売春・買春【ばいしゅん・ばいしゅん(かいしゅん)】

〈売春防止法とその問題点〉

 売春に関する現行法であり、現代の売春をめぐる社会通念を基礎づけているのは売春防止法【ばいしゅんぼうしほう】(1956.5.24)である。同法は売春を<対償を受け,又は受ける約束で,不特定の相手方と性交すること>と定義し,売春が<人としての尊厳を害し,性道徳に反し,社会の善良の風俗をみだすものである>との観点から,<売春を助長する行為等を処罰するとともに,性行又は環境に照して売春を行うおそれのある女子に対する補導処分及び保護更生の措置を講ずることによって,売春の防止を図ること>を目的に掲げ,<何人も,売春をし,又はその相手方となってはならない>と売春を禁止している。だが今日では,同法に表れているような売春観はさまざまな批判を浴びている。その中心は,売春は<売る>女性だけでは成立せず,<買う>男性,さらに両者の仲介者の存在があって成り立っているにもかかわらず,主に問題視されるのが<売る>女性だ,ということである。社会に人権思想・性暴力を批判する女性解放思想が浸透するにつれ,売春を淪落女性問題とみなし<売る>女性のみを責める従来の考え方への批判が強まってきた。批判はまず<買う>男性の責任が不問にされてきた点に向けられた。

 <買春>という語は1970年代の買春ツアー反対の女性運動の中から生まれ,80年代後半以降,<買う>主体の存在・責任を明示する語として社会的に定着した。<売買春><買売春【ばいばいしゅん】>は売ること買うこと両面を同時に表す語であり,後者は買う側の責任性を強調する場合などに使われている。管理売春への批判も重要である。売買春が一対の男女の間で完結せず仲介者がこれを管理して収益を得る制度が管理売春制度であるが,売買春の仲介や管理は従来,売春という主要な悪を<助長>するという従属的な悪とみなされてきた。だが,近年では<売る>女性ではなく,その女性に寄生し売春させ搾取する者にこそ罪がある,との見方も強まっている。また,<売る>女性に関しても,最近,売春を道徳的堕落と断罪するのでなく労働問題と把握するセックスワーク論が出てきている。性産業に就労する女性(セックスワーカー)を犯罪者扱いすることに反対し,性病や客・使用者の暴力から身を守ったり対償を約束通りに受けることなど,彼女たちが働くうえでの人権を擁護する主張である。

 以上のように社会の認識は少しずつ変わりつつあるが,開発途上国への買春ツアーや滞日外国人からの性的搾取にみる買春の国際化,<援助交際>と称される売春の低年齢化,性風俗産業の爛熟・多様化,さらに未解決の軍隊<慰安婦>への国家補償問題・歴史改ざん主義者たちによる<慰安婦=公娼・売春婦>キャンペーンの横行などに顕著に現れているように,<買春天国>日本の腐敗と荒廃が進んでいる今日,社会の売春観を性暴力【せいぼうりょく】被害者の人権擁護を基調としたものへと転換させることは急務である。

〈公娼制度の歴史〉

 従来の売春観の歪みは,公娼制度【こうしょうせいど】(国家管理売春制度)の存在やその終息過程を通して歴史的に形成されてきた。公娼制度は散娼制と集娼制に大別されるが,日本の集娼制は16世紀に成立した。室町幕府は傾城局を新設して*遊女を管理・課税したが,依然として散娼であった。1580年代,豊臣秀吉政権のもとで遊女屋が一定地域に集められ,大坂・京都に日本史上最初の遊廓【ゆうかく】(公許集娼地区)が開設された。江戸時代には幕府公許の三大遊廓たる江戸吉原・京都島原・大坂新町をはじめとして全国各地に集娼地区が設けられ,人身売買や一部には姦通罪・私娼摘発などで強制収容された女性たちが周囲を障壁・堀などで囲まれた遊廓の中へ拘禁され,厳重な監視のもとで売春を強いられた。

 公娼制度は,近代国家のもとで再編・拡充された。明治5年(1872)明治政府は奴隷制の存在が外国に露見することを恐れて<芸娼妓解放令【げいしょうぎかいほうれい】>を布告し人身売買の禁止や前借金の無効を宣言したが,遊廓にはたちまち新しく貸座敷・娼妓制度が敷かれ,娼妓稼業は本人の意思に基づくとの名目のもとに公娼制度が温存された。1900年(明治33)の内務省令44号<娼妓取締規則【しょうぎとりしまりきそく】>でも人身売買は否定され就業も廃業も娼妓本人の意思に基づくとされたが,それらは名目・形式にすぎず,近代の公娼制度も実態は奴隷制度であった。貧困と借金にがんじがらめにされてモノのように売り買いされ,公権力によって遊廓に拘禁され,遊客を拒否する自由はもとより全面にわたって人身の自由を奪われ,日常的に客や楼主の暴力にさらされていたのである。近代国家とその地方庁はこの制度によって莫大な税収を確保していた。

 近代になって新しく加わった公娼への暴力は,性病検診の強制である。19世紀,軍隊を性病から守るという利害から西欧諸国は性病検診を軸とする新しい公娼制度を発展させたが,日本はこれを開国・近代国家の樹立とともに導入し,軍国主義が強まるとともに拡充していった。国内において遊廓が増設され娼妓以外の接客婦(酌婦・芸妓など)にも性病検診が進められるとともに,対外侵略に伴い台湾,朝鮮,さらには中国東北地方にも公娼地区がつくられ,他民族の女性もこの制度による虐待を受けるようになった。かかる女性虐待はアジア太平洋戦争下に極点に達し,朝鮮・中国,さらに東南アジアの女性たちが*日本軍<慰安婦>として性奴隷化された。

 敗戦後の1946年(昭和21),GHQの廃娼令により娼妓取締規則が廃止され,遊廓は赤線(特殊飲食店街),娼妓は接待婦と名を変えたが,公娼制度は存続した。むしろ戦後には日本政府が占領軍用に用意した買春施設や日米安保体制下の米軍基地周辺に新しい公娼地区も生み出された。売春防止法成立によって公娼制度は終息した。国家管理のもとで内外の女性の人権を蹂躙した制度でありながら,制度の終息(売春防止法制定)の過程においても制度の被害女性に償うべき国家の責任は問われず,もっぱら<売る>女性の罪や処罰が問題にされた。公娼制度は,国家による性暴力制度として人権蹂躙の罪悪を積み重ねた長い歴史はもとより,このような転倒した終わり方によっても,日本社会の売春観に否定的影響を与えてきたのである。

参考文献

  • キャサリン・バリー『性の植民地』(田中和子訳,時事通信社,1984)
  • 市川房枝編集・解説『日本婦人問題資料集成』1巻(ドメス出版,1978)
  • 鈴木裕子『従軍慰安婦問題と性暴力』(未来社,1993)
  • 『買売春問題資料集成』(不二出版,1996)
  • 藤目ゆき『性の歴史学』(同前,1997)
  • 同「女性史からみた『慰安婦』問題」(『季刊戦争責任研究』18,1997)
(藤目ゆき)

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Last-modified: 2015-12-03 (木) 21:09:53 (1417d)