講座・講演録

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2008.01.17
講座・講演録
全同教機関誌月間「同和教育」 であい (2007.12 No.549) より

第59回全国人権・同和教育研究大会 大会総括

北陸からの発信
全同教 このよきもの

同和教育を誇りとして、教育の真実をつらぬこう


1.はじめに

 第59回全同教石川大会は、多くの皆様の熱意に支えられ、石川県同教にとっても全同教にとっても悲願であった、初の北陸での開催となり、意義深く実り多いものとなりました。

 本大会の「基調」では、まず最初に、北陸の地・石川県で開催される大会の意義を、次の2点で確認しています。一つは、部落解放運動の拡がりがなく、同和教育への認知が厳しかった石川県において、16年前に県同教を結成し、今日、大会開催を実現されたということ自体が、まさに同和教育の可能性と展望をおしひらいたということにほかならないという点です。そしてもう一つは、同和教育の理念や手法がすべての子どもたちや人々のいのちと人権を確立していく教育として普遍化できるのかが問われている大会であるという点です。この2点を中心として大会をふりかえってみたいと思います。

2.石川の同和教育

石川県の被差別部落は極めて少数点在であり、全国水平社や戦後の部落解放同盟の運動も、石川県ではその運動に結集できない状況でした。きびしい差別の中にあって、それに抗うこともできずひっそりと身を縮めている部落の人々の姿がありました。そういう中にあって、石川県行政は同和対策審議会答申が出た後の調査から一貫して「被差別部落は存在しない」とし、同和地区指定を行いませんでした。しかし、実際には部落も部落差別も存在しており、「どことは特定できないが、差別を受けている地区が存在する」と認めるようになったのは、「同対審答申」が出てから実に30年以上が経過した1996年のことでした。県行政の姿勢転換の背景には、その5年前に結成された石川県同教の存在がありました。

 しかし、石川県同教結成に至るまでには様々な道のりがありました。石川の地に同和教育の灯がともるきっかけとなったのは、1976年の第28回全同教兵庫大会に、二人の教員が参加したことからでした。その時の感動を砂上さんは今回の大会記念誌「この地に生きることを誇りとして」の中で次のように述懐されています。

 「これまで子どもの変わり目をこれほど丁寧に語られたものを聞いたことはなかった。私はただ圧倒されていた。これらの報告から同和教育の実践の何かを学ぶことになった。そして、私たちにとってこの大会が同和教育の出発点となったのである。」「それまで『言葉主義』『政治主義』に侵されていた私は、そこから抜け出しもう一度教師をやり直そうと思った。」

 志を同じくする人たちが集まって、1979年1月、石川県解放教育研究会を発足させました。石川解放研は、ほぼ毎月のペースで例会をもち、必ず実践報告を互いに吟味するということを続けてきました。目の前の子どもの姿が見えているか、自分がどこに立っているかを問われる場は大変厳しいものでしたが、愚直なまでにこれを続けることが石川の作風でした。

 県教組や日教組の教育研究集会で人権教育のレポートを出すことは続けてきましたが、県同教が結成されていない以上、全同教へのレポート提出はできませんでした。県同教を結成し、全同教に仲間入りをしたいというのが石川の願いでありましたが、一方全同教としても北陸の地での県同教結成は、組織的な悲願でした。

 1985年、全同教主催で第1回北陸同和教育講座がここ金沢市で開かれました。以後石川、新潟、福井、富山と持ち回りで開催されていきます。そういう積み重ねもある中で、全同教からの働きかけもあり、1991年7月10日、ついに石川県同和教育研究協議会が結成されたのです。石川に同和教育の灯をともすきっかけとなった全同教兵庫大会から15年が経っていました。県同教結成総会における全同教からの挨拶では、「地区指定もなく解放運動も組織化されていない県での初めての県同教の結成は、21世紀に向けての壮大な試みである」と、その意義を強調されました。

 翌1992年5月の全同教総会において石川県同教の加盟が承認され、その年の第44回全同教福岡大会から毎年レポートを出してきました。石川のレポートは、徹底した相互批判をくぐってきます。ある報告者は、「それまで『全同教大会は自分を厳しく問われる所』との印象を持っていました。報告することで、自分で気づいていない自分のおかしさを知る怖さや追求される怖さがありました。でも報告に向けて何度も県同教や地区同教の皆さんに聞いてもらい、手直ししていくうちに『自分のおかしさを気づかせてもらう機会』と思えるようになりました。」と書かれています。レポートを作り上げていく中で、自らを問いなおし、自分を変えてきたのが石川の作風でした。昨年の第58回愛媛大会までの15年間に石川から出されたレポートは42本です。地道な決してぶれることのない歩みを続けてこられ、今日、全同教を地元開催するという悲願を達成されました。繰り返しになりますが、この30年間におよぶ石川の同和教育実践の歩みと、その結果としての全同教大会開催が、全国の仲間を勇気づけ、まさに同和教育の可能性と展望をおしひらいたという意義をもっています。

