講座・講演録

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2010.07.13
講座・講演録

第317回国際人権規約学習会
世界人権宣言大阪連絡会議は、2010年5月27日(木)、Link森と水と人をつなぐ会会長の木村茂さんをお招きして、第317回国際人権規約連続学習会を開催しました。報告要旨は以下の通りです。(文責 事務局)

北タイの森に生きる人々 ~開発と環境、人権

  木村 茂さん(Link・森と水と人をつなぐ会会長)

 

 

001はじめにーLinkの活動
 私は6年前にタイでLinkを立ち上げました。チェンマイに事務所をおき、私も普段はそこで活動しています。活動の根本には経済的な差異や宗教、民族が違うというだけの理由で一部の人が虐げられることに対する問題意識があります。人権保護は様々な形で取り組む必要があり、その中で私たちは特に資源争奪をテーマにしています。
かつて国土の大半が森に覆われていたタイでも、現在では森林破壊が非常に大きな問題となっています。これに対して行政でも外国のNGOでもなくて、それぞれの地域に住む人たち、特に山がちな北タイの場合、山村に住む農家の人たちが自分たちの地域の森を守り、持続的に利用できるように支援することがLinkの主たる活動です。

なぜ森がなくなったのか
150年前のタイは、国土の9割以上が森林だったと言われています。農民たちはジャングルを切り開いて田畑を作っていましたが、長いこと人口は少なく、森の面積は圧倒的でした。しばしば森林破壊の元凶のようにいわれる農民による焼畑は、基本的に人力による開墾であり、その規模は森林破壊の一部にしか過ぎませんでした。
タイの森が一気に消失に向かうのは、近代になって高度な技術が導入され、外貨獲得・経済成長をめざした木材輸出の政策が採用されて以降のことです。有名なのは北タイ産のチーク材です。優れた木材として、輸出用にどんどん伐られました。また、森は輸出用の農産物を作るためにも伐り拓かれていきました。企業と農民による契約栽培では多くの農民が失敗して借金漬けになり、経営の主導権を商人に奪われていきました。企業がプランテーションを造成するために森を伐ることもあります。
また、開発政策の実施に伴うダムの建設や道路・鉄道の敷設も森林破壊の大きな原因となりました。景色のよい所や稀少な自然のある所に造られるリゾート、鉱山の開発も原因の一つとなっています。タイの森林はこのようにして急速に失われていったのです。

森林の消失と村のくらし
FAO(国連食料農業機関)によれば、日本の国土における森林の割合は64%で、国別では第4位です。それに対して日本に大量の木を輸出してきたタイは約25%、森の国といわれる隣国のラオスでも50%強しか残っていません。タイを含む東南アジアの国の多くは農産物の輸出を盛んに行う一方で、工業化も推進しています。いずれも大量の水が必要なのですが、森林が減ったため、安定的に確保できないという問題に直面しています。
タイでは5~10月の雨季に降雨が集中し、残りの半年間はほとんど雨が降りません。森林が減った結果、雨が降れば水は一気に流れ下って洪水を起こし、土砂崩れで村や農地が埋まることもあります。そして乾季には水不足が深刻になり、水争いが頻発します。
山村では村の周りを田や畑にして、主食のコメを生産しています。同時に今も生活に必要な多くのものを森に依存しており、イノシシやウサギ、シカなどの動物、魚やエビ、カニ、野菜や果物をそこから採って食べています。薬草や染料、燃料となる薪も森から採ってきています。家、お堂、寺院などの建物もみな木でできています。
山に住む人たちは、自分たちが暮らす森のたいへん複雑な自然について、実によく知っています。生態系のバランスは精巧にできているだけに一度壊すと修復は難しく、それに適応してきた村の人たちの生活も、森が失われれば破綻してしまいます。チェンマイ県のすぐ北側に接するビルマのシャン州は、世界屈指の麻薬の産地です。こうした状況下、森の生活が成り立たなくなり、止むに止まれず麻薬の運び屋の仕事に従事する人が出ます。許されるべき行為ではありませんが、くらしの基盤が破壊され、この地域に多い少数民族に対する差別などもあるギリギリのくらしの中で、数少ない収入源となってしまっているのも事実です。しかし麻薬の密売は、取引の最中に命を奪われることもある、たいへん危険なものです。
あるいは人身売買。子どもたちや女性ばかりでなく、男性でも漁船労働者などに売られることがあります。関係ないと思われがちですが、日本はこうした人身売買被害者の受け入れ国として、大きくこの問題にかかわっているのです。先進国といわれる国では唯一と言っていい状況です。

