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2012.03.02
講座・講演録

第42回部落解放・人権夏期講座 全体講演1-②
「人権教育・啓発推進法」と「世界プログラム」の活用を!

平沢 安政(大阪大学大学院教授)

1 人権の今日的なとらえ方
  はじめに、人権の今日的なとらえ方について、6点ほど簡単にお話しさせていただきます。
  ①近年、人権や環境保護、多文化尊重などの考え方がグローバルなパラダイムになってきています。例えば、かつては営利目的の企業に対して、人権や環境に配慮する姿勢が強く求められることはあまりありませんでしたが、今では人権を尊重し、環境と調和することをないがしろにした途端に、ビジネスも破たんする時代になりました。特に21世紀に入ってから、グローバルコンパクトやISO26000などを通じて、企業の問にも人権や環境を重視する価値観が広がっています。
  ②2点目は、「ナンバーワン」より「オンリーワン」を重視する価値観の広がりです。私たちは高度経済成長の時代から、競争に勝って一番になることを重要な価値としてきました。ところが1990年代以降、人権や多文化尊重の考え方が広がり、オンリーワンの尊厳を大切にする価値観が重視されるようになりました。SMAP(スマップ)の「世界に一つだけの花」という歌のように、自分らしい花をしっかりと咲かせることが美しいという考え方が、個人の自己実現、特色ある学校や地域づくり、オンリーワンの企業づくりなど、さまざまなところで大切にされるようになりました。
  ③3つ目は、国際的な人権基準の存在です。現在、世界の人権教育の中心には、国連による「人権教育のための世界プログラム」があります。2005年に始まった世界プログラムの第1段階では、初等・中等教育に焦点をあてた、つまり小・中学校・高校での人権教育の重点的推進が提案されました。そのプログラムが昨年(2010年)からさらに第2段階へと移行し、対象が拡大しました。大学のような高等教育、それから教員、公務員、法執行官等の特定職業従事者に対する人権研修が非常に重要だとして、世界プログラムの中で強調されるようになりました。つまり、人権教育を推進するという国連主導の取り組みが、その対象範囲を拡大する形で今に至っています。
  ④4つ目は日本国内における法的根拠の充実です。国際社会で人権教育の推進が広がってきたこともあって、日本においても、次第に人権教育や啓発をしっかりやっていこうという方向に動きだしてきました。2000年に「人権教育及び人権啓発の推進に関する法律」(以下略称「人権教育・啓発推進法」)という法律が日本で初めてできました。日本には人権教育や人権啓発を根拠づける法がそれまでは存在していなかったのですが、2000年にこの法律ができました。1990年代以降の国際的な流れが外圧となって、日本に対して影響を及ぼしたとみることができます。そしてこの法律にもとづく「基本計画」(その改定案を今日はあとで提案させていただきますが)が2002年にできました。
  ⑤5つ目は学習方法に関わることです。このような大きな流れと連動して、人権の学習方法に関しても変化が起こっています。これまでの教育においては、講義形式や教え込み型のやり方が支配的でした。ところが最近では、みなさんお気づきのように、「参加・体験型」で学ぶ傾向が広がっています。ただ受身で学ぶのではなくて、具体的な課題解決をどうするのか、学び手を中心に据えてさまざまな知恵を寄せあい共有する形で学ぶということが大事ですよ、という考え方が、人権教育の世界でも広がってきました。そしてこのような学習をコーディネートする、いわゆるファシリテーターのみなさんも増えてきました。
