白丁【ペクチョン】

 朝鮮時代(1392〜1910)の被差別民の一つ。元来,中国の三国・隋時代に無冠の平民を示し(『北史李敏傳』),高麗時代(918〜1392)にも賦役に従事しない農民層を呼称し,被差別民ではなかった。高麗後期から朝鮮時代初期にかけて奴婢・遊牧民などの抵抗(作乱)が相次いだため,第4代王世宗(1397〜1450)は統治策として非農業民の定住化政策を推進。歌舞・音曲の芸能民<才人>と,柳器製造・と殺業・肉類販売などを営む<禾尺>を<白丁>に改称し,常民と位置づけた(『世宗實録』)。その後,<才人>は<白丁>から分離,主に<禾尺>を系譜とする<白丁>は,基本法典『経國大典』で一般集落に居住することを許されず,集落外に白丁のみの部落を形成,高麗時代の<白丁>と差別化されて<新白丁>と戸口帳簿に記載されたりした。生活面では,冠婚葬祭で一般の礼法はできず,一切の絹類着用は厳禁,当時奴婢にはあった身分上昇もできなかった。朝鮮王朝實録でも生業を記述しているが(『太宗實録』巻13,『世宗實録』巻97など),〈白丁〉を<別種><異類><韃靼>などと表記,異類視していた。系譜では朝鮮後期の碩学・丁若傭(1762〜1836)が高麗の遊牧民<楊水尺>を出自とし(『雅言覚非』),近年の論及でも遊牧民に出自を見出す論が主流(李成茂「白丁」『韓国民族文化大百科事典』1992,ほか姜萬吉,呉煥一各論文)。法制上の呼称<新白丁>(女性は「新白丁女」の記述例も)は18世紀前半期には姿を消し,族譜をもち<私賤>を所有する富裕層も出現,<白丁>部落から多数が転出,<白丁>外からの養子も現われるなどの変動がみられた(李俊九論文)。

 近代に入ると,甲午農民戦争(1894)で農民軍が出した<弊政改革案>は奴婢文書焼却と<白丁>の頭上の笠着用義務除去を求めたが,日本軍の武力介入で挫折した。金弘集内閣はその理念を政治改革<甲午改革>(1894)で部分的に反映,法制上の<賤民>身分制を廃止したが,それは人材登用の条件作りでもあった。日常生活でのさまざまな差別は克服されず,1896年9月の<戸口調査規則><戸口調査細則>施行で,<白丁>は<賤民>だった僧侶とともに別戸籍に管理され,新たな民籍法では職業欄に<屠漢>と赤い文字で登載されるなど,法運営上の差別も存続した。日本の植民地支配(1910〜45)のもと1923年に*衡平社【ひょんぴょんさ】を創立したが,身分解放とともに民族解放も担わざるをえなかった。解放(1945)後,1950年代後半には〈白丁説話研究〉として〈白丁〉部落での聞き書きがなされたが,現在では存在していない。

→衡平社

参考文献

  • 徐廷範「白丁説話研究」(一)(二)(『自由文藝』28・29号、1959)
  • 姜萬吉「鮮初白丁考」(『史学研究』18号,1964)
  • 金靜美「十九世紀末・二十世紀初期における『白丁』」(飯沼二郎・姜在彦編『近代朝鮮の社会と思想』未来社,1981)
  • 呉煥一「韓末白丁に対する収奪と白丁層の動向」(『史学研究』54号,1997)
  • 李俊九「朝鮮後期慶尚道丹城白丁の存在様相」(『朝鮮史研究』7輯,1998)
(川瀬俊治)

トップ   差分 リロード   一覧 単語検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS
Last-modified: 2015-12-03 (木) 21:09:54 (1294d)