第二部 パネルディスカッション
「人種差別撤廃条約から見た
日本における差別の現状と課題
~日本政府第3,4,5,6回報告書を踏まえて」
北口 末広(部落解放同盟大阪府連合会執行委員長)
康 由美(弁護士)
阿部 ユポ(北海道アイヌ協会副理事長)
コーディネーター:
友永健三(世界人権宣言大阪連絡会議事務局長)
友永:1999年6月、日本政府は人種差別撤廃委員会に第1・2回定期報告書を提出しました。委員会は2001年3月にそれらを審査し、21項目の勧告を含む最終見解を示しました。これに対して日本政府は2001年7月に最終見解に対する意見を提出、2007年8月には第1・2回政府報告書審査フォローアップとして最終見解における勧告への対応状況を提出しています。
そして2008年8月、日本政府は第3~6回報告書を提出しました。これらの報告書に対する委員会から日本政府への質問リスト作成に向けて、2009年8月、人種差別撤廃NGOネットワークは日本政府報告書の問題点に関する情報提供を行いました。同年11月にその質問リストは送付され、それに対する日本政府の回答がまもなく提出される予定です。なお、報告書の審査が2010年2~3月に予定されています。
本日はこの条約が適用されるマイノリティである被差別部落出身者、在日コリアン、アイヌ民族の立場から見た日本政府報告書の個別の問題点と共通した問題点を明らかにしていきたいと思います。
* *
◆日本政府報告書・個別の問題点
北口:部落差別を無視した政府報告書
今回の日本政府報告書の根本的な問題は、部落差別の問題にまったく触れていないことだと思います。人種差別撤廃条約はその第1条で「人種差別」を、『人種、皮膚の色、世系又は民族的若しくは種族的出身に基づくあらゆる区別、排除、制限又は優先』であるとしています。更に人種差別撤廃委員会は最終見解の8段階で「世系(descent)」について『人種や種族的又は民族的出身と混同されるべきではない』とし、『部落民を含む全ての集団』が差別から保護され、権利を享受できるようにと言っています。にもかかわらず日本政府は『「世系」は、社会的出身に着目した概念を表すものとは解されない』として、条約の対象外としています。勧告には法的拘束力がないため、政府報告書を条約に基づいて設置された委員会が審議することで締約国に条約の履行を求める制度になっていますが、その委員会の所見を無視する日本政府の態度は非常に問題があります。
このような日本政府の見解は、1950年代、国会で部落問題が議論になったとき、「平等を謳う日本国憲法の下、部落差別は存在しない」と主張したことを想起させられます。そこで私達は実態調査を行い、それを基に1960年に同和対策審議会設置法の施行、5年の同和対策審議会答申を引き出してきました。政府の対応が当時と変わらないことに怒りを覚えます。
未だ解決されていない部落問題
また、人種差別撤廃委員会が2001年審査の最終見解において「特別措置法」終了後の部落差別の現状等も報告を求めていることに対して、政府は2007年8月に提出した報告書で、同和地区の社会基盤は改善され、啓発が推進されたことで差別意識は解消されているとしています。しかし、本格的な差別に関する実態調査は1993年以降実施していないにも関わらず、このような判断を行うことは極めて主観的といえます。実際、大学進学率はまだ約半数に留まるなど、部落は格差社会の中で社会的矛盾が集中的に現れているのです。さらに不動産の売買などに関わる土地差別調査事件や、結婚差別や就職差別につながる戸籍謄本等の不正入手事件、また1989年の部落地名総鑑事件の終結宣言後に新たに見つかった電子版地名総鑑の存在など深刻な実態があるにも関わらず政府の対応は不充分なものに留まっています。未だ解決されないこれらの問題を政府としてどのように考えるのか明確化する必要があると思います。部落問題に取り組むのは国際的責務です。
康:在日韓国・朝鮮人の定義から
政府報告書の問題点として、まずいわゆる「在日韓国・朝鮮人」の定義について指摘したいと思います。報告書では「在日韓国・朝鮮人」と呼ばれる人達を特別永住者として日本に在留している人と規定していますが、決してそれだけではありません。朝鮮半島が植民地支配から解放された後、朝鮮半島に一時帰国した者を除外する等の恣意的な要件を定めた上で「引き続き日本に居住していること」という根拠のない要件を付加して、これらの人達の法的地位が定められてきました。
