に改めるとともに,人員を増やして部落問題に限らずあらゆる差別と人権に関する窓口部局としている。

 一方,同和地区を指定している13の市町は千葉県同和対策事務連絡会を組織し,横の連携をはかっている。97年には,これまで同和対策係しか設置していなかった佐倉市が〈差別撤廃人権尊重都市宣言〉をしたことを受けて,人権推進課を設置した。また,指定地区を抱えていない松戸市では,市内で発生した差別事件への反省から,市長部局,教育委員会のそれぞれに人権担当専任官3人を配置し,新しい行政の動きを示している。

参考文献

  • 『平成8年度 千葉県同和地区調査概要』(千葉県,1996)
(鎌田行平)

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Last-modified: 2015-12-03 (木) 21:09:50 (1411d)