講座・講演録

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第15回人権啓発研究集会(2001年2月16日)より

人権劇 「キラキラと輝く生き方を求めて
−第1部「スダチの苗木」−

文部省「道徳教育推進指導資料」掲載
■脚本・監督 澤田 清人(京都市立弥栄中学校)

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あらすじ

 被差別部落に育った健司は,父の日雇い労働者という職業がいやで仕方がなかった。わずかな晩酌をすることぐらいしか楽しみをもたない父,ただひたむきに働き続ける父,今の健司は心の底から感謝できるが,以前の健司はそんな父の姿が無性に悲しかった。そして,京都で過ごした学生時代の四年間は,自分のことさえも誇りをもって語ることができなかった。

ハ 大学から友人数人と共に下宿に帰ってくる。今日の同和教育の講義の話題になるが,部落のことをよく知らず,ただ偏見に満ちた会話をはじめる友人たち。そのような中で,健司にも意見を求められるが,自分の考えを少し述べるだけで客観的な立場でしか話せない。また,親代わりのように親切にしてくれる下宿の女将さんさえも,「かかわらん方がええよ」と警戒心を助長するような話をするのである。

ハ このような中で,自分が部落出身であることを伝えられない健司は自己を責め苦悩する。そして,中学時代の友人に電話をかけ,今日のことを打ち明ける。話すうちに中学時代の懐かしい思い出が回想してくる。

 そこは中学校の教室,学活で同和問題学習が行われている。同和問題に対して,否定的な意見や偏見が出されている。それらに対して,同和地区生徒の方から,これまでの差別の結果に起因していることを説明する。

 学活終了後,健司は部落差別は部落外の人がする問題であるから,部落外の人の中に理解者を増やしていくことが大切であると痛感し,そのための同和教育の必要性を感じ教師になることを決意する。

 もうすぐ大学卒業という時期,健司は実家に帰っている。京都での就職も考えたが,やっぱり徳島で教師になりたいと決意したこと,徳島で部落の子どもたちの立ち上がりの支援をしたいことを,自分の高校・大学時代の体験を家族に話しながら説明する。

 そして,健司の父が卒業式後,下宿へ荷物を取りに行ってやるという。健司は拒否をする。本当は自分の父を,友人に紹介することがいやだったからであるが,そのことは両親には言わない。言い出したらきかない父の性格を知っている健司は,それ以上言わないが,何となく気分がすっきりしない。

 下宿の女将さんの所へ,次々に卒業生の親がお礼に訪ねて来る。やがて,皆が帰ったころ健司の父が訪ねて来る。父はお世話になったお礼にと,いろいろ迷ったが「スダチの苗木」を差し出す。丁重に礼を言う女将,そして部屋にいる健司を呼ぶ。健司は,はじめ少し驚き,不機嫌そうに父の服装や手土産のことを非難する。女将さんが健司を叱る。「毎年,卒業生の親から多くの頂き物があるが,こんなに嬉しいのはないわ。」「この苗木が大きくなって実がついたら,あなたのお父さんの心を毎年,毎年いただきたいわ。」健司は父に背を向けたままで,植えるのを手伝おうともしない。

 社会人となった健司が婚約者を連れて立っている。今でも人生の節目節目に京都の下宿を訪ねる。当時の自分は,部落のこと,自分のことを打ち明けてこそ,本当の付き合いができるってことを,分かっているはずなのにできなかった。

 京都での四年間は,最後までそのような状態だった。でも,この四年間があって健司は教師になることを決心した。あの「スダチの木」を見るたびに気持ちが新たになる。父が,女将さんが,友人が,そして家族が「頑張ってるか」と問いかけてくるような気がする。
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第2部「峠」

文部省「道徳教育推進指導資料」掲載
■脚本 松村 泰弘(京都市立弥栄中学校)
■監督 澤田 清人(京都市立弥栄中学校)

あらすじ

 幸司と恵子は,やっとできあがった招待状の原稿を感慨深くながめた。この招待状が生まれるまでには,二人で乗り越えなければならなかった多くの「峠」があったのだ。 恵子には,大学時代から付き合っている人がいた。それが幸司だった。二人とも教師になることを夢見て大学に入学し,教師としての夢を語り合っていた。教師になった二人は,思い描いていた夢と現実とに苦しみながらも,支え合い励まし合うことで愛を深めてきたのだ。そして二人は,これからの人生を共に歩むことを決心した。

 恵子が母に幸司との結婚について話をすると,その翌日に両親は幸司が部落出身であることを調べ,世間にこだわり娘を苦しめていく。

 「人は遠くのことに対しては美しく生きられる。でも世間はそんなに甘くない。」  「この結婚で肩身の狭い思いをしていくんだ。それが部落差別なんだ。」 恵子には大学時代に友人から聞かされた言葉がよみがえってきた。

 「私の友達の中にも,同和地区の人との交際を家の人に反対されて別れた人がいるのよ。なにも自分から,そんな重荷を背負わなくても。」

 「私は,そんな差別に負けないわ。そんな生き方は決してしない。」と恵子は幸司を信頼し深く愛していた。

 「あなたはきっといい人でしょう。でも,世間にはまだまだ部落差別があります。親として娘を苦労の淵に追いやることはできないんです。」

 初めて幸司が恵子の家にあいさつに行ったとき,母親から返ってきた言葉である。幸司は込み上げてくる怒りや悲しみを抑え,言葉をかみしめて言った。

 「世間には差別があると言われますけど,その世間をつくっているのは,私たち一人一人ではないでしょうか。お母さんは世間という実体のないものを隠れみのにして,私たち部落の人間を差別しているんだと思いませんか。」

 そんな恵子の一番の支えになったのは妹の励ましであった。

 「私もお姉ちゃんのように世間に惑わされない生き方をしたいと思っている。」と。

 数日後,幸司は中学時代の恩師森口先生を訪ねた。

 「お前は何のために,これまで同和問題学習をやってきたんや。何のために教師になったんや。自分が差別に負けて,どうして部落の子を助けられる。どうして同和問題を解決できる。」と森口先生は厳しい口調で幸司を怒鳴る。そして優しく「問題のぶつかった時,それを嘆くだけ,逃げるだけの生き方はするな。」と語り続ける。

 そして,その後も二人は必ず分かってもらえると,両親を信じて話し合いを続けた。幸司は人間の生命まで奪ってしまう部落差別への怒りを込めて,自分自身を語り続けた。その思いに触れて当初かたくなであった両親も,段々と本心を語るようになってきた。

ハ 人間は世間体というものにこだわり,知らず知らずのうちにお互いを傷つけてしまう,そんな弱さをもって生きている。そういう生き方ではなく,人間としてその間違いを正していく生き方がしたい。両親との話し合いの中で二人がつかんだ思いであった。

 やがて,両親は家族だんらんの場でそれぞれの思いを語り合うようになった。恵子は信じることの喜びや幸せ,人は変われるということをしみじみと実感した。

 一年が経過し桜が満開になった春の日,幸司に母親が語った。

 「部落の人たちはかわいそうな人たちだと思っていました。

でもあなたは人間としての誇りをもって生きています。そんなあなたを娘も尊敬しています。」

 父親も身をのりだしながら力を込めて語った。

 「私も,部落の人たちは,重い荷物を背負っている人だと思っていました。しかし,その荷物の中に私たちが入っていたことにやっと気づきました。君たち二人の本当に愛し合う姿を見て,私たちも共にその荷物をかついで生きていこうと話し合ったんです。」

 幸司と恵子はたまらなくうれしかった。大きな「峠」を越えたと思った。