講座・講演録

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2008.06.18
講座・講演録

学校・家庭・地域の協働による教育の総合化
~学力保障の課題をだれとのりこえるのか~

中野直毅(元田川市立金川小学校校長、現田川市教育委員会学校教育課長)


  田川市立金川小学校では、子どもたちの学力保障に関わる課題について、「誰の学力が、なぜ低下しているのか」という視点を大切にしながら、少人数学習を中心とする多様な指導方法を通して、その本質的な解決をめざした実践を積み重ねてきました。そして、学校・家庭・地域の協働の営みによって教育を総合化することで、人と人との豊かなつながりや、地域や家族を誇りに思う温かい心を育もうと取り組んできました。その十数年にわたる金川の取り組みをもとに、子どもを中心とする学校・家庭・地域とのつながり方、授業というものの捉え方など、日々の教育実践をふりかえり、これからの学校改革・授業改革というものをどう進めていくのかを考え合いたいと思います。

 2004年度福岡県人権・同和教育実践交流会(2005年2月26日 久留米市民会館)における全体講演の内容を加筆・整理して掲載しました。

Winds Vol.43 2005.7 より


 こんにちは。ご紹介いただきました中野です。金川の実践は、関わってきたメンバー20人くらいにここに立ってもらって、一人三分ずつ話すとだいたいわかるのですが、時間も足りないということで私が今までのいろんな実践を代表して説明させていただきます。

子どもたちの"歩み"から見えてくる課題
-教育の分業化-

 おわかりの方も多いと思いますが、これはボランティア団体「GOKURENKAI」のメンバーですね。38名の子どもたち、元暴走族「極連会」がこういうふうにボランティア団体になって活動してきました。『逆転のボランティア』という本が学研から出ていますので、読んでいただければ詳しい経過がわかると思います。この子たちの多くが金川校区で育っていった子どもたちで、同和地区の子どもたちが何人もいます。そのメンバーの工藤くん(元代表)の話ですが、私が大事だと思うところは、「工藤くんが荒れていたのはいつごろか」というところです。ちょうど小学校二年生か三年生のころから、少しずつ荒れていくのです。

 家庭的にはいろいろとあり、そうなっていくんですが、その時に、学校や地域には教育に携わる人がたくさんいたはずです。しかし、そういう人たちがどれだけ機能できたのかということが、一つ大きな反省点であるだろうと思うのです。宿題がだんだんできなくなったり、なんとなく朝元気がなかったり、学校に遅れてきたりして、もちろん、学級担任は家庭訪問したりと、さまざまあったと思いますが、その時の担任の先生の働きかけだけでは、工藤くんは力を発揮できなかった。また、校区には民生児童委員さんもおられますし、区長さん、公民館長さん、隣組長さんなど、いろんな方がおられるわけです。そしてもっと言えば隣の家に住んでるおじさんとかおばさんとか、いろんな人がどんな声を工藤くんにかけることができたのかな、と思います。しかし、あまりにも教育といったものが分業化しすぎてしまった。そして、本来なら一人の子どものためにみんなが手を携えて一緒にやらなければならなかった教育が、それぞれバラバラの役割になってしまったときに、本当の子どもの姿が見えなくなったんじゃないかなと、今反省をしています。工藤くんが「お母さんが帰ってくるまで夜遅いからとっても怖くて、金属バットを持って布団の中でじっと待っていた。」という話をしていましたが、そういう世代の子どもたちの歩みというものを反省的にもう一度捉えなおすことができればいいな、と思っています。

90年同和教育実態調査の意味

 80年代まで頭を戻していただきたいんですが、バブル期にはさまざまなことがありました。いろいろな価値観がどんどん変わっていくなかで、学校現場では、学校が、子どもたちが荒れる、あるいは差別事件が多発するなどさまざまなことが起きていましたが、そういった時代背景のなかで1990年に福岡県同和教育実態調査が実施されました。この意味をちょっと考えてみたいと思います。日本全国の少年非行のピークといわれる世代が23年くらい前です。その一番終わりごろに工藤くんの世代が当てはまります。実は、工藤くんの子どもさんは来年小学校に入学します。つまり、保護者の世代は、ちょうど中学校・小学校時代がすっぽり少年非行多発の時代に入ってしまうのです。そういった保護者たちの中には、常に社会とかいろんなところでずっと否定的な評価をされてきた人たちが多いのです。そして、子ども時代そんな経験をしてきた人たちは、青年や大人になって、子育てをする上で孤立しているケースが多い。「どんなふうに子どもを育てたらいいんやろうか」と。地域とのつながりをつなぎ直せない。仕事が厳しい、あるいは遠方に行かなきゃいけないから、家に帰るのが遅い。それで、「誰に相談したらいいんだろうか…」と。そういう子育ての孤立状況を考えるとこれから先の学校というのは、本当に厳しい状況になるのだろうなと思います。ある大学の先生が言っていました。「おそらく、今は都会を中心に子どもたちの荒れが始まっている。あるいは学校から学びの逃避が始まった。しかし、これは豊かな自然を抱えた田舎でも次々と起きていきますよ。」という警鐘を鳴らしています。

 私たちは90年の実態調査の前、「解放の学力」ということで一つの目標概念を掲げていました。集団主義の手法ですね。「知的な学力をしっかりつかむ。そして、子どもたちが生活を、現実を、自分の生活課題をしっかり認識する。そして社会的立場を自覚する。そうやって子どもたちが育つはずだ。」と、そういういう目標概念を掲げて頑張ってきたのですが、90年の実態調査の意味というのは、実は、私たちに、ある分析概念をあたえてくれたことにあります。「解放の学力」だけでは、どうしても小学校三年生のときに学力が剥がれ落ちる。中学校に行ったときに学ぶ意欲をなくす。また、卒業するときに働く意欲もなくしていく。そして、そういう一人ひとりの子どもに頑張れない状況が生まれる原因を分析する手立てがなかったのですね。しかし、この90年の実態調査以降、さまざまな校区事業の取り組みを通して私たちは少しずつ確信を得てきました。セルフイメージを中心とするこの一つのものの見方、分析的な見方を通して、一人ひとりがなぜここで苦しんでいるのか、なぜここで学力が剥がれ落ちるのかということに少し答えが見えてきたような気がします。それがこの14年間の金川校区の取り組みではないかなと思います。

セルフエスティームと学力の逆転現象

 この実態調査の分析から、私たちがびっくりしたのは、学力と相関のあるものがいくつかのポイントで見えてきたということです。それは、「家庭で約束を守る」とか、「我慢をする」とか、当たり前のことなのですが、そんなことができる子はみんな、学力が高いんですね。このことを大阪大学の池田寛先生は、「生活の型」あるいは「生活の型の崩れ」と言っています。「この型というものが、とっても自分をふりかえる意味では大事ですよ」と。ところが一点だけ、それと同じにならない数値がありました。それが実はセルフエフティームと学力の逆転現象です。当時、高知、大阪などいろいろなところで実態調査がおこなわれていましたが、そのなかでもさまざま確認はされていました。同和地区の子どもたち、ムラの子どもたちは包み込まれ感覚がとても強いということなんです。包み込まれ感覚というのは、温かく認めてもらっていると感じていること、これはとっても大事なことなんですね。セルフエフティームを高めるとか、自己効力感を高めるうえではとっても大事なんですが、金川では、子どもたちからよくこんな発言を聞きます。「俺って天才」と。ちょっと2、3題問題が解けたときに「先生、俺天才や!」と発する言葉に代表されるように、どうも具体的な目標レベルが低いところで満足してしまう。

 この逆転現象ってなんだろうかということで、いろいろ分析したり七支部連絡協議会(校区にある7つの支部による組織)の支部長さんたちともいろいろと話をしていきました。そのなかで、「学校の先生たちは褒めれ褒めれって言うて、俺たちは一生懸命褒めてきたけど、ひょっとしたら褒め殺しやなかったんか」と指摘されたように、「何をどこで、だれから褒められたらいいのか」ということが明確にせず、「子どもが頑張ったらとにかく褒めてください」と言っていたことが、こういうことにつながっていったんじゃないかと反省をしました。そして、わたしたちは、「目標をしっかり持たせましょう」、「自己目標を持たせて、きちっとそれができたかどうかの『ふりかえり』をさせて、小さなステップでいいから、やりとげられた体験を子どもたちに味あわせましょう。」ということで取り組んできました。そのことによって、これは2003年のデーターですが、同和地区と地区外のセルフエフティームと学力の逆転現象は、ほぼ解消されていきます。つまり、同和地区も地区外の子もこのセルフエフティームと学力というのが非常にきれいな相関となっていきました。ここで一つ確証を得ました。小さなステップで目標を持ってきちんとふりかえるということはとても大事だし、そこを褒めてもらったらもっと力が伸びるのではないだろうかということです。

「どうせ俺はだめだ」は、なぜ形成される?