(注)1981年県は「同和対策室」を設置し調査が行われている

3.石川大会に学ぶこと

 本大会の地元テーマは、「であい つながり わかりあい 育てよう共に生きる人権文化 北陸の地・石川から」です。このテーマのもと、12000名を優に超える参加者が集い、140本ものすてきな実践報告をもとに実践交流がなされました。

 石川からは、特別報告を含め22本の実践報告が出されました。さきほども述べましたように、これまでの15年間で42本だったことを考えると、まさに総力をあげてのレポート作りだったと思います。「事実と実践で語れ」「己のありようを振り返れ」「被差別の子や親に寄り添っているのか」「きちんと課題に向き合っているのか」「変わり目はどこなのか」…これまで同和教育が積み上げてきた実践の中から教訓化されてきたことが、検討会のたびに報告者に問いかけられました。答えられなくて立ち往生した報告者もいましたし、はっとして気づいた報告者もいました。そのようにして創りあげられた報告は、記念誌の中に、「いま、ここに立つ-石川の人権・同和教育の到達点-」として、全国のなかまに向けて指し示されています。

(1)特別報告から

   個人情報上の理由から内容を割愛します。

(2)特別分科会から

 特別分科会は、「ひろげよう ともに生きる人権文化」というテーマで5つの講演が行われました。

 第1講は、「子どもの生きるちからをはぐくむ-不安の組織化に抵抗し、安全のネットワークをつなげよう」と題して、エンパワメント・センター主宰の森田ゆりさんからお話いただきました。実際には、今は比較的犯罪の少ない安全な時代であるのに、マスメディアの報道により、人々の不安があおられている。危機管理の基本はコミュニケーションであり、安心を自分の外にではなく、自分の内に求め、育てるべきである。うちなる安心のみなもとは一人ひとりの人権感覚であると訴えられました。

 第2講は、「人権教育の未来-今、ここから」と題して、神戸親和女子大学の新保真紀子さんからお話いただきました。新保さんは、全同教は実践報告の場ですからと語られ、新任教員であった頃の実践、現在の大学での授業を通し、学生たちが部落問題を学び変わっていく姿を具体的に話されました。部落問題学習の授業づくりに大変大きな示唆をいただいたと思います。

 第3講は、自ら「シンガーソングライター&歌劇派芸人」と称する趙博さんから「歌うキネマ『砂の器』」と題して、映画1本丸ごとを、語りと身振りと歌で演じていただきました。渾身の演技に満席の参加者はひきずりこまれてしまいました。自らの恩人を殺してしまうピアニスト、その事件の背景に「ハンセン病問題」が存在していました。90年間隔離政策をとりつづけてきた国の犯罪を問いかけた最後の叫びが印象的でした。

 第4講は、「ジャーナリストの足で考えた人権」と題して、元西日本新聞編集局長の稲積謙次郎さんからお話いただきました。ご自身の体験をもとに、区別(ちがい)を固定化し、優劣の基準にし、排除の論理に使うと、その瞬間から差別になると話されました。また、ふまれた者の痛みは分からなくても、少しでも分かろうとする気持ちは持つことができる。人権教育とは、一言で言えば想像力を育むことだという示唆をいただきました。

 第5講は、「切り離す教育から共に生きる教育へ-共生教育の実現を願って」というタイトルで金沢市障害児通園施設ひまわり教室代表の徳田茂さんからお話いただきました。「障害」のある子も地域の学校で学ぶことがあたりまえだというとりくみを長く続けてこられた徳田さんは、大勢の子どもたちと共に生きる必要のない子は一人もいないと話されました。また、今年から始まった特別支援教育は、個々のニーズに応えていくことだというが、「障害」のある子にとって最も必要なニーズは、他の子どもたちと共に生きることだと強調されました。

