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2000年10月20日(部落解放482号掲載)

ILO111号条約の早期批准と日本の課題

報告者:吾郷眞一(九州大学)

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ILOの特色

 ILO(国際労働機関)は1919年にベルサイユ条約にもとづいて設立された国際機関であり、国際的な人権保障の原初的な形態としてできたものと言えます。ILOの基本憲章には、結社の自由、表現の自由等が、労働にとってきわめて重要であるという認識、それを国際的な協力のもとに解決していくという意思表明がされています。

 ILOという国際機関としては、国の正規代表として、政府のほかに使用者と労働者の代表が加わっていることです。使用者は会社の経営者側、労働者は主として労働組合の代表です。政府の代表だけでなく、使用者の代表と労働者の代表も同じ一票をもって、総会その他の意志決定機関に参加することがはじめから保障されているというユニークな組織形態をとっています。

 また、ILOで採択される条約を実施するにあたっても、使用者と労働者の代表が参加することによって、政府だけでなく、三者一体となった労働条件の改善および他の現状況の改善が図られるところに、ほかの国際機関とはちがった、独特な色彩をもっている国際機関だと言えます。もちろん、名前が示すように、労働機関ですから、人権一般についての国際機関とは言えませんが、労働というのは、われわれの生活のほぼすべてに関連するものなので、労働について国際的な規律を設けることは、人びとの生活のほとんどの部分について、規律を設けることにもなり、ILOが採択するさまざまな国際条約は1919年以来、国際的な人権保障体系という大きい枠組みのなかで、重要な位置を占めてきたと言えます。国連は1945年にできますが、1919年から人権問題を扱っているILOは、国連の人権保障体系よりもさらに古く、ある意味では国連の人権保障活動に一つの指針を与えたと言っていいと思います。
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ILO条約と日本

 ILO111号条約は1958年に採択されたもので、国際人権規約ができる前にできていたものです。したがって、この条約は、平等取り扱いという問題について国際社会が行ってきた活動の最も根源的なもの、最初のものということもできます。

 この条約についてのILO総会の審議には日本の代表も参加しています。日本政府だけでなく、労働者も使用者も参加し、条約案の採択には、政府と労働者は賛成票を投じ、使用者は棄権しています。条約が採択されると、批准のために各加盟国に公開されます。つまり、採択と批准とは直接つながらないので、日本政府がこの条約案に賛成投票したからといって、その条約を批准したことにはならない。批准のためには一度国内に持ち帰って審議し、そのうえで政府が批准という行為をとるわけです。その結果として、いまのところ日本は批准していないということです。

 ちなみにILOは80年の歴史のなかで、ほとんど毎年新しい条約を採択していて、すでに190にのぼる条約を採択しています。それらの条約のなかには、たとえば工場における振動や明るさ、労働者一人が担ぐことのできる荷物の重さなど、きわめて技術的なことを定めたものがある一方、この111号条約に代表される、一般的・普遍的・基礎的な内容をもつ条約があり、それら基本的人権を取り扱った条約群を基本権条約と呼んでいます。基本権条約のうちの8つをとくに最近ILO理事会がとりあげて、これについての早期批准と適用を各加盟国に訴えているという状況にあります。

 その8つのうち、日本は、代表的な、結社の自由についての87号条約、98号条約、強制労働禁止に関する29号条約、男女平等取り扱いについての100号条約を批准していますが、それ以外は未批准です。とりわけこの111号条約、すなわち雇用と職業における平等取り扱いについての条約が未批准であることは、国内・国外からさまざまな批判を浴びているところです。
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ILO111号条約の概要

 そこで111号条約の内容を簡単にご紹介します。

 111号条約は、比較的短いものです。全部で14条で、6条以降は、手続的なものです。条約の中心は、1条から3条の3カ条にほとんどつきます。

 第1条には差別の定義があります。

「この条約の適用上、『差別』とは、次のものをいう。(a)人種、皮膚の色、性、宗教、政治上の意見、国民的出身又は社会的出身に基づいて行われるすべての区別、除外又は優先で、雇用又は職業における機会又は待遇の均等を破り又は害する結果をもつもの。」

 簡単に言うと、人種、皮膚の色、性、宗教、政治上の意見、国民的出身、社会的出身というものにおいて、人を差別してはいけないと書いています。「国民的出身」という耳慣れない言葉がありますが、たとえば、両親のいずれかが外国人であることを理由に就職上の差別をすると、111号条約1条に抵触するということです。