 では、「どうせ俺はだめだ」、「どうせ俺は…」というような、否定的なことを言う子どもたちは、一体どの辺の年代で出てくるんでしょうか。金川校区では保育所との連携がずいぶん進んでいますから、よく保育の先生たちとお話することもあるんです。小学校で授業研究したときに中学の先生も見に来ます。保育園の先生も見に来ます。それが終わったときにちょっと聞いたんですが、「粘土細工なんかしてお家に持って帰ったとき、例えばワニさんの粘土細工とかをポケットに入れて持って帰ったそのときに、お家のお母さんがどうするかで随分翌日違うんですよ。」という話をしてくれました。粘土細工を持って帰ったときに、「まあ可愛らしいワニさんやね」とか「明日はどんな可愛らしい動物を作ってくると?」とか「お父さんに見せようね」と言ってテレビの上に飾ってくれるお母さん。この子は、翌日本当に可愛い犬さんを作ったり、今度は可愛らしい猫さんを作ったり、お父さんに見せたい、お母さんに見せたいっていうことで、次から次に何かを作っていくそうです。

 ところが、ポケットに忍び込ませて持って帰ったワニさんの粘土細工は、グチャグチャになってますよね。そのとき、「まあ!こんなもん持って帰って。こっちに置いときなさい。」と言って端っこに置かれた子どもは、翌日、つまらなそうに粘土をこねているそうです。やはり、子どもたちは一生懸命ボールを投げようとするんですね。それで、何がどう跳ね返ってくるのか待っているんです。自分が頑張ったことをやっぱり褒めてもらいたい。褒めてほしい人はもうはっきりしてるんですね。小さな子どもたちは、やっぱりお母さんから、そしてお父さんから。そのボールがちゃんと跳ね返ってくるかどうか、跳ね返せてるかどうか。

 学校はどうなのかということも、実は本当に大きな課題なんです。つまり、「子どもが投げ返すボールをわたしたちは丁寧に投げ返せているだろうか。温かく投げ返せているだろうか。そして、お家ではどうなんだろうか。」、そんなことをもっともっと問わなければいけないんです。さきほど目標を持って小さなステップで頑張って成功したことを褒めてやろうと言いましたが、そこがとっても大事じゃないだろうかということになりました。

 このころわたしたちは、大阪大学大学院人間科学科の池田寛先生にお会いすることができ、セルフイメージ、セルフエフティームということが随分見えてきました。そして、否定的セルフイメージや肯定的なセルフイメージに関係しているのが、自尊感情、セルフエフティームだということがわかってきました。このセルフエフティーム、「自信と誇り」というのは、難しい言葉で言えば「矜持(きょうじ)を持って」というような、「袴の裾をはらってすくっと立ち上がる」というような日本の古い言葉がありますが、「胸を張ってすくっと立ち上がる」、「自信を持つ」、そんな言葉だというふうに思っています。周りの人がその子にどんな期待をしているのか、その期待に応えようとして子どもがどんな努力をしようとしているのか、一生懸命ボールを投げようとしているのか、また、そのときにどんなふうにボールがやさしく温かく投げ返されるのか。そんなことの中心にあるのがこのセルフエフティームです。だから、自尊感情というのはいろいろな要素によって高く育っていくんですね。

 このセルフエフティームを培うための大事な柱が四つあると言われてます。この四つの柱のうちで最も大きな柱が、実は「自己効力感」といわれるものです。この自己効力感というのは、達成体験の積み重ねにより得られるものです。一つひとつ何かやったらうまくいった。ワニさんを作ったら、お母さんが褒めてくれた。犬さんを作ったら、お父さんも褒めてくれた。そんな小さな体験の積み重ね、算数でいえばドリルにあたるでしょうか。頑張ってやったらできた。褒めてもらえた。そういう体験の積み重ねです。そして身近に頑張っている「モデル」がちゃんとあること。それから自分自身がちゃんと具体的な「目標」を持てること。そしてお母さんが自己効力感を持っていて、そこを「褒めてくれる」。この四つが大事だというふうに言われていますが、実は金川の授業改革というのは、あとで気がついてみればまさにこの四つにきちんとはまっていたんですね。わたしたちは理論研究から始めたわけではありません。子どもの事実、この子をなんとかしたいという思いからスタートして、たどり着いたのはこの四つだったということです。

意味づけ・価値づけ・方向付け
-セルフエスティームを育てる、肯定的評価活動-

 1964年のコールマン調査を覚えている方いらっしゃいますでしょうか。カラードといわれる黒人社会の子どもたちの学力が伸びない。この学力を伸ばす最大の要因は何かということが、このコールマン調査の報告のなかでも非常に大きなウエイトと占めているんですが、実は学力に最も優位な力を発揮できているのは学校ではなかったということなんです。家庭の背景的な要因。自己効力感の四つで言えば、肯定的な評価としてお家のお母さんがどんなふうにボールを投げ返してくれているのかということだろうと思うんです。そこでわたしたちはお家の人がどんなボールを投げ返すのか、教師自身がどんなボールを優しくあたたかく投げ返せるのかというところに注目をしていきました。そして、意味づけ・価値づけ・方向づけというものを、金川校区の授業づくりの一番大事なところだと捉えました。

 意味づけというのは、その子に対して、「今日はワニさんがとっても可愛らしくできたね。」と言えることです。価値づけというのは、授業の終わりとか真ん中で、「ねえねえみんな見てやって。昨日はワニさん作ったけど、今日はもっと可愛らしい犬さんを作ったよ。かわいいね。」と、みんなのなかで価値づけをしていく。そして、「明日はもっとかわいい動物を作って、動物園を作ってみようか。」というふうに学級集団を方向づけていく。実は、ここが教師が一番問われるところなんです。なかなか勉強で厳しい子どもに、その学習をどんなふうに意味づけようか、どんなふうに価値づけたらいいだろうか。これは教師自身のたたかいです。教師の力量が一番問われるところです。教師が問われるこの部分を授業改革の最大の柱にしたいということで、これが最初の出発点です。そして今でもずっと続けられています。大村はまさんとか、授業の上手な方がいろいろいますが、そういう人たちは意味づけとか価値づけ、方向づけがとてもうまいんですね。元三輪中のおかべたけしさんの授業や帰りの会、学級会とか見たことが何回もありますが、やっぱりそうですね。肯定的な評価活動、意味づけ・価値づけ・方向づけというのが本当に的確にできてますね。

 これをするためには、二つのことが大切なんですね。一つは、物事が並んでいる教科系統が、次にどんなふうになったらいいかということが頭の中にきちっと見えていないとなかなか難しいんです。二つ目は、子どもの生活というのが本当にみえてないと、この意味づけ・価値づけ・方向づけというのはとても難しいんです。でもこれは、頑張れば少しずつできるようになります。日々、教師の鍛錬かなというふうに思っています。

 もう一つとても大事なことがあります。これが原因帰属ということです。何かに取り組んだ結果、成功したときはいいんですね。「俺って天才!」でもいいですし、「俺はやっぱり力があるんだ」というのも構わないんですが、失敗したときに、「俺はどうせ駄目や」って思ったら、もう次は意欲が出ないんですね。一番わかりやすい例として、よく跳び箱の話をするんですが、「さあ今から7段跳びますよ」と言ったときに、5段までしか跳べない子どもは、最初から「今日はできるわけない」と思ってしまうんですね。そんな乱暴な一斉目標がひょっとしたら授業の中で立てられていないでしょうか。「昨日はみんな何段飛べた?君は3段やね、君は4段やね。ああ、5段跳べたんだね。じゃあ、今日は一段ずつ先に進むチャレンジをしようか。今日の学級目標こんなふうにしようね。」と、「それぞれ自分が1段ずつ高いところにチャレンジする方法みんなで考えながらやってみよう。」というような一斉目標がどんなふうに授業の中で立てられていくかということがとても大事になってくるかなと思います。個人の自己目標と、集団の一斉目標のバランス。乱暴でないバランスで丁寧に立てられていくことが、子どもたちのセルフエフティーム、自己効力感を高める上でとても大事だと思います。そして、努力のどこが欠けているかということが見えるような教師の言葉かけ、「走るスピードが弱かったんやね。」とか「跳び箱につく手の位置がちょっと短かすぎたんやね。だから今度はもっと先に手ついてみようか。」というように自分の努力が見えるような言葉かけというのが、実は、「丁寧なボールの投げ返し」だろうと思うんです。子どもは一生懸命褒められたいと思ってやりますが、すべて成功するとは限りません。うまくいかないときもあります。そのときに「次、こうしてみたら絶対うまくいくよ。」ということが、一人ひとりの子どもにちゃんと返されて、「俺には能力がない」ではなくて、「ここの努力が足りないんだな」というふうに、授業全体が丁寧に進んでいるかどうかということを常に検証したいと思います。

