名古屋市【なごやし】

 1935年(昭和10)の*中央融和事業協会の調査では,5地区1431世帯6575人。93年(平成5)総務庁地区概況調査では,3地区1592世帯3811人である。融和事業では、王子で*不良住宅地区改良法による住宅が建てられたが,家賃が高く,地元住民が入居できる状況ではなかった。戦後、2階建て住宅に屋上屋を重ねた地区の状況は,部落差別の実態を多くの人たちに訴えるものとなった。

 名古屋市西区平野町が県水平社の中心であった。戦後,空白期が続いたが,平野支部は73年2月,王子支部は74年9月,鳴海支部は76年7月にそれぞれ結成されている。同支部は、名古屋市高畑市場で食肉解体に従事する人が多く,一切の身分保障もなく出来高払いの賃金は大変低かったため,身分保障闘争から支部結成へと至ったのである。

 名古屋市に同和対策室が設置されたのは74年7月。平野,王子,鳴海が地区指定されたのは78年6月14日。2地区は未指定。王子では地区指定以前の77年4月12日に王子地区改良事業の地区指定が行なわれており、このことからも王子地区の住環境の劣悪さがうかがえる。鳴海地区は名古屋鉄道と河川に挟まれた地区で,洪水の度にまっ先に浸水する状況であり, 全面的な環境整備が行なわれた。平野町では79年5月西文化センターの開設,81年4月大昭湯の改築以降,住環境整備が取り組まれ,82年4月には地区東側が*住宅地区改良事業の指定を受け,以後整備が進められている。名古屋市の地区指定が,同対法施行後9年を要したのは,*〈寝た子を起こすな〉の意識が大変強かったためと、全国水平社の運動に対する厳しい弾圧と警察官を使っての徹底した融和政策により,同和対策に対する根強い抵抗があったことによる。

 同和教育では,〈同対室〉設置以前,73年4月から,現行の進学奨励費の前身である〈名古屋市福祉奨学金〉として支給が行なわれている。76年5月に市同和教育基本方針が策定され,89年4月には〈同和教育室〉を設置している。市内の部落では環境改善の結果,結婚等による世帯分離の基準が当初厳しかったので、若い世代が部落の外に出ざるをえなかったため、急速に高齢化が進んでいる状況があり,高い生活保護率,中高年齢者の就労,読み書きなど,課題は多い。市内北区在住の男性が中区栄で〈同和部落民はバイ菌〉など,差別扇動する事件(Sによる差別扇動事件【えすによるさべつせんどうじけん】)が91年10月に起こり、いまも継続している。このように解決の糸口すら見つかっていない事件をはじめ,同和教育を積極的に推進しなければならない立場にある平野町の名古屋厚生会館の職員が、〈部落の学校はガラが悪い〉という差別意識により、自分の子を部落を校区に含む小学校から他の小学校へ越境させているという差別事件がある。

(山崎鈴子)

トップ   差分 リロード   一覧 単語検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS
Last-modified: 2015-12-03 (木) 21:09:57 (1417d)