 特別分科会の最後を徳田さんからご講演いただいたことは、石川大会として大きな意義があったと思います。石川県同教からは、毎年のように徳田さんたち「ひまわり教室」の職員や「つながりの会」の親たちの報告が全同教に出されてきました。また、教員の側からも、「障害」児と周りの子どもが共に生きることで集団が変わっていく、教員である自分も子どもたちから学ばされていくという報告が出されてきました。今年の石川からの報告でも、そうしたレポートが数多くあります。「分けられたくない」「分けたくない」という思いで、共に生きる教育を求めてきた石川の「障害」児教育実践は、全国のなかまの大きな共感を集めてきました。まだまだインクルーシブな教育が実現されているとは言えない状況の中で、私たちは、子どもを切り離そうとしているものを、事実と実践をもってつきくずしていきたいと考えます。

(3)展示と交流分科会から

 展示と交流分科会は、普遍的な人権としての文化(人権文化)の実現をめざし、研究大会の分科会構成も大幅に改編した第50回奈良大会から新設されました。今回でちょうど10回目になります。展示のコーナーでは、「北陸4県の部落問題」「「石川県の人権・同和教育の取り組み」「障害児・者と『共に生きる』取り組み」「石川と朝鮮とのつながり」という4つの柱で行われました。交流コーナーも含めて、金沢駅の地下広場という場所で行われたことは、大会参加者だけでなく、広く一般市民の人たちへの人権啓発になったものと思います。

 また、1の柱の「北陸4県の部落問題」では、関連行事として、シンポジウム「北陸の部落解放に向けて」が大会前日に石川県同教と人権フォーラム石川の主催で行われました。

 部落の子どもたちとの出会いを作りだせないでいることを大きな課題として受け止めている石川の人たちは、「私たちは自分の身近にいて差別に苦悩している方々と、『であい つながり わかりあい』を果たしていない事実がまだあることを知っています。 ─ 中略 ─

 部落差別を課題として出会いたい、つながり合いたい、よく了解(わか)り合いたい人がいます。そのような『であい つながり わかりあい』を先延ばししないところに立ちたいと思います。」と述べています。同和教育の中心的課題が部落差別の解決に向けた取り組みであることを自覚している石川の姿勢に敬意を表したいと思います。

4.石川大会を成功させた力

 全同教大会の参加者数は、「法切れ」後の予算削減をはじめとする同和教育を取りまく厳しい状況のなかで、ここ数年毎年減りつづけてきました。また提出されるレポートの本数も減ってきています。それでも全同教大会が、今も日本の教育に必要とされていることを、今だからこそ必要であることを、私たちは知っています。そこで、全同教は、5月の総会において、研究大会のスリム化を打ち出しました。全同教大会をこれまで開催されていない県にも広げていけるよう、参加人数もこれまでのように多くを想定せず、分散会の数も参加者数に見合った形にしようという提案でした。これに対して代表委員の皆さんから多くの意見が出されました。結果として、石川大会を何としても成功させようという全国のなかまの共通の思いを確認できた場であったと思います。

 本大会には、目標としていた12000人を大きく上回る参加者がありました。地元石川をはじめ、新潟や、いまだ全同教加盟がはたされていない富山・福井からも多くの参加がありました。さらに、レポートの本数も、昨年を上回る140本が集まりました。レポートの本数が前年を上回ったのはここ10年ほどの間では初めてのことです。私は、ここに全同教石川大会を何としても成功させたいという各地同研・人研の石川へのエールを感じています。とりわけ、新潟県から6本のレポートが出されたことは、本大会の大きな意義として強調しておきたいと思います。本大会が北陸の地での同和教育の発展と、今後の全国的な広がりに向けて大きな成果をあげたことを確認したいと思います。

5.同和教育を教育の普遍に

 さて、本大会の基調に示された、同和教育が人権を確立していく教育の普遍として問われているという点について、考えてみたいと思います。同和教育こそが教育の普遍であるという点について、2007年度の全同教研究課題で次のように整理しています。

 同和教育は、「長欠」「不就学」の解決をめざして教職員自らが子どもや親たちと向き合い、学び、そこにある教育課題を見いだしてきた営みにその出発があります。そして、その後のなかまづくりや人権・部落問題学習、学力保障、進路保障といった取り組みは、全ての子どもたちに教育の機会均等を保障し、差別を許さず人権の確立をめざす教育のありようを示してきたといえます。つまり、同和教育は、部落問題の解決に向けた取り組みを通して、子どもたちが自分を価値ある存在として実感し、自分の立場と生き方に希望と誇りをもてる教育活動をすすめてきたことにほかなりません。したがって、同和教育の事実と実践にこそ教育の普遍性があるといえるのです。