学びの「ふりかえり」活動の工夫

 では、どのように「ふりかえり」をすれば自分が頑張ったことを自分自身でわかるのでしょうか。高学年だったら簡単なのでしょうが、小学校一年生の子どもが、自分が今日勉強したことをふり返って、どうだったのかと考えるのはとても難しいんですね。金川小学校の先生たちは一つの工夫をしました。「デデデ大王からお手紙がくる」ということで算数の問題を考えていきました。デデデ大王というのは悪者なんですね。そのデデデ大王がとても難しい問題をピカチューに出すと、ピカチュウさんはとっても困るんですね。「わあ、難しい問題がきたな。みんな、教えてよ。どんなやり方をしたらこれが解けるの?」ということで、授業が始まるんです。子どもたちは一生懸命ピカチュウさんにお手紙を書きます。「ピカチュウさん。こんなふうにタイルを使って、こうやったらうまく解けたよ。」と。実は、子どもたちはここで、数理の処理を丁寧にふりかえっているんですね。「僕はタイルじゃなくて、指を使ったらこんなふうにできたよ。」あるいは「さくらんぼ計算をしたら、うまくいったよ。」、そしたら下の方にピカチュウさんからのお返事が書かれます。これは学級の先生が書くんです。「ありがとう。今度はもっと早く解ける方法を教えてね。」というように。すると子どもたちは、今度は一生懸命に早く解ける方法を考えていきます。ピカチュウさんのお返事をお家の人に書いてもらったこともあります。「ありがとう。今度はこんなふうにやってね。」というようにピカチュウさんからお返事が返ってくるということが、実は、子どもが「明日はこうやったらいい」ということをつかむための方向づけになっていくんです。しかもそれが、ピカチュウさんという子どもにとって関心があったり、大事だったりする友だちから返ってくることがポイントです。これが、少しずつピカチュウさんから学級の友だちへ、あるいはお家の人へ、地域のおじちゃんへというふうに、褒めてくれる人のレベルがどんどん変わっていくんです。最初の段階でこれを何ヶ月間か取り組むと、子どもたちには本当に書く力がついてきます。先ほど言いました意味づけ・価値づけ・方向づけをしていくんです。

 さきほど、身近なモデルが大事と言いました。私たちは柱の子、つまり検証軸の子として、学力低位の子に一生懸命視点を当ててやり続けてきました。そのとき、実は、学力は下がっていったんですね。その子にとって大切なモデルも育てないと学力が伸びていかないし、学習集団として伸びていかない。この問題点に気づくまで本当に何年もかかりました。そこで柱の子を学力低位の子だけでなく、学力高位の子でもうまく表現ができない子など、さまざまな子どもたちを柱の子として位置づけて、そういう子どもたちも丁寧に価値づけたり、意味づけたり、そして学級全体を方向づけたりというような作業をまとめの段階でやっていくわけです。このことは中学校の授業でも、私たち大人にとっても大事なことなんですね。これは骨格になる授業を構成する要素だと思っています。ちょっとだけ発想を変えてみてください。勉強がわからないこの子がみんなの前で褒められる場面をなんとしてでもつくってみたい。そういうふうに考えて授業をちょっとプランニングをしてみませんか。私はそのことが、その思いが、その子を意味づけ、価値づけるときにきっと生きてくると思います。少人数学習のなかで最終的にはそのことが見えてくるんです。

 それともう一つ陥っていたことがあります。学力の伸びがなかなかみられなかったとき、大阪大学の池田先生は言われました。「金川は柱の子に一生懸命に力を注ぐあまり、問題の量がどんどん減っていきましたね。布忍小(大阪府)に比べて問題量が半分以下ですよ。」と。そこで私たちは、一時間に取り組む問題の量を増やして、教師の話す時間を減らして、子どもたちがチャレンジしたり、考えたりふりかえったりする時間をたっぷり取れないか、と考えました。それが、自然に少人数とか、分割授業という形になっていくんですよね。

どの子の学力が、なぜ落ちているのか
-学力の二極化と低学力の論議を受け止める-

 ここで、最近よく言われている「学力の二極化」について、もう一度考えてみたいと思います。金川では6年ほど前です。「先生。おつりってなに?」と言った小学校一年生が登場しました。算数のたし算で、私たちはよくお金をモデルに勉強をします。ところがおつり自体が全然わからない子どもたちがいるんですね。聞いてみると、その子のお家では買い物の時、お母さんがスーパーに行って買うだけで、子どもは実際に自分のお金でやり取りをしたことがなかったんです。ですから、おつりということがわからない。もし、そのままお金を使ったたし算の学習がスタートしていたら、その子はおつりという概念を持たないまま放置され、勉強がわからずにうつむいていたはずです。もっと「子どもたちが今どうなのか」ということを見定める必要があるだろうと思います。

 それから、「さあ、今からここにみんな集まってごらん。この長い時計の針がね、12になったらここにくるんよ。」と言った時に、時計を見ない子どもたちがいました。時計というものがわからないんですね。家に行ってみると、やはりお家にはアナログの時計はありませんでした。アナログというのは、長い針と短い針が動く時計ですね。これがないんです。そして、ビデオデッキやテレビがあって、そこに映るデジタルの12:00という数字だけがあるんですね。だから、子どもたちは時計というものの意味がわからないんです。実は、時計で時間と時刻を明確にするということは、とても大切な概念なんです。算数では、いくつか重要な概念があるといわれています。てんびんのおもりと傾き、買い物をしておつりがいくらもらえるか、時計の針で時計の時間と時刻をつかむこと。そして、自分が何歳になった、だからケーキに何本のろうそくを立てるということ。算数だけに限定してますが、実はこんなことが認識の上で非常に重要な原点といわれています。もしこのような視点がないまま、買い物でたし算がスタートしていたら、その概念を持たない子は放置されていくんですね。

 このような事実をもっと大切にするために、過去10年間のデーターを持ってきました。これは、小学校二年生だけを10年間比較したものです。ここには大事なことが二つあります。一つは、学力期待値です。もし10年間、以前と変わらない授業をやっていたら、期待できる学力はどんどん下がっていくんですね。これは実際の学力ではありません。予想される学力です。つまり、子どもたちの体験の質とか量は、子どもにとってより厳しい状況になっているということを示しています。現在では、今年の二年生で44.5です。ですから、普通の時計を使ったりお金を使った授業をしていれば、そのまま学力偏差は44.5になってしまうんですね。それほど子どもたちの体験も質や量も変わってきている。

 二つ目ですが、実際の学力数値です。小学校二年生ですが、なかなか伸び悩んでいる時期と、急激に伸びていっている時期があります。これは今年の二年生のデータですが、学力偏差で51.4、期待値が44.5ですから、成就値で6.9、すばらしい伸びだなと思います。予想以上に子どもたちは伸びています。わたしは「少人数学習をしたら学力は伸びる」などということを言おうとは思いません。「TTをしたから伸びなかった」わけではないんです。私たちが見なければならなかったもの(事実)を見れていなかったから、TTをやっても少人数学習をやっても伸びなかったんですね。でも、子どものくらしの事実が見えてきたときに、少人数学習が大きな力として発揮されてきました。そのことを明らかにしたのは就学前の実態調査です。