  ⑥最後、6つ目のポイントは、同和教育から人権教育、さらには市民性教育への進化です。かつて同和教育という名称で始まり、その後次第に人権教育として裾野を拡大してきた取り組みが、今や国際的には市民性教育という枠組みで語られるようになってきました。人権尊重を世の中に実現するためには、一人ひとりの市民が受身的な学習者にとどまってはいけない。人権の価値観がほんとうに大切にされるような世の中をつくるために、一人ひとりの市民が考え、感じ、行動する。そういう市民としての力量や資質を育てることをめざさないといけないのではないか。そのような問題関心が高まっています。人権教育の出発点においては、差別の諸問題について、専門家や当事者が語るのを聞くことで理解を深める学習が主だったのですが、これからは、人権文化を世の中に豊かにしていくために何ができるかを考え、その実現のために行動する市民になっていくことが求められています。つい最近『人権教育と市民力~「生きる力」をデザインする』(平沢安政編箸、解放出版社、2011年)という本を仲間と力をあわせてつくりましたので、この機会に読んでいただけるとありがたいなと思っています。

2 らせん状に進化する人権
人権教育をとりまく環境が、20世紀から21世紀へと移行する過程でずいぶん変化し、それとともに、人権のとらえ方も大きく進化してきたと私は考えています。一直線に高速エレベーターで高層階に昇るようなスピードで変化してきたわけではなく、昇ったり下降したりの複雑な形状のらせん階段を上るような歩みでしたが、何十年という時間軸で見ると、以前よりずいぶん高いところへと私たちは人権水準を進化させてきたのではないかと思います。
①世界人権宣言から現在まで
人権について考える際に重要な基盤となるのは、1948年にできた「世界人権宣言」です。ただ、「世界人権宣言ができ、「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である」(第1条)とうたったからといって、世界の現実がただちに人権的になるほど世の中の現実は甘いものではありません。したがって世界人権宣言が示した理想が現実化するために、その後国運はさまざまな条約をつくってきたわけです。人権関連の条約は、今日まで、全部数えると30あります。そのうちの4つだけ例にあげますと、人種差別撤廃条約(1965年)、女性差別撤廃条約(1979年)、子どもの権利条約(1989年)、障害者の権利条約(2006年)などです。
このなかで最も古いのが人種差別撤廃条約です。1960年代のアメリカではキング牧師ら黒人のリーダーたちが公民権運動のうねりをつくりだし、1964年の「公民権法」ができました。そしてこの公民権法の1年後、国連で人種差別撤廃条約ができたのです。
偶然なのか、あるいは同じ時代背景があってのことといえるかもしれませんが、部落差別を日本社会から実態的にも心理的にも速やかになくさないといけないと強調した同和対策審議会答申が出たのが1965年です。人種差別撤廃条約ができたのと同じ年に、日本では同和問題を一刻も早くなくすために、国の責務として、国民的課題として、特別な努力を払って取り組みをすることが必要だと答申で求められたのです。
国連が女性差別撤廃条約をつくったのは1979年ですが、日本がこの条約を批准したのは1985年です。なぜ6年も後になったのか。それは当時女性差別撤廃条約がうたっていた水準と、日本社会での実態の間に、あまりにも距離があったためです。その距離を埋める何らかの証を日本国内につくることを抜きにして、女性差別撤廃条約に加入できない。そこでつくられたのが1985年の男女雇用機会均等法でした。これが成立したことをもって、日本は女性差別撤廃条約に加入するという手続きを踏んだのです。
つまり国際社会における人権水準を高めようとする動きと、国内での取り組みの問には、一定のギャップが生じるわけですが、大きな視点でみると国際と国内とは必ず連動していくのです。国際的な人権水準を高めようという動きは、国内的な取り組みを活性化する役割を果たします。そういう形で日本の国内においても人権の水準が高まってきた。こういう関罎係があるということを申しあげておきたいと思います。
②曰本の場合
ある種の人権問題を特に取り上げて、この問題の解決は国の責務だ、国民的課題である、そのために特別な措置や法律が必要だ、と提起したのは、同対審答申が日本の歴史上初めてのことでした。日本には戦後日本国憲法がつくられ、基本的人権の尊重という理念はうたわれていましたが、現実に存在する部落差別という深刻な人権間患に対して、その解決のために国の責務として取り組むという明確な位置づけがされたのは、日本社会の数ある人権問題の中でも同和問題が初めてでした。