政府の森林保護対策
タイ政府は1989年に、木材の商業伐採を全面的に禁止しました。同時に保護政策を強化し、森を保全林、野生動植物保護区、国立公園などに指定しました。問題は、元からあった村がこうした指定地域に入ってしまうことです。国立公園では落ち葉一枚持ちだすことすら違法とされています。ですから、その指定を受けた地域にある村は、生活すること自体が違法になるのです。野生動植物保護区に至っては、そこに入ること自体が禁止です。にもかかわらず、そこにも村があります。さらに農地改革事務局や灌漑局、かつては軍までもがかかわって、森をめぐる施策を複雑なものにしてきました。
村の人たちは自分の生活を続けています。でもしばしばこの“保護政策”のために逮捕されたり、移住させられたりしています。移住先には、宅地しか準備されておらず、移住の条件として提示されていたはずの農地がない!なんてこともあります。昔は軍隊が来てトラックに無理やり乗せられ、元の村にあった家には火をつけられることもありました。今も学校やインフラなどの整備をせず、兵糧攻めのような方法を使って移動を促す方法が取られることもあります。
政策によって森を囲い込めばそれだけ木材が貴重になり、当の森林局員が権力を乱用して不法伐採している場合もあるとされるなど、問題の解決は容易ではありません。不法伐採の際、最も“有能”な労働者は、その土地に詳しい地元の人たちです。生活が苦しくなった人たちによって、数少ない収入の機会とみなされることもあります。逮捕されるリスクや村が洪水になる恐れもありますが、強いものには逆らえない現実を前に、どうせ誰かがやるなら自分がやろう、となることもあります。こうしてまたメディアなどによって「農民悪者論」が吹聴されていくのですが、その背景を考えてみようとする人は稀です。
こうして破壊された森の利用がさらに制限された結果、村人のくらしは貧困化し、一部はさらに山奥に入っての開墾を試み、一部は不法伐採に日雇いなどで従事することで糧を得ようとしたため、森は一層荒れてしまうという悪循環に陥りました。
タイ政府は確かに森を守る努力をしてきました。その効果もあって、チェンマイの町から周りの山々を見ると、実にきれいな緑が広がっています。しかし国道から1本脇道に入ると、森は伐られ放題などということもあります。「国土面積の40%を森林に」という目標にはなかなか近づきません。一方でタイの心臓部ともいえる首都バンコクおよびその周辺の農業・工業のさかんな地域に供給される水は、全て北タイから流れてくるものです。つまりここの保全に失敗するとタイの経済成長自体が影響を受けかねないという意味で、北タイは極めて重要な地域であり、政府も頭を悩ませているところなのです。

森で生きる人たちの知恵と共有林法
こうした中、現在では森を守るためには地域住民を排除するのではなく、彼らのくらしを維持する程度の利用を認めた上で、同時に保全も担わせるのが一番いいのではないかと言われるようになってきています。森は山村住民にとって生活の基盤ですから、これは当然というか、極めて理に適った方法だともいえるのです。
森を守るには、森で生きてきた人の知恵や経験を活用するのが最良の方法です。住民による管理と利用を認めていく一方で、くらしに必要な木の伐採に際しては必ず森林局に報告させ、売るためには伐らないなどの規則を作る。こうすれば、畑を持てない貧しい人も、従来通り森に行って生活の糧を確保することができます。
 タイの森は雨が多く、年間積算温度も高いので、伐り過ぎなければすごい勢いで再生します。そこで生きていこうとする地域の人は、今までの生活に根付いた利用さえ認められれば、当然培われてきた知恵と経験をフルに生かして森を守るようになります。そんな発想に基づいた「共有林法」は、山村住民の悲願ですらあります。しかし森林局にとっては権限が減ることを意味しますし、村人は焼き畑を行う森林破壊者であるという世間一般のイメージ、さらに密伐採や密猟で稼いでいる黒幕などがいることもあってか、もう10年近くも前から何度も国会で審議されてきたにもかかわらず、ついぞ成立せずにいます。