個の実態把握を活かした授業づくり -就学前実態調査と少人数学習の挑戦-

 就学前実態調査ですが、校区には、同和保育所、児童センター、私立保育所の三つの保育園があるんですが、実は、記名で一人ひとりのお母さんたちに聞いてもらいました。52項目あります。子どもたちの生活、例えばお絵かきとか、紙工作とか、集団遊びとか、絵本とかこういう生活実態を把握してもらいました。そして、入学してきた一年生の学力をみてみました。ご存知のように、小学校一年生は学力なんて計れません。そこで知恵を絞って、鉛筆は握れるかな、筆圧はどうかな、46文字書けるのかな、名前はどうなのかな、というように国語領域、算数領域、コミュニケーション領域に分けて、一年生の先生が4月・7月、それから12月・3月の年4回、子どもたちを見ていくわけです。この実態調査の命は、先生たちが年間4回子どもたちを丁寧に見ていことにあるのです。「あっ。今、鉛筆が握れるようになった。」、「あっ。名前が書けるようになった。」、「あっ。この子は数の認識が落ちてる。」とか、「数と量がわかっていない。それをもとに授業を考えよう。」というのがとても大事なんです。中学校・小学校・保育園で授業研究の反省会のときに保育園の先生が言いました。「今日の小学校の授業研究はとっても良かったけど、ちょっと気になることがあります。」と。ひき算の学習で、「違いはいくつ」ということで入るんですが、保育園の先生がこう言われました。「先生。『違いはいくつ』って言うけど、うちの保育園では、うさぎさんとたぬきさんの『違い』は言うけど、量の違いということでは『違い』という言葉は使いません。だから、ひょっとしたらAくんとBくんは『違いは?』って言われても、意味がわからないんじゃないですか?」。確かにそのとおりだなと思いました。りんごとイチゴの違いということは普通、私たちはよく言うけども、数の違いという意味で言っているでしょうか。ここは一年生がよくひっかかるところです。確かに教科書にはそう書かれています。でも本当にそれで概念がきちっとつながる子どもはいいんですが、そうでない子どもたちにとっては意味がわからない。それは子どものせいじゃないんですね。もし私たちが乱暴に「違いはいくつ」と言って、ひき算をはじめたとしたら、その子たちは最初から置いていかれるわけです。保育園も数あそびをしてくれるようになったり、「違いはいくつ?」というようなことをやってくれたり、「10ずつ積み木を出すよ」とか、「数えながら今日は片付けようね」とか、いろなことをやってくれるようになりました。小学校でも算数のひき算に入る前に魚釣りゲームを昼休みにやったりして、子どもの体験を補ってから授業に入るといった意識が持てるようになりました。

 その一例ですが、少人数学習における工夫です。2年前、3人の教師たちと京都教育大学付属小学校に行きました。そこは、可変的な習熟度による3分割授業、つまり、学級を解体して自由自在に分割し、習熟度別、課題別など、さまざまな方法で取り組まれていました。そこでは、3つのコースがありました。お金の絵のコース・数と図のコース・お金の模型のコース。これを見たときに「金川にもしこのまま持ってきたら、最初からわからない子がいるよね。」と思いました。学校に戻って自分たちの取り組みに活かそうとしたとき、先生たちは工夫をしてくれました。それは、「紙束コース」です。お金の模型に1とか100とか数が書いていればもうそれだけで、頭が混乱する子どもたちもいます。だから、何にも書いてない紙の束を100枚束ねて100。それを10束ねて1000。白い模造紙を職員室でみんなで切るんですね。通りかかった人がみんなそれを一生懸命切ってくれるんですね。こんな箱いっぱいに紙束ができました。

 一人の女の子がいました。ほとんどしゃべらない女の子でした。体が弱いんですね。お母さんはその子を大切に思ってるから、風邪をひくと病院に連れてくんですね。この子がかわいいからって帰りにちょっと甘いものを買ってやろうか、とスーパーに寄ります。ちょっと買い物もします。お菓子も買ってあげます。そして気がついたらもうお昼近くになっていて、「今日は、病気だから休ませます。」と学校に連絡があります。そんなことがずっと続いて、その子はだんだん学校に来ない日が多くなったんですね。学校に来ても、ポツンと一人で座ってます。ほとんど言葉がありません。そんな子どもたちのために作られたのがこの「紙束コース」です。金川小学校では、分割の仕方をいろいろな形で変えます。課題別でもやりますし、習熟度別でもやります。さまざまやるんですが、すべての子どもがすべてのコースを体験して、自分が一番わかりやすいコースで学習をします。学習方法を自分で選択をする。自己目標を持つんですね。そしてやったことを最後に交流します。

 このときにおもしろかったのは、言葉の少なかったこの子が「とってもよくわかる」と、ニコッと笑って学習をしている姿でした。もっとおもしろかったのは、とっても難しいコースで勉強していた子どもが、その紙束コースの子どもの話を聞いてやってみて、「本当によくわかる。僕が今までこれでやったことの意味が、この紙束コースでやったことでもっとよくわかる」と言ったことです。こういう授業が、実は、一人ひとりの勉強が意味づけられたり、集団のなかで価値づけられたりして、学級全体が「今日頑張ってよかったね」と思える授業になるのではないかなと思います。

ほめてもらいたい人から、ほめてもらいたいときに、ほめてもらいたいことを…

 今日もサブタイトルに書きましたが、「学力保障の課題をだれと乗り越えるのか」ということが、学力保障の一番大切なとこだろうと思っています。自己効力感にとても大事な要素は親たちからの肯定的な評価活動です。そして、コールマン調査が学力に最も相関のあるという家庭的な背景、つまり、お家のお母さんやお父さんと一緒に、その子の育ちの共有化ができているかどうかがとても大事だということです。その子が今どんな状態にあるのかをしっかりと家庭訪問して話し込んで、「じゃあ。今度こうしましょう。」、「お母さん、こんな言葉かけしてくださいね。」というふうに、お家の人と一緒に奪われた体験を取り返していく、そんな育ちの共有化がとっても大事だろうと思います。

 先ほどなかなかしゃべれなかった女の子のところに、私も担任の先生と一緒に家庭訪問に行きました。近所に住んでるおじちゃんも一緒に来てくれました。そのおじちゃんは民生児童委員さんでした。民生児童委員さんだから来てもらったわけではありません。近所のおじちゃんだから来てくれたんです。そして、その民生児童委員さんは、「お母さん、おばあちゃん頑張ろうね。」と、その家庭訪問のときに言ってくれました。また、「お父さんもがんばんないよ」とも言ってくれました。「うん」とお父さんもうなずいてくれました。そのお父さんはちょうど「GOKURENKAI」の工藤くんたちと一緒に若いときに暴走をしてた青年だったんですね。このように、学力保障の課題を乗り越えるカギは、その子の成長に関わる人たちがその子の育ちを共有する、そこに小さな協働という輪が生まれるかどうかです。教師一人が支えるのでもない、母親一人が支えるのでもない。地域に住んでいる人も一緒にその子の育ちを協働というスタンスで育ちを共有化できるかどうか、ここがとても大事なことだろうと思うのです。

 子どもに対する声かけや評価についてもそうです。ただ漠然と子どもの実態を見に行く家庭訪問ではなくて、「お母さん、今日はねピカチュウさんの問題をこんなふうに解けたよ。だからここだけは、褒めてやって。そしてお家にこのブロックを持って帰ったら『ここ頑張ってごらん』って声をかけてやって。」というふうに、その子にとって褒めてもらいたい人から、褒めてもらいたいときに、褒めてもらいたいことを褒めてもらえるように働きかける。これを私たちは「評価傾向の一致」といってます。学校で褒められたことをお家の大事な人から、難しくいうと、「重要な他者」から、きちっと褒めてもらう。これが、実は、高学年の子どもにとっては地区学習(学力補充学級)に来ている青年なんです。そして、部落研に行ってる子どもたちにとっては仲間なんです。重要な他者からきちんと褒めてもらう。そして学校でも、友だちから、教師からきちんと褒めてもらう。こういう肯定的な評価傾向がきちっと一致したときに、子どもたちのなかに差別の現実に対しても倒れないしっかりとした自己効力感の基盤ができていくのです。