 またこの1条の3項には、「この条約の適用上、『雇用』及び『職業』とは、職業上の訓練を受けること、雇用されること及び個々の職業に従事すること、並びに雇用の条件をいう」とあります。雇用、職業だけではなく、職業上の訓練をうけることも入っている。すなわち職業訓練所に入るにあたって、これらの理由で差別してはならないということです。雇用における差別とは、職に就く入り口での差別であり、職業における差別とは、職についからの昇進や配置転換、賃金などでの差別です。雇用と職業だけにとどまらず、その前段階である訓練にも適用すると、111号条約1条3項は言っているわけです。
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 条約には書いていませんが、のちのILOの解釈として、その職業訓練の場は、職業訓練所、職業訓練センター等に限らず、一般の学校教育もこれに入るとしています。すなわち、たとえば高等学校に入ることについて差別があると、職業に就く自由を制限されることになります。職業訓練という概念は広く学校教育全般も含むと解釈されています。

 2条と3条には、この条約を批准した国がしなければならないことが書いてあります。とりわけ3条には、(a)項から(f)項まで6つに分かれた項目において、比較的詳細な義務が規定されています。そのなかでとくに重要なのは(c)項で、「前記の政策と両立しないすべての実定法上の規定を廃止し、かつ、行政上のすべての命令又は慣行を修正すること」とあります。「前記の政策」とは、差別を排除することです。

すなわち、日本が111号条約を批准すると、1条に掲げられた差別の定義にあてはまるものについて、それと相容れない国内法令や行政上の命令、慣行は、ただちに廃止しなければならないということです。したがって、ただちに国が直接執行できることがらについては、すぐに義務が発生すると言えます。ただし、私企業における差別には、国家機関は「使用者団体及び労働者団体並びにその他の適当な団体の協力を求めること」とあり、そこで差別が廃止されるようないろいろな手段を国家がとる義務が課せられています。

 批准した政府に最も大きく課せられた義務は、差別を禁止する法令を整備することです。それぞれの国の判断で、どのような国内法令を制定して、この条約が定めている差別禁止原則をどのように実施していくかを決めなければいけないわけです。批准したうえでそれをしないと、111号条約1条、2条、3条に違反していることになり、国際的な責任を追及されることになります。
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日本が批准していない理由

 条約がILOで採択されると、それを批准するべきかどうかは、それぞれの加盟国に委ねられています。加盟国はILOに対して、なぜ批准できないかとか、批准するために何をやっているかということを報告する義務があります。批准する義務はないけれども、批准していない理由を述べなければならない義務がある。

 1996年にILOの事務局が出版した『雇用と職業における平等』には、111号条約を批准していない国が送ってきた報告書のなかから、なぜ批准が遅れているかを、国別に掲げている部分があります。イギリス、アメリカ、韓国、タイも批准していません。タイは「国内にはまだまだ男性中心的な風潮が残っており、それが変わらない限り批准することはむずかしい」と述べています。率直な報告です。韓国は近々批准すると96年の段階では述べています。アメリカの場合は、連邦制をとっているために労働行政がそれぞれの州の専権事項となっていて、ワシントンの連邦政府が国際条約を批准しにくいという表向きの理由が主となっています。

 日本政府が述べた理由は、要約すると、「国内法と条約規定が調和するかどうかは慎重な検討が必要であるが、この条約については引き続き検討している」ということを抽象的に述べています。それに引き続いて、「この条約の実施に必要な法整備も進めており、雇用における男女の均等待遇については法整備をすませた。一定の私的セクターにおいて、労働者の社会的出身に基づく差別が行われる傾向があることを承知しているが、これに対しては適切な措置がとられている」という記述があります。

 この短い文から想像すると、政府が批准していない理由の一つは、いわゆる、「私的セクターにおいて、労働者の社会的出身に基づく差別が行われる傾向があること」を認識していること、それについての十分な法的対処がおこなわれていないというところにあるように思われます。部落差別という社会的出身に基づく差別があることを承知している、これに対して、適切な措置はとられているが、「実施に必要な法整備を進めている」ということは、いまはまだ法整備が完成していないと認識しているのではないか。したがって、日本政府はこの法整備が整ったところで批准を考えてもいいというように受けとめられる。
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早期批准させるために

 条約の2条には、「この条約の適用を受ける各加盟国は、雇用及び職業についてのいかなる差別をも除去するために、国内の事情及び慣行に適した方法により、雇用又は職業についての機会及び待遇の平等を促進することを目的とする国内政策を明らかにし、かつ、これに従うことを約束する」とあります。これは別の言い方をすると、国内の事情や慣行はそれぞれの国でちがうのだから、それぞれの国が国内法令を制定するなり、別の方法で、第1条に掲げられた差別がなくなるような努力を国際的に約束する、ということを言っています。

 これはまた別の言い方をすると、現時点において、必ずしも、1条に掲げられた差別がすべてないということを予定しているわけではない、つまりそういう差別があった場合には、それを除去するために立法も含めた国内的な政策をとるなどの努力をしていく措置をとるならば、2条の義務はまっとうすることができるということになります。もっと砕いて言えば、111号条約は、いま現在すべて完璧に内容が実施されていなくても批准はできる、批准したあと、個別的に問題が生じているのをなおしていけばいい、なおす努力をしているならば、条約を批准した目的は達成されて、条約の義務を果たしているとみなすことができるということです。

