日本軍〈慰安婦〉問題【にほんぐんいあんふもんだい】

〈歴史〉

 1931年(昭和6)日本は中国東北部への侵略戦争を起こすが、上海事変(1932)で強姦事件が多発、その防止策として日本陸海軍が慰安所を設けたのが始まり。日中全面戦争(1937.7〜1945.8)で日本は多数の兵力を送り、占領地で軍慰安所を設けるが、とくに南京大虐殺(1937.12)以降多く設置していった。北支方面軍参謀長が38年6月27日に出した〈軍人軍隊の対住民行為に関する注意の件通牒〉では頻発する強姦事件が〈深刻なる反日感情を醸成せる〉とし、〈速に性的慰安の設備を〉と求め、約10カ月後、華南方面の第21軍司令部は慰安所の状況を〈慰安婦〉約1000人と「戦時旬報(後方関係)」に記している。設立目的は強姦防止のほか、性病予防、兵隊の慰安、スパイ防止にあり(吉見義明『従軍慰安婦』、1995)、アジア・太平洋戦争(1941〜1945)で日本軍は、東南アジア、太平洋地域の占領地域に軍慰安所を設置していった。

〈実態〉

 〈慰安婦〉とされた女性の総数は8万とも20万ともいわれるが、正確な数字は不明。朝鮮人がもっとも多く、日本人,台湾人、中国人、フィリピン人、ベトナム人、インドネシア人、オランダ人が公文書で確認されている。朝鮮人女性が多いのは民族差別に起因し、占領地で連行されたケースも同様である。韓国の歴史家・姜万吉は、当時の新聞報道から39年3月に朝鮮南部地方を中心に,16歳くらいの女性約150人が誘拐されて中国各地に売り飛ばされていた事実や、4年間に朝鮮北部を中心に約100人の女性を誘拐した犯人が逮捕された事件を紹介しているが(「日本軍"慰安婦・223Aの概念と呼称問題」韓国挺身隊問題対策協議会真相調査研究委員会編『日本軍牋岼舵忰疚簑蠅凌秦蝓戞1997)、被害女性の数々の証言では業務詐称、恫喝、脅迫、暴行などで〈慰安婦〉を強要された事例がもっとも多く、中国、東南アジアなどの占領地では、日本軍が直接地元女性を拉致するケースが多発した。

 慰安所は軍の設置・経営、民間委託などの諸類型があるが、いずれも軍の統制、慰安所規定のもとに運営され、被害女性たちは外出区域、時間も制限され、拒絶、廃業等の自由などまったくなく、実質は軍隊での性奴隷だった(日本軍〈慰安婦〉問題を討議した国連人権委員会の1996年2月のクマラスワミ特別報告書【くまらすわみとくべつほうこくしょ】は〈軍事的性奴隷制〉と定義している)。軍と共に行動することを強制された結果、戦闘、病気などで死亡したり、東南アジア、太平洋地域では戦争が終わると現地に放置されたりした。一方、戦後1990年代の被害女性による告発をまつまで、賠償責任など問題にすらならなかった。

〈経過〉

 日本軍〈慰安婦〉問題が未清算の戦後補償問題として浮上したのは、韓国の女性たちの指摘からだった。88年5月、韓国の女性市民団体はアメリカのテレビ番組で、ビルマに連行された〈慰安婦〉について〈自ら志願して日本帝国の勝利のために命までかけた〉とする元日本人将校の妄言に抗議(『朝鮮日報』1988.5.26、方善柱「アメリカ資料にあらわれた韓国人『従軍慰安婦』の考察」國史編纂委員会『國史館論叢』37号、1992)。90年(平成2)1月、韓国で梨花女子大学教授・尹貞玉が被害女性たちの聞き取り調査を新聞に連載。同年5月、盧泰愚大統領の訪日前に韓国の3女性団体が日本政府に対して真相究明と謝罪要求書を発表。さらに91年8月、日本軍〈慰安婦〉を強要された韓国人女性・金学順【きむはくすん】が自らの体験を韓国で初めて公表し,日本政府を告発した。

