天皇制【てんのうせい】

 <天皇>の呼称は,日本の律令国家のもとでの王権の名称が始まりである。唐の皇帝の呼称として使用されたそれまでの<大王>に代わり,天武帝(672〜685)より用いられ定着をみたとする説が有力である。天皇制は,天皇を絶対者とした日本の国家機構を指す用語として,昭和期のマルクス主義者により使用され,とりわけ天皇制打倒を目標とする*日本共産党のいわゆる<32年テーゼ>に登場したことで有名となった。戦後からは,象徴天皇制など多様な政治的統治用語として使用された。

〈前近代〉

 日本の天皇は,特定の家系とその周縁貴族に世襲的に独占され,皇祖神をはじめとする天神地祇などの祭祀執行者の側面をもち,<きよめ・けがれ観念>と深い関係があった。また,周辺の豪族から議政と執政をうける体制を形成していった。平安期の摂関政治では貴族を姻戚にもち,摂政・関白に任じ,鎌倉期以降でも武士を征夷大将軍に任命,対立しながらも武家との共存を果たした。ここに身分体系として貴・士・平民・賤民の序列化が形成された。平安期末から南北朝期にかけて武家・社寺などの権門に対して,職人などの特権の獲得行為にみられるように、人々は身分・職業上の特権の庇護を求めた。被差別民の場合,特権をうたった<*河原巻物>が残されており,単に偽文書とは言えない部分も含まれていた。江戸期になり,天皇の行動は<禁中並公家諸法度>に基づき幕府から直接規制を受けたが,幕末には佐幕と尊皇攘夷の象徴的位置としてふたたび政治の場に登場する。

〈近代〉

 明治維新後は公家・社寺勢力を改組しながら近代社会への取り入れをはかった。一方,武家支配の解消を行ない,旧大名や有力志士層を華族に包括して、支配者層の矛盾の解消につとめた。この華族のなかに旧公家,旧大名,維新の功労者を含め,行政・軍事・学術・産業など各界の有力者を漸次編入して、大日本帝国憲法制定(1889)後は貴族院議員として遇した。また,華族制度【かぞくせいど】を維持するため,世襲者には財政的特権を付与し,対外的な体面を保持させることで天皇制権力の基盤を拡大した。

 明治国家の成立過程で,天皇は法・政治・経済・社会の諸体制のなかに基盤をもった。その経済的基盤は本来は国有財産とされるべき広大な耕地・山林・原野や,資本主義的所有に基礎づけられた債券・株券・預金などによって成り立っていた。このことは国内で行なわれた*地租改正,殖産興業政策など営業と所有の自由のなかで,皇室の利益が拡大するという意味を持っていた。

 一方,被差別部落の生活上の諸特権と負担は,いわゆる*<解放令>によって消失した。皮革,肉,履物などの産業は,その後,産業革命の進展のなかで競争の波にさらされ,警刑役,掃除役なども警察・衛生体制の整備のなかでなくなった。また<非人芸>に代表される大衆的伝統芸も,〈違式_違条例〉をはじめとする取り締まりや,居住する貧民窟の*スラム・クリアランスによって移転・拡散があり,道徳的取り締まりのなか性モラルを問われていく。

 また,維新政府の国家形成の基盤は,<*壬申戸籍>にみられる全国民の造籍にあった。国民の把握は行政上必要なことで,所有・相続・徴税・徴兵・教育・選挙権など権利と義務の拠り所となった。ここに前近代的諸身分の国(臣)民的編成が始まった。

 明治4年(1871)の<解放令>はあくまで法的解放であり,社会的解放ではなかった。戦前の社会的共同体(血縁・地域・企業)は部落の参入を拒否。政府や自治体の教育や啓蒙活動に対しても無視・反発・暴行がみられた。

 このように近代化が進むなか,解放の期待を持続させるシステムが成立,さまざまな天皇制融和主義,改善主義の根源を形成した。政府が部落問題に関心を示し対策を考慮しだしたのは,日露戦争後の農村窮乏と戸籍作成も困難な都市貧民の激増,さらに*地方改良運動に伴う感化救済事業の展開のなかで,被差別部落の存在が無視できなかったことにあった。

 また,被差別部落の*大逆事件への関与(誤報),*米騒動への参加率の高さ,*全国水平社の*糾弾と階級闘争への参加が,地域社会に動揺を与えたことによる。水平社は徹底的糾弾をもって差別に対応したが,この糾弾は,小学校,華族社会(黒田・徳川批判),軍隊,本願寺などの差別事件にみられた。*水国争闘事件,*福岡連隊差別事件,*天皇直訴事件などには,天皇も深い関心をもっていたといわれている。

 他方,<解放令>は被差別部落にとって天皇への臣民的帰属と統合をもたらし,国民との同質化(平等)を期待させるものであった。その一体感は,*洞部落強制移転問題に部落の有力者が積極的に関与したこと,さらに日中戦争後,<一君万民の協同体国家の建設>をめざす*部落厚生皇民運動に対し,<東亜新秩序の建設>を唱えた水平社が*大和報国運動に参加するなど,ともにアジア民族〈解放〉を部落解放と重ね,さらに天皇を日本民族のみならず,アジア諸民族の統合的象徴とみなしたことなどに表われている。

〈戦後〉

 新憲法体制による象徴天皇制のもと,参議院開会式の際,天皇に背を向けて進退するという*松本治一郎の行為(*カニの横ばい拒否事件)は,天皇神格化の慣習儀礼を拒否したものであった。それは国民の側からする,適切な新憲法受容の表現であり,部落民からする天皇民主化の表示であった。戦後の天皇は国家の儀礼・外交の一端を担うが,伊勢神社参宮・即位などの式典,その国家的機能への関与の程度を周辺諸国から注目されている。また天皇の地位と機能・役割などと被差別部落との文化的構造上の関連も,将来にわたって究明を受けていくものと思われる。

参考文献

  • 酒巻芳男『皇室制度論』(岩波書店,1934)
  • 久野収・神島二郎『天皇制論集』全2巻(三一書房,1974・75)
(秋定嘉和)

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Last-modified: 2015-12-03 (木) 21:09:51 (1295d)