やってみませんか?学習応援団

 私たちの取り組みは、協働というところから学習応援団へとさらに発展してきています。例えば、「丸つけ応援隊」ということで来てもらいます。お家のお母さんたちが前から子どもたちを見ます。授業参観ではありませんから、前から子どもの顔を見ます。すると、子どもたちの目の輝きがお母さんたちにわかるんですね。今まではわが子しか見ていなかったお母さんが他の子を見るようになる。そして、そのお母さんは、隣のお母さんがどんなふうに褒めてるかを見るようになるんですね。隣のお母さんが「あんた、よくできたね。今度はね、あそこに先生がいるから、プリントもらってもう一枚やったらいいわ。」とか言ってるのを横で聞くんですね。そしたらこのお母さんもやっぱり褒め方がうまくなります。そんなふうにお母さん自身の子どもの見方が豊かになったり、いろいろな子どもが見れるようになったりする。そして、「あの子、今日、元気ないね。」というお母さんの言葉がやっぱり出てくるようになる。

 しかし、これだけでは厳しい家庭の親は登場できません。三年生では次のように、仕事調べの学習を行いました。「お家の人は、今どんな仕事をしているんだろう。今日来れないお母さんたちはいっぱいいるけど。」と、子どもたちは一生懸命仕事調べをしました。「ああ、なるほど。今日は学習応援団には来れんよね。こんなふうに忙しい仕事しながらも、僕たちのこと考えてくれてるんやね。」というような仕事調べにきちっとつなぐことで、子どもたちは、「今日は学習応援団来てくれなかったけれども、お家のお母さんは仕事をしながら僕のことを見てくれてる。」とつながるんですね。そんなふうに子どもにとって、算数とか総合で分離してるものじゃないんですね。子どもの暮らし、算数も総合も、実は、子どもの中では一つのものなんですね。それを丁寧に統一させてやるという作業が、われわれがつくるカリキュラムという作業です。厳しい子にとって、統一感のあるカリキュラムづくりの作業を丁寧にやっていく必要があるだろうと思います。

 「お掃除応援隊」とか、分度器を使う算数の授業での学習応援団なども行いました。分度器のときはおもしろかったんです。先生方はおわかりでしょう、分度器の指導がとっても難しいのは。分度器はみんな種類が違いますよね。同じようにやれない。それが、学習応援団のお父さんやお母さんに来てもらったらとってもうまく出来るんですね。特に、習熟の学習の時などは本当に学習応援団はいいですね。大工さんをしているお父さんが、差し金を持ってきました。曲がり尺ですね。そして、子どもの引いた線にぴたっと当てて、「お前の90度は、ちゃんとおうちょる。」とか言ってくれるんですね。子どもが鉛筆でこう線を引くのを見ながら、「鉛筆の角度が悪いよ。ただ、鉛筆を真っ直ぐ立てただけやろ。立てたら、実は曲がるんよ。」と。技術家庭科の先生はご存知だと思いますが、鉛筆はちょっとだけ角度をつけて、分度器と鉛筆の芯があたった時に真っ直ぐ線が引けるんですね。「家を建てるときは、きちんと引かんとできたとき、ドア閉まらんとぞ」ってお父さんは言ってました。子どもにとっては、「ああ、うちのお父さんがやってることはこういうことなんだな」というふうに、算数のこととお家の人の自信とか誇りということがつながるんですね。家を建てる、差し金を使ってこうやって家を設計して建てる、ということが子どもの中で統一されていく。そういう場面を私たちがいくつつくれるかということが、総合的な学習とかカリキュラムの中での勝負になってくるだろうと思っています。

 学習応援団とか、本の読み聞かせとかさまざまやっていますが、そんななかでこんな経験はありませんか?読み聞かせをする時、一冊の本の前に40人近い子どもたちが首を一生懸命曲げて見ている姿。絵本が見えないんです。学習応援団で7-8人くらいお母さんたちに来てもらったら、3-4人くらいで本を読んでもらえるんですね。そして、「お母さんありがとう」って言って、また次の絵本を読んでもらえる。1時間で大体4冊くらい読んでもらいます。もし担任の先生一人だったら2冊くらいが限度じゃないですか。本当に目線に近いところで、場合によっては抱っこして絵本を読んでやったりもできます。学習応援団というのはどんどん可能性が拡がりますから、いろいろとチャレンジしてみてください。教師自身も元気になるし、お家の方も元気になっていきます。

自分にとっての意味を問う、価値ある出会いを

 私たちは個に応じた学び、つまり少人数学習とかTTとか、授業改善だけをすれば子どもが伸びるというふうに考えていました。ところが、そういう授業の改革だけでは子どもが伸びないという事実に気がつきました。まず、就学前の体験の質と量の大切さを実態調査が明らかにしてくれたように、分数がわからない子に√(ルート)とかそんなのを教えてもわからないのと同じように、その子が今どんなレベルにあるかを丁寧につかみ、それを補いながらやる必要があるということ。

金川の学力保障モデル そしてもう一つ、小さなステップで子どもたちにチャレンジさせながら、「今、その子にとって大事な人から、褒めてもらいたいときに、褒めてもらいたいところを、丁寧に褒めてもらう」という「重要な他者」からの肯定的な評価活動です。これは地区学習のなかでもそうです。「この子は今、どのムラのねえちゃんから褒めてもらいたいんかな?」ということがとても大事だろうと思います。そういう三本の柱を通して子どもが自己目標を持つ、自分で自己選択し、自己決定し、自分でやってみる、そして自分の学びをふりかえる。ピカチュウさんの手紙ですね。「今日はこんなやり方をやったよ」とふりかえり、常に身近なモデル像を意識しながらやることで、自己効力感やセルフエフティームがしっかりと培われていく。これが毎日のようにいろんな場面で行えることが、実は、部落差別の厳しい事実に出会ったときに子どもたちが乗り越えていく一つの基盤になるんだというふうに思います。

 地域における総合的な学習では、いろいろな出会いがあります。牛を育て、金川牛としてブランド化を果たそうと何十年も頑張ってきた方がいます。このおじさんがこんなふうに言ってくれました。「わしは、北海道からホルスタイン種を連れてきて金川牛として育ててきたけど、わしは牛を愛しとるから、好きにならんように努力しとる。」という話をしてくれるんですが、それは、その学習に向き合う子どもたちに、自分にとっての意味を問い返す言葉として入っていくんですね。「僕にとっての金川の誇りとか自信ってなんだろうか」と。そして、子どもたちは、地域の川に落ちてる空き缶やごみに「やっぱりこれ拾って帰ろうや」「金川をもっときれいにしよう」「これが金川、ふるさとを愛している自分たちの価値やね」というふうに気がついていくんです。随分前の実践なんですが、これはとても大事なことを提起している実践です。つまり、さまざまな人と出会うこと、価値の高い出会いをとおして、子ども自身が自分を問われるという体験こそが極めて重要である、ということを示しているんです。自分をきちんとくぐらせていく、自分にとっての意味をくぐらせていくということだろうと思います。もちろん大事な人からの評価活動を丁寧に返していくということは大事ですが、総合的な学習で果たしてこんな活動が日々できているんだろうかと問い直してみること。もう一度柱の子どもたちの生活の事実に照らして、再検証してみることで、この子にとって価値のある出会い、体験が見えてくると思います。

 このことは、保育園の段階からもそうです。保育園の園児たちが小学校の人権集会で演じたり、一年生が学習したことを保育園で演じたりしたそのときに、子どもたちにとって大事な人から丁寧に意味づけ、価値づけ、方向づけをしてもらうことで子どもたちが自信や誇りを持っていく。自己効力感が少しずつ育っていく。保育園の子どもを一年生の子どもがお世話をして、給食体験をします。こんなふうにモデルとのさまざまな出会いということが大事だと思います。最近は、大学生のお兄ちゃんに三年生の教室に来てもらって、「大学ってこうなんよ」っていうお話しをしてもらったり、一緒に遊んでもらったりしています。中学校でも、すでに1995年くらいからすでに現在言われているキャリア教育ということをかなり意識して、事業所体験とか、地域貢献活動とか、大学体験とかいうのを入れてもらっています。

 意味のある体験ということで思うのですが、実は、以前金川校区には大学に合格した子どもはなかなかいませんでしたが、何年か前に県立大学で大学体験をした子が2名、初めて合格しました。最近では、単なるオープンキャンパスではなくて、医学部に行きたいという子がいれば、普段は人が入れないような医学部で体験をさせてもらったこともあります。やっぱり本物の体験でないとなかなか意味のある体験にならないなと思います。そして、人間を介して「こんなことが大事なんだよ」っていう一言をもらわないと、ただ体験だけが上滑りしていくと思います。