このことが突破口となり、1970年代、1980年代には、同和問題に加えて、女性の権利、障害者の権利、外国人の権利という四種類の差別問題が重要な人権問題であるという認識ができていきました。
この認識はさらにその後、進化していきました。1995年から2004年まで「人権教育のための国連10年」が取り組まれ、曰本の政府も、そして多くの都道府県や自治体において、「人権教育のための国連10年行動計画」がつくられました。つまり1995年以降、日本の国や各地において、人権に対する取り組みが国連の動向と連動する形で大きく動きはじめたわけです。
そのときに、「人権の重要課題」という言い方で、さまざまな人権課題がリストアップされるようになり、現在に至っています。かつて部落問題を中心に4つあげられていた人権課題に加えて、子ども、高齢者、アイヌの人々、HIV感染者・ハンセン病患者等、刑を終えて出所した人、犯罪被害者等、そしてインターネットによる人権侵害などが、今、日本社会において人権の重要課題としてリストアップされている課題なのです。
つまり、私たちが人権教育・人権啓発について考える時に、その対象となる重要な人権課題は、大きく幅が広がっているということです。しかもそれは、ある範囲で止まるわけではないのです。時代の変化とともに、たえず人権の新たな問題が生じてきます。
今、多くの人びとが注目しはじめている人権教育の課題は何か、というと、それはインターネットやケータイに関わる人権問題です。小学校や中学校において、ネットやケータイ上で誹誇(ヒボウ)中傷される事件などが起こっています。もう一つが、セクシュアル・マイノリティの人権問題です。セクシュアル・マイノリティは性的少数者ともいわれますが、具体的には同性愛の人びとや性同一性障害の人びと等を指して使われる概念です。私が勤める大学でも、セクシュアル・マイノリティの当事者としてカミングアウトする、つまり周りにその事実を明らかにする学生が近年増えてきていますし、若い世代に、セクシュアル・マイノリティをめぐる課題が、非常に高い関心をもって受けとめられる状況が生まれてきています。
人権と一言でいっても、時代時代の変化の中で、人権課題の種類も変わっていくし、特徴も変わっていきます。人権をめぐる状況は、このように刻々と変化し続けていきますから、ぜひみなさんには生涯学習としての人権学習を継続していただきたいというふうに思います。

3 「反差別」から「人権文化」ヘ
続いて「『反差別』から『人権文化』へ」というお話に移ります。もともと人権教育や人権啓発の出発点は、同和問題を中心に、世の中に存在する悪しき差別の慣習や偏見を是正するために、差別はいけないというメッセージを伝えることが喫緊の課題である、という認識にありました。そのため、「差別をしない、させない、許さない」ということを前面に据えた反差別の教育や啓発が中心に展開されてきました。
こうした取り組みは今ももちろん重要ですが、それだけでとどまっていてはいけません。人権を他人事にとどめるのではなく、いかにすべての人にとっての「わが事」にしていくのかということです。ここで考えていただきたいのは、例えばみなさん自身が、人権の主体として、自分という存在に自信をもち、ありのままの自分に誇りと肯定的な感情をもって生きられているかどうかです。そして、みなさんご自身が、世の中を構成するさまざまな違いをもった多様な人びとと良い出会いをし、良い関係をつくることができてきたか、考えてみてください。差別されている人だけが人権の当事者なのではなくて、すべての人が自分らしく生きるということに誇りをもち、自分にしかできない生き方を自己実現的に歩むような、そんな人生を送りたいという共通の願いをもっているのではないかと思うのです。多様な違いをもった人たちと良い出会いをし、良い関係を築きあげることによって、自分の居場所や生きる世界をもっと広げ、価値観を豊かなものにし、社会に能動的に参画していく。そういう生き方をすることが、人権文化豊かに生きる生き方ではないかと思います。これはすべてのみなさんにあてはまる課惠だと思うのです。つまり、人権というのは決して他人事ではないのです。