 また、「同和教育の理念や手法が、教育の普遍として確かさと展望を示すものとして多くの人々に届けることができるのか(基調)」という時の、「同和教育の理念・手法」の根幹が「差別の現実から深く学ぶ」ということであることをあらためて確認したいと思います。

 今大会のレポートの多くに、部落の子どもをはじめとして、さまざまに差別・抑圧を受け苦しんでいる子どもや親たちの姿が、差別の現実として浮き彫りにされています。現在の日本社会において、こうした厳しい現実はどこの学校・地域でも起きていることだと思います。しかし、残念ながら差別の現実から学ぶというところに立てていない場合には、そうした子どもや親たちは見えていないのです。

 目の前の子どもの姿の背景にあるものを読み解き、寄り添い、共に生き、人間としての尊厳をとりもどす営み、自らを問い、自己変革をしていく、そういう営みを指して同和教育というのだと思うのです。

同和教育がそういったものであるならば、私たちは、誇りをもって同和教育こそ教育の真実だということを今一度確認したいと思います。今から半世紀前に全同教が示した「同和教育指針」では、次のように書かれています。

 同和教育は、教育活動の中で特別な部分をなす特殊教育ではない。差別に苦しんでいる国民大衆全体の要求のうえに立った真の民主主義教育そのものであり、国民的な課題の現実的な要請に根ざし、教育の真実を貫こうとする教育である。

 また、同和教育は、部落差別の解決を中心的課題としてきましたが、部落問題だけを教育的課題として限定してきたわけではありません。「同和教育指針」の中に次のような一節があります。

 人種、信条、性別、社会的身分・門地、貧富などはもちろんのこと、母子家庭に育ったことによってさえ、社会的な、経済的な、生活的なあらゆる場合に差別が重苦しく国民のうえにのしかかっている。これらの多様な形態でうち出されている差別に比べて、部落に加重されている差別は、質的にも量的にも絶大なものであるが、その本質は、日本社会の封建遺制によって生み出され、根を一つにする共通の課題なのである。

 今日の社会の差別や抑圧が、「封建遺制」という言葉では括られないとしても、部落差別からの解放に向けた教育実践が、すべての差別からの解放に向けての実践へと広がっていったことは当然の結果でした。さらには、すべての人々の自己実現をめざした教育へとも発展してきました。そして、そのことを、理念や言葉としてでなく、事実と実践にもとづいて確かめあってきました。その場が、全同教研究大会であったと思います。

 そういう意味では、分科会に出される実践レポートこそ、同和教育を教育の普遍にしていこうとする時の生命線であり、分科会での熱い討議がそこに命をふきこむのだと言えます。全同教の専門委員として長く司会を務められたある方は、分科会討議の魅力を次のように記されています。

 「その心地よさはそれまでに感じたことのない類のもので、大会の期間中は『自分がもっとも自分らしい自分になっている』と感じられたのでした。報告者やフロアの人達の言葉の一つひとつが心にしみ込んできて、『ここに大切な仲間がいる』『人間を人間と尊重する世の中の実現を熱く願う人達がいる』と思えるのでした。 ─ 中略 ─ 全同教大会にでかける直前はくたくたになっていて、時には不整脈が出たりしていたのに、大会で現地に着くと心身ともに生き返り、嘘のように不調が消えてしまうのでした。」

 こうした感想を抱いておられる方は決して少なくないと思います。全同教創設50周年記念誌のタイトルに「全同教このよきもの」とありますが、全同教大会はまさに同和教育の魅力を広げてきたと確信しています。しかし、まだ全国のすべての学校、地域に同和教育が浸透しているとは、残念ながら言えません。けれども、例えば今回の石川大会に初めて参加された方が、31年前に石川から参加されたお二人のように、同和教育の温かさと確かさに触れ、自分の地域・学校で、同和教育を始めようとするならば、同和教育の裾野は確実に広がっていきます。同和教育は教育の普遍です。一人でも二人でも、たった一人からでも同和教育を誇りとして教育の真実をつらぬこうとする人の輪を増やしていきたいと考えます。

 来年は、世界人権宣言60周年にあたります。また、全同教大会も60回という節目の大会です。そういう中で全国水平社誕生の地、奈良で大会が行われます。今回石川で学んだことをもとに、互いの実践をもちより、奈良で会いましょう。これで大会総括を終わります。

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