 先に述べた大学生のお姉ちゃんたちに来てもらって、中学校でお話しをしてもらっています。こんなふうに意味のある、価値のある出会い体験を通して、彼女たちがモデルになっていくんですね。また、地域に古くから伝わっている太鼓の学習を音楽の授業でやりました。地域から学んだことを今度は地域に返そうと、校区にある公民館で報告会をしました。学んだものを学校で発表するということはよくありますけども、やっぱり地域で学んだものを地域に返していく、地域での発表の場をつくって地域の方から的確に評価してもらう。これが、重要な他者から評価をしてもらうということだろうと思います。金川には、「まつり金川」という地域と学校が一体となって行うイベントがあります。そのときに金川小学校の体育館で、小学校も中学校も職場体験の報告などをして、地域の方に評価をしてもらっています。場所は学校に変わりましが、やはり地域で学んだものを地域に返すというように、教育の営みを学校という閉じ込められた輪から、もっと外に拡げて総合化していきたい、というのが私たちの願いです。

分業を乗り越えた教育の総合化をめざして
-「のびのび金川っ子」からの挑戦-

 今までの取り組みを校区全体の人たちに意味づけたり、価値づけたり、方向づけたりするのが「のびのび金川っ子」という子育てハンドブックなんです。「のびのび金川っ子」は、1997年の同和教育推進校区指定事業のときに作ったんですが、このときは保育園の先生、小学校の先生、中学校の先生で作りました。「宿題はこうしてください」、「褒めるときはこうしてください」のような感じです。しかし、2000年の教育総合推進地域事業で第2号を作ろうとしたときには、編集するメンバーを変えました。お母さんたちに編集のメンバーになってもらいました。卒業した高校生や中学生にも書いてもらいました。「のびのび金川っ子partⅡ」を見ていただくとよく分かると思いますが、例えば「Q&A」というような項目を作っています。

 子育てにはいろいろな悩みがあります。10軒の家庭があれば、10個の悩みがあります。そんな悩みごとを地域から募集しました。そうしたらたくさんの返事がありました。「おねしょが直らない」あるいは「携帯電話をばんばん使って家計が苦しいから困る」「反抗して口応えをして困る」などです。それに対して私たちは答える術がなかったんですね。そこで、逆に、それを整理して「実はこんな質問がきました。答えられる人は教えてください。」と、プリントでまた地域に返したんですね。そうしたら今度はいっぱいアドバイスが返ってきました。携帯電話のことだけでも一つ、二つ、三つと、たくさん答えがありました。そこで、この「のびのび金川っ子partⅡ」に、こんなふうに載せました。「子育てQ&A」です。クエスチョンとアンサーではないんですね、アドバイス。つまり、子育てには10軒の家があれば10個のアドバイスが本当はいるんですね。そういうことを、私たちはこの「のびのび金川っ子」子育てハンドブックを通して地域に発信をしたかったんです。だから、六年生とか保護者とか、いろいろな人と一緒に取り組みました。卒業生の先輩のメッセージも載せましたし、先ほどの金川牛のおじさんをはじめ、地域のことを六年生の子どもたちに書いてもらいました。それを教師が編集し、総合的な学習の入り口としても使えるように作りました。つまり、ここに、分業を乗り越えた「教育の総合化」というものを発信をしたかったわけです。

 こういった就学前実態調査とか子育ての中で見えてきたことを、私たちは保育園の保護者会や入学説明会など発信するんですが、そのときにこんな象徴的な場面がありました。以前、うちの学校の高学年が荒れたことがありました。荒れてる子どものお父さんは、よく学校まで車で子どもを送っていました。お父さんにとっては、差別の厳しさっていうのはよくわかるんですね。子どもをやっぱり守りたい。しかし、その思いがたぶんちょっとずれたんでしょう。子どもを車で送り迎えをするという姿になってたんですね。お父さんに言いました。「学校の中で待ちませんか」と言うと、お父さんは、「俺は学校に入れるような者やないから、ここでいい。」と言って、車から降りてきませんでした。でも、やっぱり子どもが五年生、六年生になって、力がつくにしたがって、学校を怠けがちになったり、学級の中でつっぱっていたりする。実はお父さん、彫りもの(入れ墨)があったんですね。たぶんその子のなかでは、自分の父ちゃんの彫りもののことをどんなふうに理解したらいいかとか、いろんなことが混沌としていたと思うんですね。それで、荒れていくんです。トイレの中で逆上がりして天井破ったり、廊下でサッカーボールを蹴って壁を破ったりとかいうこともありました。

 金川小学校は、とても厳しい学校ですから、壊したものは必ず本人に修繕させます。人権教育担当の先生たちと一緒に修理をしたんです。金川の学校応援団は、4月3日とか4日の日にPTAのお母さんたちがお掃除応援隊として10人も20人も学校に来るんですね。実はそのときに、そのお父さんが初めて学校の中に上がってきました。「息子がいろいろご迷惑をかけました。息子は修理したと思うけど、実はトイレの天井も色が違うし、そのままじゃいけんと思うから、わしが今日、息子と一緒に色を塗るから。」と言って入ってこられたんです。私も一緒にトイレに行って上のライトを外そうとしたんですけどもなかなかうまく外れません。お父さんは色んな仕事を経験してますから、手際よくパッパッと外して、「天井を塗る時はペンキが垂れるき、こうして、こうして…」と、息子に教えていくんですが、そのときの息子の父親を見る目に、「ああ、違ってきたな」と思いました。「ああ、俺の父ちゃんすごいんかな」という感じで。それで、校長室に帰ってきてみんなでお茶を飲んでいるときに、その息子がふっと漏らしました。「俺も工藤くんみたいなボランティア団体作れるかな」と。

 その子はこのような体験があったからコロッと変わったわけではありません。それからもいろいろとありました。子どもが育つには、自分の中で整理できないことにぶつかった時に(たぶんその子にとっては父親のこの彫りもののことだったのかなと私は思っていますが)、誰が横に付き添って整理していくかが重要だと考えます。ともすれば子どものなかでばらばらになっていくんですね。算数の勉強、総合的な学習、でも家に帰ったら父ちゃんの姿。それをどう理解して整理していくのか。子どもは一つの存在なんですね。理解や整理を学校の中で具体的に展開していくことが、実は、教育の可能性であり、また現在の教育の限界性でもあるのだろうと思います。

 その子のお母さんが入学説明会のときに、「はい、先生。言いたいことがあります。」と手あげて言ったんですね。「(登下校は)絶対に歩かせんとだめよ。子育てのことを考えたら、歩かしたほうが絶対いいよ。」と。全同教福岡大会のときに報告させてもらいましたが、お母さんが自信たっぷりに言ってくれたことはとっても意味ある一言だと思っています。そして、入学式にはそのお母さんは、正装して汗をかきながらもお家から妹を連れて歩いて来られました。

協働教育の拡がりとさらなる可能性

 金川小学校は、子どもたちの事実からいろんなことを改良しようと、さまざまな努力が学校の内外で発揮されてます。PTA図書委員会のお母さんたちの活動の中で、「古い本は捨ててしまおう」ということになりました。標準法では、金川小学校の規模では七千冊くらいはなければいけないんですが、実際は五千数百冊しかないんですね。就学前実態調査の中で、絵本の読み聞かせと学力の相関のあることから、「とにかく増やそう」という話になりました。しかも、法律にも満たない五千数百冊の本を見ると、なんと昭和二十何年とか、昭和三十何年とか古いものばっかりだったので、心は痛みましたが千数百冊の本を捨てました。あるお母さんが、「博多に行ったら、一冊百円で児童書が売ってるよ」と提案してくれたので、一緒に本を買いに行きました。百円で絵本が買えるというのですから、もう喜び勇んで行って買ってきました。

 そんな話が地域でどんどん広がっていくんですね。卒業生のなかには出世した社長さんもいます。ある日、電話がかかってきました。「私は小学生の頃、炭鉱で苦しい生活をおくっていましたが、金川小学校には本当にお世話になりました。ぜひ、百冊ほど本を寄贈したいので欲しい本は全部名前をあげてください。」ということでした。私たちは高そうな本ばっかり、百科事典とか図鑑とか選びました。一週間後、大型トラックがダーンと横付けされて、本がガサッと来ました。そういう話はまた地域で広がるものです。今度は地域の方でも、「うちで眠っているこの本使って」というように、どんどん本が集まってきます。確か二千冊くらい入ったんじゃないでしょうか。それで今は、廊下に読書コーナーなどさまざまなものができるまでになりましたが、もっと本が欲しいです。市内で図書館教育に取り組んできた学校があります。学力も高い、その学校に比べて、金川小学校の本は少ないんです。もっと環境を整備したいなと思います。それを実現していくのは、単に行政要求だけでできるものではありません。もっと知恵を働かせることでできることはたくさんあると思います。こんなふうに、お母さんたちのPTAの活動が、高学年の子どもたちによる低学年の子どもたちへの絵本の読み書かせに拡がるなど、さまざまな面で協働教育が拡がって、お母さんたちの自己効力感が高まっていくのではないかと思います。