 日本政府は当初、〈民間業者が軍とともに連れ歩いた〉(1990.6.6、参議院予算委員会における労働省職業安定局長の答弁)としていたが、フィリピン、台湾、マレーシア、インドネシア、中国、朝鮮民主主義人民共和国、オランダの女性たちが名乗り出て、加えて軍の関与を示す資料が次々に発見され、93年8月には、〈慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した〉との内閣官房長官談話(以下、談話)を発表。日本軍〈慰安婦〉制度を創出し、〈慰安婦〉を管理・統制した事実を政府自ら認定した。

 〈談話〉の登場は、日本軍が〈慰安婦〉制度を創出したとする一定の歴史認識とあわせて、重大な人権侵害を受けた被害女性に対する名誉回復策こそ急務だとする共通認識が確立されてきたことを意味する。97年から文部省検定済中学校社会科教科書(歴史的分野)に日本軍〈慰安婦〉問題が掲載されたのは、この共通認識を受けて、〈談話〉にある〈歴史の真実を回避することなく…歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を長く記憶にとどめ、同じ過ちを繰り返さない〉との政府姿勢を具現化したものといえよう。一方、国際的な世論の広がりもある。92年8月、韓国で〈慰安婦問題アジア連帯会議〉が開かれアジア7カ国の参加者が真相究明、賠償・補償などを盛り込んだ決議を採択。93年8月のウィーンでの*世界人権会議開催は,日本に〈談話〉発表を促したともいえる。

〈課題〉

 しかし、政府は道義的責任は認めても,国家責任には応じていない。戦争被害補償は52年のサンフランシスコ講和条約や各国と締結した二国間条約・協定で国際法上すべて解決済みとし、かわりに民間で募金を募る〈女性のためのアジア平和国民基金【じょせいのためのあじあへいわこくみんききん】〉(1995.8〜)支給で被害者救済をはかろうとしてきたものの、被害女性で拒否する人たちが出ている。また日本国家の関与を否定し、〈強制の事実はない〉として歴史を捏造する国家主義キャンペーンも台頭、教科書での〈慰安婦〉掲載削除を求める攻撃も生じた。〈慰安婦〉問題の追及は、侵略戦争、軍国主義がいかに人間性を破壊するかを直視する営みであり、これらの攻撃は逆に、戦後補償の達成はもとより、平和、人権擁護などの運動を粘り強く続けることへの再確認を迫ることにもなっている。

 日本軍〈慰安婦〉は、当時日本が加盟していた〈醜業ヲ行ハシムル為ノ婦女売買禁止ニ関スル国際条約〉(1910)や〈強制労働ニ関スル条約〉(1932)、国際人道法に違反していたと、クマラスワミ報告書などから指摘を受けている。ポツダム宣言受諾(1945.8.14)で戦争犯罪人処罰の義務をもち、またサンフランシスコ講和条約では連合国の戦争犯罪法廷の裁判を受諾すると明文化(11条)していることから、インドネシアにおけるオランダ人〈慰安婦〉に対する日本軍人の戦争犯罪処罰判例(1946年、バタビア戦犯裁判所)に照らせば、他の事例(朝鮮、中国、台湾、フィリピンなど)も同様の処罰対象になると指摘されている。日本国内での裁判では3件の判決が出ている。なかでも98年4月の山口地裁下関支部判決(関釜裁判)では、国の法的責任を認定、立法不作為に対し3人の韓国人元〈慰安婦〉に30万円の賠償を命じた。今後、こうした責任者の処罰の具体化と、法的賠償責任の位置づけが焦点となるだろう(特別立法制定や個人賠償の実現)。また情報公開が国政課題となっているにもかかわらず、歴史的解明に必須である日本軍関係資料,警察などの内務省資料などがいまなお未公開である点も,打開すべき課題であろう。

参考文献

  • 解放出版社編『金学順さんの証言』(1993)
  • 吉見義明『従軍慰安婦』(岩波新書、1995)
(川瀬俊治)

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Last-modified: 2015-12-03 (木) 21:09:53 (1469d)