福井県【ふくいけん】

[現状]

 福井県の部落は1993年(平成5)調査によると5市町で7地区あり,そのすべてが嶺【れい】南【なん】地方に集中している。美浜町の432戸から大飯町の30戸など大小の部落が存在している。総世帯数854,総人口2884であり,75年(昭和50)調査と比較して,世帯数,人口ともに大幅に減少している。福井市にも大きな部落があることはよく知られており,実際の部落数も多い。しかし,福井市など嶺【れい】北【ほく】地方の部落はすべて地区指定から除外され,同和対策はまったくなされていない。*〈寝た子を起こすな〉という行政姿勢の徹底と,今日の社会の変動により部落の集落としての形態も大きく変貌しており,所在の確認も難しくなっている。

 部落の実態は70年頃と比較し,嶺南のどの部落も同和対策の施策により、また経済の発展のなかで全体的に一定の向上がみられる。なかでも住環境面においては,どの部落も大きく変貌した。仕事や雇用については,70年代を境に,土木作業や日雇いなどの雑業に従事する者がきわめて少なくなり,大企業への就職や公務員になる者も増えてきた。福井県には*原子力発電所【げんしりょくはつでんしょ】が数多くあるが,そのすべてが嶺南地方に集中していることもあり,ほとんどの原発立地市町に部落が所在している。したがって,もともと零細な農業と不安定な仕事しか持たなかった部落の住民は,いきおい仕事や雇用を原発関係に大きく依存することになった。

 一方,生活保護率は一般より高く,美浜町の地区では2倍にもなっている。年収300万円以下の世帯は,部落は63%,一般は51%となっており,相対的に部落の所得は低い。高校進学率においても,一般より8ポイントも低くなっている。表面的な格差は,おおかた是正されたといわれているものの,個人の所有する資産など,潜在している部分で一般との間にかなりの格差がある。これは経済基盤,生活基盤の格差にもつながっているといえる。

 部落に対する差別意識は依然として根深いものがある。93年の調査でみると部落差別にかかわる人権侵害を受けた者は,この10年間で部落の人の16%にもなる。そのうち〈結婚〉が43%ともっとも高い。最近は若い人の間で部落外との結婚が増えつつあるが,まったく問題なく成立した例は数少ない。部落外との見合い結婚に至っては,ほとんどなきに等しいといえる。

 農村地方ゆえに封建性が根強く,日常の社交面においても,部落と一般との溝は,いまだに深いものがある。

[前近代]

 県内の部落は,中世にさかのぼる部落がいくつかみられる。小浜市の部落の場合,14世紀末に存在した城が落城したとき,田仲新吾という侍が城主の幼君をつれて三河へ落ちのびたが,途中で引き返してきて落城した城の近くに隠れ住み,主君の菩提をとむらっていた。長禄3年(1459),現在の西光寺の地に天台修験の道場が建てられた当時はわずか3戸であった。大飯郡高浜町の部落の場合には,近世初頭には丹後街道沿いに住んでいたが,小浜藩の刑場がつくられるときに現在地へ移転させられた。敦賀市の部落は戦国末期,大谷吉継【おおたによしつぐ】が滋賀県より移ってきた際に皮革職人の部落をつくったことに始まる。福井市内の場合も皮革職人の部落であった。武生市の場合は,かつての*渡守【わたしもり】。小浜市の遠敷【おにゆう】には芸能者の部落がある。福井県は〈旧若狭国には部落があるが,旧越前国には部落はない〉といわれているが,事実ではない。

[融和運動]

 小浜市の遠敷には明治末期にすでに青年処女会という融和組織がつくられて,内務省より表彰を受けたという記録がある。また1933年(昭和8)6月に福井県親和会【ふくいけんしんわかい】が設立されている。会則で,県学務部長が会長を務めることになっているところからみて,行政主導の御用組織であることは明らかである。当時すでに県内でも美浜の南市と,小浜の遠敷には水平社が結成され活発に活動していた。そのためかこの融和組織は,水平運動の弱い本郷,高浜で結成準備がなされたようだ。その後なんらかの事業や活動を行なったと推定されるが,それらの活動の痕跡は現在では何ひとつ残されていない。

[解放運動]

 県内における水平社運動は,出稼ぎ先として京都府内が圧倒的に多かったことなどにより,全国水平社の創立の息吹がすぐに伝えられた。三方郡耳村水平社は1922年(大正11)にはすでに創立され,23年9月6日に創立された遠敷水平社の組織化に尽力した。遠敷では全水青年同盟支部も組織された。県内では敦賀を境に旧越前の国には部落はないとされているが,実際には福井市内に部落があるが運動はなかった。敦賀には全水に属さない独自の水平社があったほか,戦後は全日本同和会創立大会に代表が参加している。大飯郡高浜町の部落では,35年(昭和10)神社祭祀にかかわる差別事件に際して県内外の水平社の支援を受けた糾弾闘争を契機に全水西三松支部を組織。闘いは部落側の全面的勝利で解決した。戦後しばらくの間、解放運動の火は燃え上がらなかったが,69年*同和対策事業特別措置法が制定されると翌年部落解放同盟高浜支部が結成された。高浜支部は経済的自立のための諸活動を展開している。70年に部落解放同盟福井県連準備会が創立され,73年に大飯町で1支部、83年に美浜町で3支部が結成されるが、それぞれ区内の融和勢力の圧力によりその後は自然解散。98年現在1支部で活動。

[行政]

 同対法ができる以前から,福井県においてもなんらかの融和事業はあった。その典型的なものとして1944年(昭和19)の美浜町における集落改良事業がある。それは増加した部落の一部を分離させるものであって,現在からみるとスラム化した部落をもう1つつくったものとなっている。70年に部落解放同盟福井県連準備会が創立され,同時に自治体に対する差別行政糾弾をきっかけに,また同対法が69年に施行されるなどの状況のなかで,県は70年に同和対策室を設置し,各市町村自治体も同和対策の窓口を設置。環境改善事業を一挙に推進させる一方,社会教育主事の充実をはかり,同和問題の啓発に取り組んだ。しかしながら部落をかかえる自治体のなかには,現在においてもなんら対策を行なっていないところもある。

参考文献

  • 本田豊『部落史を歩く』(柏書房,1982)
  • 「特集・北陸の被差別部落」(『部落解放』164号,1981)
(山下敬太郎)

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Last-modified: 2015-12-03 (木) 21:09:55 (1469d)