立ち上がる村人たち
こうした中で、従来通り森を守りながら生活をしていこうと、村人自身が立ちあがる例が出てきました。森林局の役人や国立公園の公園長クラスの人には大学の森林学科などで学んだ人もいますから、このままでは上手くいかないことをよく知っています。良心的な人も少なからずいて、村人がグループを作って活動を始めると、その利用をいわば“黙認”する例が出てきています。日本でも水俣病やB型肝炎に関する訴訟などにあるように、立ち上がる人がいてはじめて世論が動くという例がたくさんあります。
立ち上がった住民にとって、一番のハードルは、村の中で意見がまとまらないことです。密伐採などによって生活を支えようとする人と、森を守ろうとする人。不法伐採の背後には権力者がいて、森を守ろうとするだけで命が狙われることもあります。そんな中で、このままでは村での生活が成り立たなくなってしまう、何とかしようと立ちあがる人たちがいます。Linkは、こうした人たちの活動を支援していこうとしています。
話は飛びますが、私たちがこの仕事をやっていて最も遣り甲斐を感じられるのは、こういう人たちと一緒に仕事をする時です。

Linkの活動―村の地図作り
村の人たちが自分たちで森を管理しようとする際、森林局と交渉するためにはその範囲を示した地図の提示が必要になります。しかし村人だけで地図を作成することは非常に難しい。そこでLinkはGPSを使ってスタッフが村人と共に、彼らが守ろうとする森の周囲を測位し、地図の作成を支援しています。地図があれば、いまも木を伐って生活をする村人や外部の人にも、「この辺の木は伐らないで」と話をすることができます。
タイでは村の範囲を示した地図すらほとんどありませんから、まず歩いて村境を測ります。次に村人が守ろうとする森の周りを測ります。小さい村なら数日、大きな村では1ヶ月かかることもあります。道などないところを歩くので、体力も必要です。
地図はLinkが作ります。地図は一度作ったらずっと使えます。私たち都市の住人は森林産物やそこから流れ出る水を使って生活していますが、森を守ることはできませんから、彼らが森を守る代わりに、私たちが地図を作ればいいのです。お互いにやれることをやればいいと考えています。

Linkの活動―村の歴史や生き物に関する情報を集める
活動の際には村の歴史も集めます。北タイの村で、村史などが残されているケースはまずありません。お年寄りが一人亡くなるたびに、歴史もその分消えていく。それはそれでいいと思うのですが、しかしいろんな面でこの情報化時代に対応するには不便な面が出てきます。
「村のことを記録しておきませんか」と村の人たちに呼び掛け、集まってもらいます。「ここに村ができたのはいつ?」―「今の村長のじいさんが来た時だから…30年くらい前かな…」といった調子で情報を集めていきます。例えばですが、現金が入り始めた指標としてラジオを最初に買った人は誰かを聞きます。これは町からの情報が一気に入るようになった時期ということにもなります。オートバイの購入はさらに多くの現金が入るようになったことを意味します。それにこれは外から入ってくる商人にとっても、一度に運べる物の量が飛躍的に増えたことを意味し、様々な商品が入ってきて村の生活が変わった可能性を示唆します。
農作物の変化についても聞きます。北タイの村では、白ゴマは元々田んぼの脇で自給用に植える程度でした。しかしある程度以上の規模で植えるようになったとすれば、それは商人が買い付けに来はじめたことを意味します。それは肥料や農薬の投下を伴い、村人にとっては負債を負う可能性が出てくるようになったことを示しています。
同時に村の川や田んぼ、周囲の森に棲む生き物のことも聞いていきます。大型の動物は森が荒れればすぐに消えていくし、魚の種類の減少と農業の変化が何らかの相関を示す場合もあります。
森を守る活動を始めた時期やこれまでの活動についても聞きます。記録があれば、役人に村人の活動を認めてもらう際に、地図と合わせて一つの説得のための材料として利用できます。
これらを記録することによって、自分たちの“来し方”をみなで共有できるようになり、“行く末”を考える時の足がかりにもなります。
情報を聞き取る際には、みんなで共有できるように、A4など紙にマジックで大きく書いて、床においていきます。子どもたちや、教育を受けることができなかったために字が読めない高齢者や少数民族にも分かるように、紙にはタイ文字と合わせてなるべく絵も描くようにします。一人でも多くの人に集まってもらい、楽しく進めることによって、ほとんどの場合村の一部の人しか関心のなかった森を守る活動に、より多くの人が興味を持ってくれるように意図します。
子どもたちにとっては、自分の住む村の歴史の教科書ができ、理科や社会ばかりでなく国語(タイ語)や算数の勉強にも使うことができるようなものにすることを目指します。

