平等【びょうどう】

 平等を,〈人を分け隔てなく差別なしに扱うこと〉と定義するならば,明確かつ単純な概念のように思えるが,実のところけっしてそうではない。たとえば米国において,*アファーマティブ・アクションについての法解釈で重要な位置を占める連邦最高裁のバッキー判決で,ブラックマン判事は〈レイシズム(人種主義)を越えていくためにまず,人種が考慮に入れられなければならない。人々を平等に扱うために,異なる扱いをしなければならない〉と述べている。〈平等に扱うための異なる扱い〉という一見矛盾する考え方こそ,米国の過去30年間のアファーマティブ・アクションの歴史に通底する考え方になっている。

 一般に〈平等〉概念をめぐる議論は,〈機会の平等【きかいのびょうどう】〉信奉派と〈結果の平等【けっかのびょうどう】〉信奉派によってたたかわれている。前者は,人種,民族,肌の色,性別などを無視して,〈能力主義〉で人々に優劣をつけようとする。一方,後者は,人々が〈能力主義〉で競うには同じスタートラインに立っていることが前提だが,歴史的・社会的不公正がこれを非現実的な想定にしていると申し立てる。1965年にアファーマティブ・アクションを施行させる大統領行政命令を発令したジョンソン大統領の次のような発言が後者の立場の代表的なものだ。〈100ヤード競走で1人が足かせをつけ,もう1人が足かせのない状況を想像してみよう。足かせをはめた人が10ヤード走ったとき,他の走者は50ヤードまで行っていた。この状況をどう是正するのか。足かせを外すだけでレースを続行させるのか。足かせを外すことで《平等の機会》が戻ったといえるかもしれない。しかし,40ヤード先に走者がいるのだ。足かせをつけていた走者を40ヤード進ませるのが公正というものではないのか。これが平等に向けてのアファーマティブ・アクションであろう〉。この,〈足かせをつけていた走者を40ヤード進ませる〉という考え方は,いわゆる社会補償論の考え方を表すものだ。そのような過去の差別にとどまらず,現在の社会・経済構造に起因する〈機会の平等〉の不在を説く論拠も〈結果の平等〉派にはみられるが,いずれにせよ〈40ヤード進ませる〉行為が〈平等〉を実現するためのものなのか,あるいは〈*逆差別〉にあたるものなのか,二派の議論は30年以上にわたって平行線をたどったままである。

 しかしながら,95年あたりから〈機会の平等〉派が優勢に立っていることは間違いない。たとえば,9つのキャンパスをもつ州立高等教育システムであるカリフォルニア大学の理事会は95年7月,大学の入試選考,職員採用,業者選定の際に行なわれていたアファーマティブ・アクションを全面的に廃止する決議をした。翌96年11月,同じくカリフォルニア州の住民投票提案で,アファーマティブ・アクションの廃止を求めた提案209号が可決された。これは違憲の疑いで裁判となり,裁判所は一時はその施行を差し止めたが,97年11月,提案209号を合憲とした控訴審に対するアファーマティブ・アクション容認派の上告を連邦最高裁が棄却したことで結審した。差別の歴史が風化しつつあり,〈40ヤード進ませる〉のが〈平等〉という考え方に支持が集まりにくくなっている時代の反映といえる。

*平等権

(今田克司)

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Last-modified: 2015-12-03 (木) 21:09:55 (1295d)