人権について学びを深めるということは、豊かな人生をつくるうえで役に立つ。世の中全体の人権文化を豊かにするということと、自分が人権文化豊かな主体として生きがいをもって生きるということは、連動するのです。そのことを国連は、「人権文化」という言葉を使って呼びかけたのだと、そういうふうに受けとめていただければと思います。

4 「人権教育・啓発推進法」の意義と課題
意義
さて、つぎに「人権教育・啓発推進法」の意義と課題というお話に入ります。
先ほど少し触れましたが、日本では2000年に「人権教育・啓発推進法」ができ、2年後に「人権教育・啓発に関する基本計画」ができました。この「基本計画」の中に、「学校での人権教育の課題とその指導方法等のあり方について、専門家による調査研究を行う必要がある」、と書きこまれたおかげで、文部科学省のもとに「人権教育に関する調査研究会議」ができました。私は今その委員をしています。そこから2004年から2008年にかけて、第1次、第2次、第3次の3段階にわたる、人権教育に関する一連の「とりまとめ」文書が出ました。特に2008年の「第3次とりまとめ」は、今、日本のすべての学校で人権教育をすすめるうえで、その基本的な土台になるものとして位置づけられています。
かつて文部省が、同和教育や人権教育をすすめるにはこういう考え方が重要だとか、このようなやり方があるといった形で、方向性を示したことは一度もなかったのです。しかし「人権教育・啓発推進法」や「基本計画」ができたことによって、文科省のもとに研究者会議ができ、そこでいろいろな情報収集をし、議論し、まとめられたものが、今、全国の人権教育の基盤となり、人権教育の推進に大きな役割を果たすようになってきています。
「人権教育・啓発推進法」ができたおかげで、全国のおよそ3割にあたる自治体において、何らかの人権教育・啓発の推進計画が策定されたり、策定が予定されたりしています。そして22の都県において人権啓発センターができています。つまり、「推進法」や「基本計画」は、さまざまなところで人権教育・啓発の取り組みが進む基盤となる法的根拠になったということです。
課題
しかし、そうした成果があがった一方で、子どもの権利委員会、人種差別撤廃委員会、女性差別撤廃委員会などの国連組織から、くりかえし日本に対して、人権教育・啓発でこういう弱さがあるという指摘を受けています。しかも、そのような状況がなかなか変わらないという問題を日本は抱えています。特にその中でも課題と思われるものをあげてみます。
①「人権教育」(Human Rights Education)とはいうものの、権利の扱いが不十分である。つまり、心がけとか思いやりとか、私人問の関係性のレベルにとどまっているのではないかとして、弱点が指摘されています。
②人権尊重の精神を育てるというところにとどまっていて、公権力を有する立場の人には.市民の人権の実現をはかる責務があり、その責務を果たきなければならないという認識がまだまだ弱い。したがって、公権力を有する者に対する研修(Training)の視点が不十分であると指摘されています。
③たしかに市民の講座や集い、学校の授業などで人権教育は部分的に行われているものの、そこから社会や職場、組織を人権尊重の理念で作り変え、人権文化に満ちた社会を作るという、「人権の社会づくり」の視点が不十分であるといわれています。
④人権教育・啓発の取り組みにおいて「個別的視点」と「普遍的視点」の関係が曖昧(アイマイ)です。個別的視点とは、例えば部落差別や障害者差別、女性差別、セクシュアル・マイノリティに対する差別など、個々の課題について具体的に学ぶことです。しかし個別課題をバラバラに学習しても人権全体を俯瞰することはできません。そこで法の下の平等や個人の尊重といった普遍的な視点と重ね合わせる必要があります。例えていえば、個別的視点を縦糸とすると、課題ごとにさまざまな縦糸があります。きちんとした織物にするためには、普遍的視点という横糸でつなぎ合わせなければなりません。これが個別的視点と普遍的視点の統合です。