Linkの活動―最後は村人に託して
地図と歴史や生き物の情報は1冊の冊子にまとめます。簡単になくなったりしないように、20冊作って村長などばかりでなく寺や学校、協力してくれた人などにも行きわたるようにします。
地図はずっと使えますが、歴史情報などの量はたかが知れているので、今後は村人自身で情報を足し、改訂を重ねていくように勧めます。限られた時間の中でLinkが村の歴史を詳細に集めるには限界があるし、その必要もないと思います。むしろ今後、より多くの村人が村のことに関心を持つ“きっかけ”を作るのがこの活動の狙いです。
私たちは、さらに情報を集めたり、その正確さを期すための方法を楽しく紹介し、これからどんどん改訂し、いいものにしていってくださいと言って村を離れます。その後どうなるかは時間を経なければ分かりません。いずれ村のことは村人自身が関心を持って取り組まなければ改善はされません。村人は関心がないのにNGOができる村おこしなんて、少なくとも私たちのような小さな団体にはあり得ないことだからです。
森を守る活動は3日後に成果が出たりするものではありません。昨年度は7村で活動しましたが、評価は3年後、5年後といった時間のかかる話です。私たちは住民主体の森を守る活動によって、地域の人たちが最低限の生活を確保できるようになり、同時に彼らこそが森林保全の担い手に相応しいということが一般に知られていくことを目標にしています。

おわりにー私たちにできること
タイの森を一番消費したのはイギリスとその植民地で、次が日本といわれます。日本は木の自給が可能だと言う専門家もいるくらい豊かな自然が残っているにもかかわらず、林業は不振を極め、木材の輸入量は実質世界第1位です。その用途で一番多いのは紙で、消費される木全体の4割を占め、国民一人当たりの年間使用量は247kgにも及びます。タイはほぼ世界平均の64kgを使っていますが、ネパールは1kg、アフガニスタンは0.1kgです。
今日は木を送り出す側で起こっていることの一面を紹介しました。豊かな森があるために暮らしを破壊され、立ち上がる村人が脅迫されたり、時には暗殺されることすら起こります。言うまでもなく、これら森林資源の問題は、私たち日本人自身の問題でもあるのです。外国に行って活動したり政治にかかわるというようなことでなくても、例えば裏紙を使うだけでも節約は出来るのです。日本人の消費する資源の量を考えれば、一人ひとりの行為は小さくても、大きな効果を生むことだってあります。こういうことをいうと経済が停滞すると言われることがありますが、では、豊かさや資源とは誰のものなのでしょうか?
資源や環境問題は優れて人権の問題だと思うのです。関心を持っていただけた方がおいででしたら、まずは身近なところから出来ることを探してみてください。

Linkのホームページ:http://www.geocities.jp/link_chiangmai_forest/