 協働教育が最初にスタートしたのは、確か4年くらい前だったと思います。学校に落書きされたんですね。運動会の日だったと思います。たわいもない落書きでしたが、壁に大きく落書きされました。今までだったら教頭先生か、学校技術員(用務員)さんが消していたんですが、もうそんなことはやめようと、保護者・地域に手紙を書いたんです。「学校に落書きされて悔しいです。明日に昼休みに消します。みんな手伝いに来てください。」そうしたら、お母さんたちが何人も来てくれました。昼休みですので子どもたちもその廻りを取り囲んで、ワイワイいう集団ができました。落書きはほんの数分で消えました。でも、落書きをされたという事実はみんなのものになったんですね。「僕らの学校が落書きをされた」と。それ以来、大きな落書きはほとんど金川からは消えていきました。一つの事件がみんなのものになっていく、仲間ができていく上で、協働には大きな力があるのではないかと思います。

あこがれる、あこがれられる関係の復権
-家庭・地域のなかでつながりはじめたもの-

 金川には1998年に校区活性化協議会という団体もできました。区長さん、公民館長さん、学校、保育園、いろんな団体が入って金川校区活性化協議会というのができましたが、自治予算四百数十万を持っています。今までだったら、公民館で200万とかだったのが、全部寄せ集めて自分たちで運営をしているんですね。少しずつ教育にみんながお金をまわしてくれるようになりました。そして、丸太小屋作りが始まったんですね。丸太小屋づくりや、「まつり金川」などにお金を使ってくれるようになったら、大工さんたちの登場の場が出てきたんです。今まで、休みの日にビールを飲んで、昼寝をしてる父ちゃんしか見ていなかった子どもが、手際よく、鎹(かすがい)をポキッと打って、二度とぶれない鎹をきめていく父ちゃんの姿をみて、「おーっ、すげえーっ!」という声をもらすんです。憧れる、憧れられる関係の復権。学校のなかでは、分業化して見えなくなったものが、地域と協働の教育活動をすることで取り戻していける。こういう憧れる、憧れられる関係の復権を果たしていける場面はもっとあるんじゃないでしょうか。

 金川校区のボランティア団体「GOKURENKAI」が作業をしていたのは、バイパスの下のトンネルです。落書きだらけだったんですが、これを青年たちが本当に綺麗にしてくれました。ここに、ピカチュウとかいろんな絵を描いてくれました。校区には、農協で働いてるムラの青年もいますし、部落解放友の会で頑張ってるお姉ちゃんもいます。そんな人たち、若い世代と、学校の子どもたちとをもっと出会わせたい。金川では、今、いろんな出会いにチャレンジをしているところです。町をつくっているのは、区長さんだけではありません。民生委員さんだけでもありません。若い世代も含めて、もう一度町づくりを一緒にやれないかと思います。

 例えば、同和地区の学習会の子どもたちもそうです。敬老会で発表したりとか、保育園で発表する場があったり、あるいは、部落解放友の会のお姉ちゃんから指導してもらったりしています。田川市で行われる人権フェスタに出るときには、福岡教育大学の学生さんに演技指導してもらったり、福岡教育大学の演劇部に子どもたちと一緒に出かけたり、モデルや価値のある体験との出会いが、同和地区の地区学習のなかにもあります。

 「まつり金川」には、いろんな子どもたちやいろんな思いで頑張ってる人たちが登場できる場面があります。地域の太鼓文化を発表できる場などさまざまあるんです。たぶんこういった取り組みは各地で進んでいるとは思うんです。しかし、「まつり金川」のなかで大事だと考えていることは、例えば、部落解放友の会の子がビラを配ったり、たて看板を立てたりするんですが、そのことは、ある意味での部落民宣言なんです。そのことを、何人の大人たちがわかっているのかなということです。それに応えて、「うちの町の誇りはこれだよ」、同じように「私たちの町づくりの願いはこれです」「友の会の子どもたちの願いもこれです」と、きちっと出せる大人たちが何人いるかが、実は勝負なんですね。それぞれの町や村のセルフエスティームが高まっているかということです。それで、現在は、いろんな団体にそれぞれアピールなどを書いてもらうようになりました。それぞれの町づくりに懸ける思いや願いをです。それは何も部落解放友の会の子どもたちだけではありません。

 2年前です。「まつり金川」の当日、朝一番に来たのが「GOKURENKAI」の青年たちで、一生懸命駐車場の係をしていました。「いろんな人から文句を言われながら、今日僕たちは我慢をした」と言ってましたが、その日は一件の苦情もありませんでした。もう一つ印象的だったのは、先ほど、荒れた子どもとその父親の話をしましたが、「GOKURENKAI」の工藤くんたちと変わらないくらい朝早くに三人で来て、お父さんもお母さんもテント建てを手伝ってました。「ああ、家の中で何かちょっとだけつながり始めたのかな」という気がしました。今年の「まつり金川」にもそのお父さんもお母さんもみんな来ていました。今どんなふうに話が進んでるのかな、また話をしてみたいなと思います。

これからの人権教育がめざすもの

 教育というものは、教科書とか限定された題材だけで授業をしたときに、実は子どもたちにとって統一感のない学習になっていくんですね。そこで私たちは、地域にある豊かな題材を学校の中に持ち込んできました。例えば公民館の学習、集会所がなぜここにあるのか。あるいは、橋の実践、これは筑紫野市の実践で有名ですが、同和地区と地区外の橋の違いと誇り。そんな豊かな地域にある題材を学校のなかに持ち込んできました。そして今までだったら、「乱暴なあの子」と言われてた子が、実は豊かな宝ものを持っているんだとを、『かがやき』(同和教育副読本)等を活用して、学級・集団づくりをしてきました。そういうことを私たちはデモクラティックスクール「民主的な学校づくり」ということで、今までずっと頑張ってきました。

 そして、同和教育実態調査以降のここ10年くらいの一つの方向性として、「本当に厳しい子どもたちにも手が届く学力の保障ができる学校てなんだろうか」というエフェクティブスクールの取り組みをやってきました。そして現在、もう一つのサイクルが見えてきました。これを最初に提唱されたのは亡くなられた大阪大学の池田寛先生ですが、「コラボレーションスクール」つまり「教育コミュニティ」です。つまり、さまざまな人が一人の子どもの育ちに、育ちを共有しながら関わることで、憧れ、憧れられる関係が復権されながら、厳しい子どものなかでいろんな物事が統一されてくる。算数で勉強したこと、総合で勉強したこと、地区学習で学んだこと、お家の父ちゃんのことが子どものなかで一つのこととして整理されていく。そんな教育づくりが地域のなかでできないかというのが、実は、この協働的学校づくりの一つの提案なんですね。

 これらの三つのバランスが、今からの同和教育の一つの方向性ではないかなというふうに私も思います。そして、このことにもう一つの時間尺度というものが入ってきます。「GOKURENKAI」の工藤くんの子どもが、来年一年生として小学校に入学してきます。「ああ、工藤くんは子ども会の役員してくれんかな」と、ふと思ったりしてますが、どうでしょうか。工藤くんの活躍の場がどんなところにできるのでしょうか。

 それと同じように1980年代、ワッペン登校もありました。私たちもそのなかで子どもたちとさまざまな取り組みをしてきました。そういった子どもたちが成長して、その子どもが入学するとかですね、そろそろ出会い直しが始まってるんですね。私は、今51歳ですが、同世代で「同推」をした先生はそういう子どもたちが校区にいるはずなんですね。その子たちが実は人権のまちをつくるときの本当の主体者なんですね。その子たちと「このまちはどんなふうになったらいいやろうか」という話をもう一度やってみませんか?絶対にこれは楽しい作業になるんじゃないかなと思います。