即ち特別永住者とは祖国解放を迎えてとりあえず故郷の様子を見に行った人びと等は含まず、戦前からずっと日本国内に在留した人とその子孫だけに認められているのです。一時帰国後、再び日本に戻った人は一律に不法入国者と扱われ、別の在留資格が必要となりました。つまり歴史的背景や在日歴にも変わりない人達の間でも特別永住者になれなければ、通常の一般外国人として永住権を申請し許可を受ける必要があるのです。こうした人もかなりいるのですが、更に申請しても拒否された人や申請をしていない人は定住者として存在することになります。こうした区分に従って再入国許可や退去強制該当事由等において差別的処遇が行われていて、今なお特別永住の資格を持たない「在日韓国・朝鮮人」は一般外国人と同様に在留期間更新のみならず、日本入国の際に指紋や顔写真が採取される等の問題を抱えているのです。
日本政府は「在日韓国・朝鮮人」を特別永住者に置き換えていますが、それ以外にも多くの「在日韓国・朝鮮人」がいることを訴えたいと思います。
報告書に書かれていない様々な問題点
外国人登録証明書については常時携帯義務の他、定期的に居住地の役所に記載内容を自己申告させる切替制度があり、違反者に対して逮捕や家宅捜査も可能な刑事罰が科せられることや、記載内容があまりにも詳細である等の問題は報告書には一切ありません。また出入国に関連しても「在日韓国・朝鮮人」に対しては一般の外国人と同様、出国の際に再入国許可を受ける必要があります。自己の国籍国に渡航するにも再入国許可を受けねばならないということは、親族との再会に不当な制限になるのではないでしょうか。
ほかにも民族学校に対して未だに入学資格を認めない私立大学も存在していることや、公立中学校で外国籍の生徒には義務教育を受ける義務がないから除籍にできるという理由で「在日韓国・朝鮮人」の生徒を退学扱いとした事件が、現在裁判で争われていること、あるいは地方参政権、公務就任権を認めないだけでなく社会保障も恩恵的なものに止まっており、民間による入居差別や地域社会で生活する上での差別は後を絶たない状況。これらを見るだけでも日本政府が報告書で述べる特別永住者の実態とは程遠い現実があるといえるでしょう。
阿部:
日本政府がアイヌを先住民と認めるまで
かつて日本政府は1980年にアイヌ民族の存在を認めないと発言しました。そこから私達は国連を中心に自らの存在を国際社会に訴え、特にILO107号条約については積極的に働きかけを行いました。この条約は先住民族を奴隷的に扱ってはならないという内容ですが、その基本理念が先住民族の権利保障ではなく同化にあったのです。それではいけないということで改正の機運が国際的に高まり、ILOは1986年に加盟国に対して質問状を送付しましたが、労働省は放置してしまったのです。私達がこうした政府の対応をILO総会で直接訴えると、大慌てで政府が回答を提出した一幕もありました。
そこから時を経た2001年の人種差別撤廃委員会による報告書審査の際に、日本政府は一変してアイヌ民族の存在を認めました。この背景には1997年のアイヌ文化振興法成立があったのでしょうが、これはそもそも私たちが1984年に北海道旧土人保護法を廃止して、新たに求めた「アイヌ民族に関する法律」の一部が実現したものなのです。私達はこの法律でアイヌ民族の自立のためにアイヌ民族の基本的人権、参政権、教育・文化、農業漁業林業商工業等、民族自立化基金、審議機関の6項目を規定して法律化を求めたのですが、そこから13年が経過してようやく文化面だけが実現したに過ぎません。しかしこれが成立するまでには粘り強い取り組みや、「アイヌ民族はわが国の統治が及ぶ前から北海道に居住し民族の独自性を持っている」として、アイヌ民族は先住民族というべきであると初めて認定した1997年の札幌地裁二風谷ダム判決があることを忘れてはいけません。現在、人種差別撤廃委員会は日本政府にアイヌ民族の実態報告を求めています。
アイヌ民族の歴史を無視した政府報告書
アイヌ民族は古くから北海道に先住し、独自の文化を発展させていた民族です。しかし松前藩から隷従を強いられるようになり、18世紀に入るとそれは更に非道なものになりました。しかし本当のアイヌ侵略政策は明治維新以降でした。明治政府はアイヌ民族から全てを奪い、蝦夷地を一方的に天皇制国家に編入します。そして1899年に強制同化政策の総仕上げとして北海道旧土人保護法が制定されました。この法律の保護や救済とは名ばかりで、アメリカを参考に彼らが先住民に行ったのと同じことをアイヌ民族に行ったのです。このような歴史を経て現在に至っているアイヌ民族に対して人種差別撤廃委員会は前回審査の最終見解で、『締約国に対し、先住民としてのアイヌの権利を更に促進するための措置を講ずることを勧告する。この点に関し、委員会は、特に、土地に係わる権利の認知及び保護並びに土地の滅失に対する賠償及び補償を呼びかけている先住民の権利に関する一般的勧告23に締約国の注意を喚起する』としていますが、今回の政府報告書ではこれらについて触れられていません。私達、そして国際社会の声を無視する対応に、私は大変不満を感じています。