例として、大阪府人権室が出している啓発冊子『ゆまにてなにわ』の事例をとりあげます。この冊子は、2001年までは個別課題しかとりあげていませんでしたが、2002年頃から、人は違うからこそ尊い、固定観念やステレオタイプに気づく、自尊感情を育てる、相手を傷つけずに自分の気持ちをうまく伝える、生命の尊さ、などといった「普遍的視点」が加えられました。しかし全国ではこういう縦糸と横糸を織り合わせたのはまだまだ少なく、個別の人権課題だけをとりあげるか、とにかくみんな人権を大事に仲良くしましょうという抽象論に終わるかのどちらかになっています。
⑤日本の人権教育・啓発には国際的・グローバルな観点が欠けています。
今日みなさんに参考資料としてお配りした冊子「人権教育・啓発に関する基本計画の改定案~その全面改定を求めて(第1次案)」は、10年前にできた「人権教育・啓発に関する基本計画」について、私たちの問題提起をまとめたものです。
その「改定案(第1次案)作成にあたって」のところには、日本の基本計画は、「国際的な人権教育の発展と日本の現状とのかい離が、強く懸念される」と書かれています。今、基本計画を改定し、人権の国際水準と動向を踏まえて全面的に見直すことが必要です。しかし今年(2011年)の4月1日に政府は、「北朝鮮当局による拉致問題等」を「各人権課題に対する取り組み」に追加するということだけに限定した形で、基本計画の一部変更を閣議決定するにとどまっています。これでは国際社会の人権教育と日本の人権教育の間のギャップが開く一方です。
それで、10年前にできた基本計画を見直そうじゃないかということで、関係者のみなさんと何度も協議を重ねてつくったのが、この改定案です。問題提起として、今日もみなさんに少しご紹介したいと思います。

【1.特徴的な成果と課題 ①国際関係】として「国連人権諸条約の各委員会から、日本の人権教育・
啓発の現状、特に公権力を有する人々をはじめ特定職業従事者に関する人権研修に対し、批判的意見が繰り返し示されている」と強調しています。
また、【②日本政府の取り組み】では、「課題としては、第1に、貧困問題が被差別者や社会的に不利な立場に置かれた人々により大きな影響をもたらしているにもかかわらず、生活向上や人権侵害救済の取り組みは「自己責任」の名のもと軽視され気味である。他方で、人権教育・啓発だけが取り組まれるという「人権行政の倭小化」傾向が続いている」と述べています。
つまり、本来人権にかかわる行政は、貧困や格差などの問題に取り組まねばならないのに、やっているのは年に1回の市民の集いや、年数回の研修といった表面的な人権教育・啓発だけです。人権問題と本当の意味で向き合い、公権力としてやるべきこ迄をやる姿勢が弱いのではないかということをここでは強く指摘しています。
あとで全部読んでいただければ一番ありがたいのですが、時間がありませんので、少し先にすすみます。【2.人権教育・啓発の在り方】のところでは、政府の出した基本計画があるというのは、とてもいいことなのだけれども、でもその基本計画が10年も経つので、内容を見直しましょうよ、ということを問題提起し、私たちだったらこのように見直しますという対案を書きこんでいます。
【基本理念】として、「国民相互の理解の強調に比べて公権力にある者をはじめ市民の権利を実現する「責務の保持者」の責務などへの言及が弱く、エンパワメントとしての機能や教育そのものを人権としてとらえる視点の欠如など、理念において不十分な点がある」と述べています。
この理念をふまえたうえで、【目的】として、「人権教育・啓発は、あらゆる公共機関や地域・職場等における人権学習を促進し、すべての人々が基本的人権を実質的に保障され、あらゆる差別が撤廃されて、人間としての尊厳が確立された人権尊重社会を実現することを目的として行われるものである」とし、人権教育・啓発の目的を簡潔に整理しました。
