調査研究

各種部会・研究会の活動内容や部落問題・人権問題に関する最新の調査データ、研究論文などを紹介します。

Home調査・研究部会・研究会活動法律・狭山部会 > 学習会報告
2005.12.14
部会・研究会活動 <法律・狭山部会>
 
法律・狭山部会・学習会報告
2005年08月25日
『差別糾弾闘争』の法的論拠について

内田 博文(九州大学教授)

「確認・糾弾」についての法務省見解の柱

  「確認・糾弾会について」と題された1989年8月4日の「法務省人権擁護局総務課長通知」(以下、「法務省見解」とする)の特徴として、次の点を指摘することができる。すなわち、(1)法的根拠がなく、出席するかどうかは「自由意思」であること、(2)被糾弾者の「防御権」保障を欠くこと、(3)行政機関が出席するのは、行政の中立性と矛盾すること、(4)運動団体は当事者性を欠く、といった点である。

「差別」問題の深刻さに対する認識の差異

こういった認識の背景には、社会に根強い差別に関する法務省と運動側との認識の差異があるのではないか。根深い差別の解決を「自由意思」や「自己責任」「自己決定」に委ねることには限界があるのであって、やはり一定の強制的契機が必要で、差別する自由は認められないということがまず確認されるべきであろう。同対審答申や、人権諸条約機関の指摘するように、部落差別に基づく悪質な差別行為を法的に禁止することを展望していく必要がある。

裁判モデルの意義についての認識の差異

 また、糾問主義構造や当事者性の議論、さらに防御権が不十分だという主張の背景には、裁判モデルが念頭に置かれていると思われるが、しかし裁判モデルを持ち出すことには疑問がある。というのも、裁判所は、訴えのあった行為についてのみ判断するのみであって、加害者を教育するといったことはしない点、裁判は団体としての訴え・告訴を受理しない点、裁判所は人権侵害や差別事件の原因・背景の改善を政府などに勧告・提言することはしない点、さらに社会問題としての部落差別が存在しているということについて裁判官は十分に検討できない、といった点が指摘できるからである。したがって、原因究明や被害の救済、さらに再発防止のためには、やはり「裁判を超えた活動」が必要なのであって、ここに糾弾活動の意義が関連している。

 被糾弾者にとっての意義についての認識の差異

 さらに、法務省見解は「自由意思」を強調するが、しかし「差別」観を抱き続ける「自由」は存在しない。むしろ、そのことによって被糾弾者の人間性が損なわれているのであって、ここに「加害者性の克服」という「人間の尊厳」回復の機会として、さらには正しい知識について十分な教育を受けてこなかったということから、「教育を受ける権利」の保障として、糾弾を捉えることができるであろう。この観点から「同意」論を進化させる必要性があろう。この点について、「専断的医療行為」や「法的パターナリズム」の議論を参考に、当初不同意であっても、議論を続けていくうちに人間性が回復され、同意するようになるというプロセスを法的に位置付けていく、という方向性を取るべきであろう。また、糾弾の意義について社会に理解不足があるとすれば、この状況を是正する必要がある。

「糾弾」の動態性等についての認識の差異

 さらに、「当初の働きかけ」から被糾弾者の「受容」「内面化」へと進化していくダイナミックな性質を糾弾が持っていることについて、理解されていないように思われる。つまり、「一時的な自由の制限」を通じた「自由の回復」という側面があるのであり、この点からも、動態的な「同意」論を発展させる必要があろう。

被害者運動の意義についての認識

 さらに、原因究明や被害の救済、再発防止等ついて被害者運動が持っている格別の意義を、法務省は理解していないと考えられる。ハンセン病問題に関して、療養所入所者らによる自治会・全患協運動が果たした役割には格別の意義があるのであって、このことは、部落差別に関する解放運動についてもいえる。したがって、当事者性を承認すべきである。

糾弾の法的根拠

 ここで、糾弾の法的根拠について考察してみる。第一に、「合法性」の概念についての議論であるが、これは、近年の法理学の議論として、法が法であるための条件としてその内容が合法的でなければならないという主張がある。この点は、裁判過程についてもいえるのであって、一定の場合には新たな立法措置を待たなくとも、一般条項・憲法条項などの法原理を活用して、判例による法形成を行い、衡平の実質的正義の要求を裁判過程の中に直接取り入れることができるとする。この議論を、糾弾について深めていく必要があろう。

第二に、刑法35条にいう「正当行為」論をより積極的に用いる必要があろう。つまり法令又は正当な業務による行為は罰せられないが、特別法による規定があればより明確に法令・正当行為として認められることになる。また、この立法論を追求しつつも、解釈論的に被害者運動の格別の意義に基づく論拠付けを行うこと、また正当行為論に同意論を組み込んだ議論を深めていくことも検討すべきであろう。

第三に、正当防衛論である。刑法36条は「急迫不正の侵害に対し、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は、罰しない」としているが、「急迫不正の侵害」が生じていたことが要件となる。この点で、不正とは「一般に保護に値する利益に対する侵害」であればよいとされているため、差別行為は名誉等に対する「不正な侵害」とされるであろう。但し急迫性の要件については、若干議論を深める必要がある。この点は、被侵害者の法益が一旦侵害された後に、新たな侵害がさらに加えられる状況があれば、侵害の急迫性が肯定しうるとされており、差別落書きや差別文書の常習性・反復性を考慮する必要があろうまた、防衛の程度に関する「相当性」の要件について、判例は緩やかに解する傾向がある点も、有利に働くであろう。

第四に、自力救済(自救行為)については、刑法35条の一部ないしは実質的な違法性阻却事由として行為の正当化が認められる余地があるが、判例はあまり認めない傾向がある。したがって、自力救済・自救行為論から正当行為論へと進化させる必要があるし、また正当防衛論の射程を拡大するという方向性があってもよいであろう。

(文責:李 嘉永)