◆日本政府報告書・共通した問題点
北口:差別禁止法の制定と国内人権機関の設置を
差別を禁止するためには、その基本となる法律を制定することが重要です。私達はかつて部落地名総鑑差別事件の際にそのことを痛感しました。初めて地名総鑑の存在が発覚した1975年当時にはそれを規制する法的根拠がなかったからです。それから10年経って府レベルではありますが禁止条例が制定されて、興信所や探偵社による地名総鑑の使用が法的に禁止されるようになりました。差別行為を禁止するだけではなく、他の法律や条例に与える影響を考えても法制化されることは重要なので、何らかの差別禁止法の制定は今後の大きな共通課題だといえるでしょう。そしてこれを実現するための前提として法律の必要性を明確にするための差別の実態、つまりは立法事実を実態調査によって明確にしていかなければないと考えています。法律の制定の仕方については全体的でも個別でも、十分に議論されればどちらでも良いと思いますが、国際的にはまず基本法があって、個別法があるというのが流れといえるのではないでしょうか。
また非常に難しいことですが消費者庁のように、人権に関わる基本的なものを全て網羅する機関を国・地方レベルで設置する。そして国際人権諸条約への日本政府の対応や様々な人権問題をメディアがもっと取り上げるように、メディアに要請していくことも今後の共通課題として提起しておきたいと思います。
康:実効性のある差別禁止法の制定で、被差別者救済を
包括的な差別禁止法は絶対に必要だと思います。民事上の損害賠償請求があるから必要ないという人もいますが、それが如何に難しいかはあまり語られません。例えば入居差別を民事裁判で争う場合、誰に部屋を貸すかは貸主の自由だという主張に対して、現状では憲法を持ち出して入居差別が違法であるという説明から始めなければなりません。また民事裁判では原告側に立証責任があります。しかし差別的な理由で入居を拒否していても本人がそれを認めなければ立証するのは困難で、証人として証言してくれる人もめったにいません。そのような状況で訴訟を起こす人はあまりおらず、結局は差別されても泣き寝入りする人が多い。つまり民事の損害賠償ではほとんどの人が救済されないということなのです。これに対して差別禁止法は実効性があるといえます。例えば男女雇用機会均等法によってそれまで当たり前のように行われていた企業の女性に対する差別待遇を、違法だといえるようになったのですから、その実効性は間違いありません。
また差別禁止法が制定される最大の意義は、国・政府が差別されている人達を救済する気があるという意思表示になることだと思います。
阿部:国連宣言/国際条約に基づいた法律の制定を
そもそも先住民族とは何かが十分理解されていないという問題があります。先住民族とはずっと自分達が暮らしていた所に、ある日突然よその国から人が入ってきて、一方的に土地や資源、あるいは文化までをも奪われた民族です。実は日本の国会でも20年ほど前にアイヌ民族に関する議論が行われていて、当時の官房長官はアイヌ民族に対する特別な配慮の必要性を正式に認めています。更に1997年に国連で「先住民族の権利に関する国連宣言」が採択されたのを受けて昨年、内閣もアイヌ民族が日本の先住民族であることを認めました。先述の判決もありますから、これで司法・立法・行政の三権で認められたことになります。では次に残っているのはアメリカ等が行ったように、憲法にそれを書き加えることではないでしょうか。
この「先住民族の権利に関する国連宣言」は単なる宣言ではなく、人種差別撤廃条約等の様々な国際人権条約の集大成なのです。ですから今後はこれを大いに活用して、「アイヌ民族に関する法律」の実現を目指していきたいと思います。
* *
友永:鳩山政権は「友愛」を掲げ、マイノリティの立場に立った政治を主張していますし、官僚主導でなく政治主導の手法を採ろうとしています。この好機を如何に活かすかが私達に問われているのではないでしょうか。
本日明確になった報告書の問題点を補足するよう日本政府に働きかけるとともに、人種差別撤廃委員会と連携し、共通課題の実現に向けて、今後も取り組んで参りましょう。
|