次に【定義】で、「……人権研修とは、公務員をはじめとして人権の実現を責務とする特定職業従事者など、人権行政・人権教育の推進、人権擁護に関わる人々や企業等の組織構成員等職務を遂行している人々の、人権に関する研修活動をいう」としています。どのような人々を対象にして研修を強化する必要があるかを示しています。
そして、そのための【基本原則】として10個あげました。
①人権教育・啓発のすべての人への保障
②人権を実現する「責務の保持者」に対する研修・養成
③生涯学習としての人権学習
④エンパワメントの視点。具体的には、「人権教育・啓発は、人権の享有主体である人々の自己評価や
権利意識を高め、人権侵害など人権状況を規定しているものに目を向け、それを変える力をはぐく
む、エンパワメントとなるものでなければならない」ということです。
⑤普遍的視点と個別的視点を効果的に統合すること
⑥人権としての教育の保障
⑦国際的な視点
③支援機関の強化
⑨国や地方公共団体の責務
⑩総合的推進体制の確立。具体的には、国が人権教育や啓発を推進する際、学校教育は文部科学省、
人権啓発は法務省と分けられており、責任主体が暖味です。しかし、男女共同参画の取り組みにつ
いては内閣府に統合されています。ですから人権教育・啓発についても、内閣府が関係部所を巻きこ
みながら、全体を統合することが必要です。地方自治体でも、首長部局や教實委員会でバラバラに
進めている人権教育・啓発を連携させる必要があります。

5 「人権教育のための世界プログラム」(2005年~)のポイント
もともと国連は、「人権教育のための世界プログラム」のことを、World Program for Human Rights Educationと英語で表しています。最初、日本政府に先だって私たちが国連文書を翻訳をした時に、これを「人権教育のための世界プログラム」と訳しました。ですがその後政府は、「世界計画」というふうに違う訳を出してきました。英語でFirst Phaseとなっていたものを、私たちはこちらのほうがわかりやすいだろうということで「第1段階」と表現したのですが、政府の訳では「第1フェーズ」という訳になっています。ですから、みなさんが「世界計画第1フェーズ、第2フェーズ」という表現をご覧になった時に、それは政府訳なんだと思ってください。私たちは「世界プログラム第1段階、第2段階」と言っていますが、同じものを別な言い方で表現しているだけです。
この世界プログラムは、1995年から2004年まで取り組まれた「人権教育のための国連10年」の後継計画です。また今年の3月23日、国連人権理事会は「人権教育および研修に関する国連宣言案」を採択しました。この宣言案は今年の末に国連総会で可決ざれ正式な宣言になる見通しです。この案の日本語訳は、大阪のヒューライツ大阪(アジア・太平洋人権情報センター)のホームページに出ていますので、ご参照していただきたいと思います。

6 おわりに
最後に2点ほどお話しさせていただいて終わります。1つは、この講演では「『人権教育・啓発推進法』と『世界プログラム』の活用を!」というタイトルをつけましたが、その意図は、国際的な流れから学びながら「人権教育・啓発推進法」と「基本計画」を全面的に見直して、それらの内容をざらに充実きせるために作り変えていく必要があることです。
もう一つは、人権教育・啓発では、単に国民が互いに差別・排除しないようにすることだけではなく、公権力である国や行政、企業など事業体の取り組みが特に重要だということです。そのような公権力の取り組みがしっかり行われることで、人権尊重という国際水準の考え方が私たちの日常生活に根づき、人権文化が育まれるのです。そういう方向に向かって、さらに人権文化を豊かにし、人権尊重社会をつくっていくための人権教育・啓発をいっそう推進することが大事だということを申しあげておきたいと思います。
そして、人権教育や啓発は、やらないといけないからとか、職務上仕方なく、ではなく、自分自身が人権文化豊かな主体としてこの人生をよりよい形で生き抜くためにも不可欠なのだと認識していただくことで、今後も人権ということと主体的に向き合っていただきたいと思います。ご静聴ありがとうございました。