 現に、そういう解釈のもとに、170余りのILO加盟国のうち130以上の国が批准しています。それだけ多くの加盟国が批准している背景には、現時点においては全部達成されていないが、そういう差別を排除していく努力をしている、そのための政策をとっているということがあると思われます。

 たしかに法令その他が、条約の内容とひとつも乖離しないことを確保したうえで批准するのが一番いい方法ですが、それはなかなか容易なことではなく、半永久的に批准できないと言えるかもしれない。したがって、批准をめざす運動としては、現時点でも日本は十分批准する素地がある、もう一息がんばるところがあるが、それは批准したあと、がんばっていけばいいという方向性で運動を進めることは、この条約の解釈上、まったく正当なことだと言うことができます。
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111号条約批准の意味

 さて、それでは、日本が111号条約を批准したとしたらどうなるかを、最後にお話ししたい。

 日本が批准した条約は、国内法と同等、あるいはそれ以上の価値をもつという解釈が確立しています。したがって、111号条約を批准すると、日本はそこに掲げられたことについては、国内的に実施していかなければならないし、2条、3条にあるように、政府に対して、一定の努力義務が課せられることになります。つまり、社会的出身などによる差別がなされないように、さまざまな諸方策をとることが国際法的に義務化します。国際法的に義務化するというのは、国際社会は、日本政府に対して、111号条約の実施を迫る権利を得ることになります。日本政府が、なんら措置をとらない、あるいはゆっくりとしかとらないということがあると、国際社会、すなわちILOの総会、理事会という場において追求されることを意味しています。

 この追求の方法についても、ILOはほかの国際機関とはちがった独特の制度を整えています。すなわち、労働者・使用者の団体が、ILOに対して申し立てることができるという制度が、ILO憲章のなかに明示的に書かれています。ただし、明示的に書かれているのは、労働者の代表、あるいは使用者の代表であり、個人は通報、申し立てはできません。したがって、仮に差別を受けたという個人が国内にいても、個人が直接にILOに対して申し立てることはできず、労働者団体の協力を受けることになります。労働者の代表、あるいは使用者の代表が、率先して、この申し立て制度を利用することが望まれるわけです。
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 労働者、使用者の団体がILOに申し立てると、複雑な手続を経て、いろいろな形で政府に働きかけがなされます。一般的にはILOの「勧告」という用語が使われています。「勧告」という言葉が表しているように、強制力はない。ILOは「勧告」という形で説得するという活動を80年間続けてきているわけです。そしてこの説得活動は、たんなる説得ではなく、国際世論のうえに根ざす説得ですから、政府にとってはかなりこたえるものであり、ILOの説得を受けた政府が国内法令等を大幅に変えた例は無数にあります。日本も、批准している87号条約に関して、ILOの「勧告」によって、国内法をずいぶん変えた事実があります。このことを考えると、111号条約が批准されれば、平等実現のために相当な前進がみられることは容易に推測できるわけです。

 しかし、批准していないと何もできないかというと、そうでもなく、採択した条約は、先ほども言ったように、なぜ批准していないかをILOに報告する義務があり、一昨年から、この義務がさらに強化され、8つの主要基本権条約に関して、批准していない国は毎年ILOに報告しなければいけないことになりました。これは批准していない条約をもつ国にとっては愉快なことではなく、毎年、自己弁護しなければならないわけです。これをきっかけに、基本権条約が多くの加盟国、できれば全加盟国によって批准されることをILOはめざしているわけです。

 そういう国際的な動きもあって、国内で批准促進の運動ができたならば、この条約が批准されることも、それほど遠い将来ではないかもしれません。
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日本の司法状況を打破するためにも

 ILOが国際的な世論をバックに、批准した国に対して、条約の正確な実施を働きかける効果は大きいと言いましたが、日本という国に着目したときに、さらに意味をもってきます。日本の司法、すなわち裁判所は、最近、とくに労働問題に関して保守的な態度をとりつつあります。憲法で保障されているさまざまな労働基本権を、きわめて狭く解釈する傾向にあります。労働者の基本権、広い意味での人権が、国内の裁判所で十分に保障されないという場合に、条約という国際取り決め、批准したならば国内法的な効果をもつ国際法を利用して、裁判所の限界を破ることができるわけです。今日の日本の司法状況を考えると、こういう可能性を残しておくことは十分に意味があることです。平等取り扱いの原則の実現をめざして、このILO111号条約が批准されることは、司法の限界を超える点においても、大きな意味があると言えます。