冤罪【えんざい】

 実際にはその犯罪を犯していないにもかかわらず,犯人に仕立て上げられて捜査の対象にされたり,裁判の結果有罪にされること。無実の罪とか,<濡れ衣>などともいわれる。人が人を裁く裁判に<誤判>や手続き上の誤りが生じることは避けられない。アメリカで起きた<サッコ・ヴァンゼッティ事件>(1920)やフランスの<ドレフュス事件>(1894)などを引くまでもなく,人間の悲痛な歴史が多くの冤罪事件の存在を証明している。近代国家は例外なく,これを救済するために<*再審制度>を設けている。わが国も<治罪法>以来、刑事訴訟法に再審【さいしん】の制度を設けてきた。しかし,再審の請求は<開かずの扉>といわれるほど,従来あまりにも厳しい要件が課されていたため,冤罪の救済にはほとんど機能してこなかった。

〈日本の冤罪事件〉

 戦後,日本国憲法のもとで不利益再審が廃止され,再審は端的に冤罪救済の制度に生まれ変わったものの,刑事訴訟法上の再審開始理由は旧法をそのまま踏襲していたため,無実を訴える人々の叫びはほとんど無視され続けてきた。たとえば,1949年(昭和24)の<弘前大教授夫人殺し事件【ひろさきだいきょうじゅふじんごろしじけん】>では,真犯人が名乗り出たことを理由に再審請求がなされたが,裁判所は<真犯人の供述が他の証拠と矛盾しないというだけでは足りず,完全に真犯人であることの証明がない>として再審請求を棄却した(1974.12)。また<財田川事件【さいたがわじけん】>(1950)でも,<個々の点につき解明できない疑問点も多くあるので,あえてこれらの点を指摘する次第であり,今後上級審においてさらに審査される機会があれば,批判的解明を>と,確定判決に合理的疑いを残したまま再審請求を棄却している(1972.9)。

 75年,最高裁は<白鳥決定【しらとりけってい】>において,再審請求審に提出された証拠とそれ以前の証拠とを総合的に判断すべきであるとし,<疑わしきは被告人の利益に>という刑事裁判の鉄則が再審請求にも適用されることを承認した。これを契機に再審の流れは大きく変わり,先の2事件をはじめ、<徳島ラジオ商殺し事件><免田事件><松山事件>など死刑判決の確定した事件についても再審開始決定が相次ぎ,いずれも再審公判で無罪となった。しかし,冤罪者の救済という観点からは,現状はもとより将来といえどもけっして楽観は許されない。国民の側からも,また在野法曹の多くが明らかに無実と認め続けている<*狭山事件>をはじめ,牟礼,丸正,名張,江津などの各事件が,今なお再審請求を拒まれている。

〈冤罪を生む原因〉

 冤罪事件には,軽犯罪の誤認逮捕から有罪となれば死刑に相当するような重大事件まで,さまざまのものがある。冤罪を生む原因もまたさまざまであるが、冤罪者の側に共通しているのは,多くの場合,経済的・社会的弱者であるということである。定職がなく生活保護を受けている人,被差別部落の人,在日韓国・朝鮮人,外国人労働者,障害者,犯罪の前科・前歴のある人などがこうした犠牲者にされることが多い。捜査機関など権力の側にある者が,こうした人々に対して,予断と偏見を持ちがちであることがその原因と考えられる。

 捜査の段階で冤罪事件に共通しているのは,多くの場合,初動捜査の混乱,見込み捜査,客観的捜査の不備,別件逮捕,自白偏重の不当・違法な取り調べ,証拠の偽造や隠匿などである。とくに<別件逮捕【べっけんたいほ】>は,令状主義を潜脱する方法として戦後に登場した捜査手段であり,ほとんどの冤罪事件でこれが用いられている。いずれもあってはならないことで,警察,検察による捜査が適正を欠いていたということに尽きる。

 公判段階で冤罪を生みだす原因としては,裁判官の警察や検察に対する過信,不十分な証拠調べ,自白の任意性・信用性判断の誤り,被告人供述の変遷の理由の軽視,アリバイなど弁護側提出証拠への不信などが挙げられる。その基本にあるのは裁判官の<自由心証主義>であるが,これがむしろ裁判官の<独善主義>に陥っていることが問題である。

 鑑定資料のずさんな保管や鑑定の誤り,鑑定人や鑑定受託者に対する過信なども冤罪原因となる場合がある。<弘前大教授夫人殺し事件>では,被告人の白シャツに98.5%の確率で被害者の血痕が付着しているという古畑鑑定が有罪判決の重要な証拠となっていた。のちに判明したところによると,この血痕は押収後に何びとかの作為によって付着されたものと推認されている。<財田川事件>や<松山事件【まつやまじけん】>でも,血痕などの証拠についてフレームアップ(デッチあげ)があったことが指摘されている。これらは鑑定以前の問題でもあるが,鑑定をめぐる冤罪原因として見過ごすことはできない。

〈冤罪の防止と救済〉

 冤罪を少しでも少なくするためには,まず誤判や冤罪の原因を究明し,それを取り除く努力をすることが肝要である。捜査段階についていえば,取り調べの過程がもっとオープンにされなければならない。当面,調書のコピーを当事者に交付するとか,イギリスで行なわれているように,取り調べの状況をビデオに記録するなどといった処置が望まれる。

 公判段階では,いかにして裁判官の独善主義を排除するかが問題である。わが国の裁判はすべて官僚の職業裁判官により行なわれていて,<*陪審制【ばいしんせいど】>や<参審制>のような司法への国民参加の制度はとられていない。このことがわが国の裁判を独善的な権威主義に陥らせる原因となっている。陪審制などを採用することによって,裁判を直接国民の批判の目にさらすことは,冤罪の原因を取り除くうえからもきわめて重要である。

 冤罪の救済という点では,再審法制の改正・整備も緊急の課題である。現行法の再審開始理由を少なくとも<白鳥決定>の趣旨に沿って緩和することが必要となる。また,再審開始決定に対する検察官の即時抗告の禁止,検察側の証拠提出に一定の制限を設けるなど,再審における検察活動の制限が求められている。さらに,再審請求審においても,請求人に公判被告人と同様の諸権利の保障が望まれる。<証拠開示【しょうこかいじ】>については,通常の公判手続き以上に,検察側に手持ち証拠の全面開示を義務づける必要がある。

*偏見*代用監獄

参考文献

  • 日本弁護士連合会編『再審』(日本評論社,1977)
  • 同『再審・続』(同前,1986)
  • 後藤昌次郎『冤罪』(岩波新書,1979)
  • 鴨良弼編『刑事再審の研究』(成文堂,1980)
  • 和島岩吉『完全なる冤罪』(解放出版社,1981)
  • 森井 〓*1『狭山事件とは――冤罪とその構造』(同前,1988)
  • 竹沢哲夫『裁判が誤ったとき』(イクォリティ,1990)
(森井 〓*2

*1 日ヘンに章
*2 日ヘンに章

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Last-modified: 2015-12-03 (木) 21:09:58 (1411d)