トピックス

研究所通信、研究紀要などに掲載した提言、主張などを中心に掲載しています。

Home意見・主張>本文

2011.06.23

意見・主張
  

東日本大震災関連記事


【解放新聞大阪版 第1876号 2011年6月20日】より

猛暑の中で泥だし・掃除
宮城・岩手で第2次支援活動
東日本大震災の被災者を支援するため、府連は6月7日から9日までの3日間、宮城県気仙沼市と岩手県大槌町で第2次ボランティア活動を展開した。参加したのは赤井隆史書記長、野村竜一青年部長をはじめ府連青年部を中心とした21人と中央本部から岡田剛さん(香川県連)の合計22人。

  7日、早朝の飛行機で岩手県へ向かった。空からの風景は一面田んぼが広がり、震災の影響は無いように見えた。花巻空港に到着後、レンタカーに乗り合わせ、のどかな山道を走らせた。宮城県気仙沼市へ向かうにつれ、魚の腐ったようなにおいが強く漂った。
気仙沼市は地震発生のあと、津波で町が壊され一面が火の海になったことから焼けた車や橋の欄干にぶつかったままの小型船や乗り上げたままの大型船が手つかずのまま残されていた。昼食のあと、4月の第1次ボランティアで韓国の仏教系ボランティア団体JTSの救援物資運搬の時に中央本部と交流を深めた民間災害支援ボランティア「ゲットバックス気仙沼」と中央本部の受け入れとなっている埼玉県連の片岡遼平さんらと合流し、気仙沼鹿折地区の個人宅前の側溝の泥だし作業を行った。
この地域は1階の天井付近まで津波が押し寄せた。玄関や窓がすべて壊れたままの家や完成したばかりとされる老人ホームにはベッドや家財道具が重なり合ったままの状態で残され、多くの被害者があったと想像できた。
作業は側溝の泥だしで重たい蓋をあけると重油を含んだ黒い泥の固まりが沈殿していた。スコップですくいあげバケツに装着した土嚢袋に入れる。満杯になると固く絞り、一輪車に乗せ一時集積所へ積み上げていく。スコップですくうと泥だけでなく、毛布やビデオ、サラダ油の容器、ガラスの破片などもあり、津波で多くのものが流されたことがわかる。ゴミをすべて取り除いたあとにホースできれいに流し、石灰を散布した。
作業終了後、気仙沼港へ向かった。海が近づくにつれ被害が大きく,焼けこげた車や船や半壊、全壊した家が3ヶ月近く経った今もそのままの状態でおかれていた。宿泊場所には風呂がないので、港上にある気仙沼プラザホテルの温泉に入浴した。湯船から港が一望でき、きれいな海とは対照的に焼けこげた船や瓦礫の山がいくつも見え被害の大きさを感じた。
入浴後、1時間以上かけて宿泊先の岩手県気仙郡住田町の川口会館へ向かう途中、陸前高田市、大船渡市の被災地を通った。被災地の映像はテレビや新聞で何度も見てきたが、現地に立って一面を見渡すとかなり違って見えた。
3メートル以上もある山のふもとの木々にタオルや台所用品が引っかかったままになっていたり、ひっくり返ったままの車や道路の真ん中を占領したままの大型船。信号機や道路標識がなぎ倒され、海の中に野球場が埋まっていた。初めて見た参加者は自然が起こした出来事に唖然とするばかりだった。
その後車で移動し宿泊場の公民館近くの食堂で夕食をとり、蛙の合唱が響き渡る中、大広間に寝袋を敷き詰め早々と就寝についた。
2日目は5時に起床し、各自で朝食をとったあと6時に出発。1時間以上かけてボランティアセンター受付のある遠野市総合福祉センターへ向かった。そこには全国各地から総勢300人ほどのボランティアが集まっていた。
ボランティアの心得や担当する作業内容についての説明を受けたあと、広島県連から参加した3人と総勢25人でバスに乗り込み1時間以上かけて大槌町へ向かい、個人宅庭の泥だし作業を行った。

被災者の依頼に応えて
作業は初日の行動と同様で津波で汚れた個所をスコップでかき集め、土嚢袋に入れ、一時集積所まで一輪車で運んで行く。この日の気温は29度と一番の猛暑で水分をこまめにとり作業した。庭にはタンポポや雑草が根を張り、鍬で掘り起こしていく作業は中腰の体勢を維持しなければならず腰に負担がかかるが交代して作業をすすめていった。ボランティアセンターの予想では一日かかる作業とされたが、まじめに取り組んだ成果か午前中にはほぼ片付き、午後からは2隊に分かれて個人宅の庭の泥だしを行った。
作業終了後、広島県連の3人と別れ、大船渡市の五葉山の鷹生ダム横にある五葉温泉に入浴したあと宿舎に移動した。夕食は昨日と同じ食堂で、この日から参加した埼玉県連7人と合流した。
最終日は再び気仙沼市で民間災害ボランティア「ゲットバックス気仙沼」と合流し、気仙沼鹿折地区の個人宅の側溝を掃除した。1日目に大人数で懸命に作業する姿を見た被災者からの依頼で、その人の家の周辺の側溝掃除をすることになったもの。3日目ともなると慣れたもので各自の担当する道具を持ち作業を進めた。作業終了後、被災された依頼者から記念撮影を依頼され、参加者全員で写真に収まった。
3日間のボランティア活動だったが、参加者は被災地の復興に向けて継続的な支援を続けていきたいなどと感想をのべた。