 最近、経済の不調のなかで新自由主義という考え方がアメリカを中心に日本に入ってきています。経済に関して、いろんな省庁のなかでも、そういう考え方の人たちがたくさんいます。その中で語られるのは個人主義ですね。つまり、個人の責任という言い方が非常に強くなってきました。本当にそうでしょうか。個人の責任だけで出来ない部分があることを部落差別の現実として、私たちは同和教育のなかでずっと明らかにしてきたんです。そんなことが実は就学前実態調査からも明らかになりました。この子のせいでない事実、奪われていった子育ての事実をお母さんと一緒に取り戻さなきゃいけない、このようなことがまだまだあるのではないでしょうか。そして、それが今、「形式的な平等」ということで話が流れてきます。「個人の責任です。だから、チャンスは均等にしましょう。」と。本当にチャンスは均等なんでしょうか。時計のこともわからない子どもにとって、本当にチャンスは今、均等でしょうか。買い物をしたことない子どもに、引き算の勉強を教科書を広げて「はい、違いはいくつ?」と当たり前のようにやる私たちの授業のあり方は本当に機会の均等になっているんでしょうか。

 同和教育はもともと、これは憲法もそうなんですが、実質平等を求めて歩んできました。実質平等とは、やっぱり一人ひとりの子にとって平等になっていくという道筋です。その中でチャンスがやっぱり均等にあるということを、私たちは今からの人権のまちづくりを進めていく上で考えなければならないというふうに思います。子育てで孤立している人がいたら、やっぱり声をかける隣のおじちゃんが必要です。おばちゃんも必要です。そんなまちづくりが必要なんだろうと思います。

一つの言葉が、まちの見え方を変える
-人権のまちづくりの大切なキーワード-

 これは「GOKURENKAI」の青年たちと、先ほど言った六年生になって荒れた子どもとお父さんと、みんなが一緒にボランティアしたときの写真です。最近よく「豊かな心を育みましょう」と。そうしないと、子どもたちはいろんな事件のなかで人を傷つけたり、傷つけられたりするんだと、そういう言われ方がされているんですが、心はどこで育まれるのかと思います。去年の「GOKURENKAI」のメンバーとボランティアをしたときのことです。青年たちがごみ拾いをします。学校の六年生も一緒になってごみ拾いをしました。そのとき雨が降ってたんですね。とっても冷たい雨が降ってきて、確か卒業前だから2、3月ぐらいだった思うんですが、そのときにある子どもがこう言いいました。「冷たいし、もう嫌やね。早く帰りたいね。」そしたら、周りの子たちが暗い顔になっていました。そのときに、ムラのおばちゃんなんですが、よくPTAで学校にやってきてくれるとっても元気のいいお母さんが「私たちのまちが綺麗になりよんよ。こんなに大人も子どももみんな一緒になってしようっちゃすごいね」って言ったんですね。その途端に、「冷たいね。暗いね。」とか言ってた子どもたちの顔が急に明るくなったんですね。そのときに僕は、自分の親父のことを思い出しました。「店の前によくタバコやら空き缶やら落ちてるのをうちの親父もよく拾っているけど、そういえば店の前だけでなく、周りも隣も拾っているなあ。そうか、自分の親父も同じように自分たちのまちというほこりがあるのかな。」ってふと思ったんですね。

 言葉っていうのはとても力があるなと思います。人間を変えていくというか、ものの見え方が変わるんですね。「私たちのまちやろ」というその一言とか、「みんな集まってこんなに綺麗になっていくやん」といったその言葉が、そのまちの見え方を変えるんですね。「今日雨やね、辛いね。」という言葉では辛い雨しか見えなかったのに、それほど言葉っていうのは力を持ってるんですね。人間が発する言葉を通じて、私たちは山を見たり、川を見たり、実は人間を見てるんですね。これを私たちは文化というふうに呼んできました。文化を創っているのは人の言葉なんですね。人の言葉が私たちの文化を培ってる。このお母さんが言った言葉が、意味づけ・価値づけ・方向づけなんですね。つまり、地域の中に住んでいるいろんな人たちが人権のまちづくりをめざしてどんな意味づけ・価値づけ・方向づけをしているのかが、人権のまちづくりのキーワードになっていくのではないかと思います。

 みなさん、暴走族のキャンペーンのポスターって見たことがありますか。県警がだいたい毎年作ってるんです。金川小学校はおまわりさんととっても仲がいいんですね。転勤があるのでよく変わるのですが、そのおまわりさんの娘さんも一年生でした。そのおまわりさんの奥さんが「私は初めて、この子を金川で卒業まで過ごさせたいと思ったんですよ。残念です。」と言ってくれました。二年生になる前に転校していったんですけども。そのおまわりさんが、本当に私たちと子どもたちのことでいろんな話をしたり、タッグを組んでいろんなことをやってきたんですね。時には子どもを怒るためにお母さんと一緒に作戦を練って、「お母さんこう言って、おまわりさんはこう言って。学校の先生がこう言うから。」というふうにやっていました。

 そのおまわりさんが県警の暴走族取り締まりの担当になったんですね。そして転勤した後、電話が入ってきました。「先生。ポスターができたき、送るきね。」という感じで。そして、ポスター持って来られたんですね。それは、県の暴走族撲滅のキャンペーンポスターでした。そのポスターでびっくりしたのは、今までだったら「暴走族を撲滅しよう」という書き方だったんです。「暴走族を無くしてしまえという意味は同じなんですけど、今年できたポスター、先生違うでしょ」と言うわけです。「暴走族をやめて、ボランティアができる青年を育てよう。-本当は、いい若者たちです-」という書き方になっているんですね。それが、福岡県内に貼られているんですね。僕は、それを見ながら、「ああ、まちの風景が変わっていっていくな」というふうに思いました。そのおまわりさんは、もちろんボランティア団体「GOKURENKAI」の工藤くんたちともいろいろつながりもありますし、知ってるんですね。

 一人の青年が「逆転のボランティア」ということで、マイナスをプラスに転化させたときの力のすごさっていうのをやっぱりわかってるわけですね。だから、「確かに今は荒れて、つっぱって暴走族やってるけど、この子たちを育てて本当にボランティアもできる青年にしていこう。」っていうメッセージをポスターに込めたんです。たった一人のその警察官がポスターの言葉を変えただけで、僕のまちの見え方が違うんですよ。「暴走族をつぶしてしまえ!」というポスターのメッセージじゃなくて、「工藤くんたちみたいな、「GOKURENKAI」みたいな青年を、もっとみんなで育てましょう。」というメッセージが、ポスターを通じて、どんどん私たちに見えてくるんです。まちの見え方が変わる、人権のまちづくりの大切なキーワードっていうのは、やっぱり言葉だなと思います。それは、たった一人の一言、一人との出会いとか、その人の整理の仕方とか、その人が発する言葉がこんなふうに書かれたっていう事実で、いろんな人たちのものを見るその見え方が変わってくるんですね。今までは、「つぶさなきゃいけない暴走族」っていうふうに見えていたものが、「ああ、もっとあんな青年を育てたいな。」、「そんなまちを作っていきましょう。」というメッセージとしてそのポスターの中に込められたということに、私は人権のまちづくりのもうひとつのキーワードを感じました。

 そういえば、同和教育は昔からこう言ってました。私が新採のころに全同教が福岡であったんです。言語認識の分科会に行ったら、大激論をしていましたが、そのときに教えてもらいました。「同和教育は言葉の教育なんだ。言葉を鍛えなさい。」と。「鍛えられた言葉は思想を変える、思想は人間の生き方と行動を変える。」と。先ほどのポスターの話をして、人権のまちづくりのキーワードは言葉だなという思いを今、非常に強くもっています。もっともっと自分の言葉をお互いに大事にして子どもを意味づけたり、価値づけたり、まちの中でたった一人の子どもがやってることを意味づけたり、価値づけたり、方向づけたりしてみましょう。そうすることによって、今と変わらないこのまちが人権のまちにスーッと変わっていく。僕は、そんな日が、もう目前に来てるんじゃないかなという実感を持っているんです。

 お伝えしたいことはたくさんあるんですが、時間がきましたのでこれでお話を終わらせていただきます。最後に、詳しい中身は『Let's Collaborate』(金川小学校研究紀要2004.11.22)のなかに少人数とか、何を大事にしてきたかが書かれていますので、機会があればみてください。あるいは、県同教ブックレット「授業改革の鍵は授業以外にあった」という本のなかに書かれてますので、ぜひ読んでいただきたいなと思います。ありがとうございました。