偏見【へんけん】

 合理的な根拠なしに特定の個人や集団その他の事柄に対して抱く,感情的で固定的な態度。〈予断【よだん】と偏見〉というように対になって用いられることが多く、語源的には同じだが、予断の方が修正される可能性が高い。偏見には好意的なものも非好意的なものも含められるとされるが,一般には,相手に対する非好意的で否定的な見解をいう。〈部落はこわい,ガラが悪い〉といった歪められた先入観は偏見の例である。なお,偏見は誤解とは異なるので,正しい知識を与えられても解消するとは限らない。ハーディングらは合理性の規範,正義の規範,人間らしい心情の規範という三つの理想規範からの逸脱として偏見をとらえている。偏見を個人的偏見と社会的偏見に分けて考える立場もあるが,個人の生活体験やパーソナリティの違いに根ざしているようにみえる個人的偏見も,そのほとんどは社会によって植えつけられ,程度の差こそあれ,社会の成員に共通してみられるものである。したがって,この二つは厳密に区別することはできない。なお、〈偏見と差別〉も対にされることが多いが、偏見は否定的な〈態度〉、差別は否定的な〈行動〉と定義する立場もある。

 わが国における(社会的)偏見としては,人種的・民族的偏見,地域社会的偏見,職業的偏見,女性・病者や障害者に対する偏見などが存在している。部落に対する偏見は,歴史的に考えれば一応身分的偏見の一種と考えられるが,その他職業的偏見や地域社会的偏見と結びついている場合も多い。社会的偏見は習得されたものである。一般に3歳ぐらいまでの幼児は偏見をもたないが,成長していく過程において,さまざまな偏見を学習していく。その場合,家庭の影響は大きく,部落住民などに対する幼少時のこだわりのない態度も,親の禁止や微妙な態度などによってしだいに差別的なものに変化していく。また,部落の者と直接接触することの多い地域の者と,その機会のほとんどない地域の者とを比較した場合,前者に強い偏見が見いだされることがあるが,これは接触体験のなかで偏見が習得され強化されるのではなく,その地域の差別・偏見を暗黙に認める一般的な社会的態度と歴史的背景から生み出されると考えられる。

 偏見は社会的に習得されたものであるが,その現れ方には個人差がある。T.W.アドルノらは,ユダヤ人に対する偏見と*権威主義的パーソナリティ【けんいしゅぎてきぱーそなりてぃ】との間に関連があることを見いだしているが,このようなパーソナリティは,感情的で厳しいしつけによって特色づけられる,支配服従の立場に立つ親子関係のなかで形成されたものといわれる。なお,社会階層が上の者には偏見が少ないといわれるが,彼らは自分たちの偏見をあからさまに示すことが得策でないことを学習しているにすぎないとみることもできる。したがって,偏見の有無を現象的なレベルだけで問題にするのは限界があるといえる。

*差別意識

参考文献

  • G.W.オルポート『偏見の心理』(原谷達夫・野村昭訳,培風館,1961)
  • T.W.アドルノ『権威主義的パーソナリティ』(田中義久・矢野修次郎・小林修一訳,青木書店,1980)
(山下恒男)

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Last-modified: 2015-12-03 (木) 21:09:55 (1469d)