調査研究

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部会・研究会活動 <成人教育部会>
 
自己実現・社会参加への誘導要因
-効果的な成人教育の企画・運営のためのケーススタディ-
4.体験的コーディネーター論
田村 紀子
1.はじめに

 学びの場に関わるさまざまな立場の人たちの間を調整し、対等に話し合える場をつくりながら、「学び」と「社会参加」を意識的につなぐ役割を担う人を「コーディネーター」と私は呼ぶようにしている。

 さまざまな層を対象に、地域の教育施設を拠点にして講座等を企画運営する社会教育担当者。総合的な学習の時間の導入に伴い、生徒、地域の人たちと共に、学習プログラムを組み立て実施している学校教員。そして、地域内外のあらゆる社会的資源を効果的につなぎ、地域の問題を解決したり、相互にサポートするしくみをつくったりする草の根で活動している個人やNPOのスタッフなど。こういった人たちがコーディネーターとして現に活躍している。

 ここでは、1999年度から2001年度までの3年間、私がコーディネーターとして関わってきた亀岡市教育委員会人権教育課主催の「ワークショップで学ぶ人権セミナー」の事例で私自身がコーディネーターとして関わってきた経験を中心に、体験的コーディネーター論をまとめてみたい。

 今までは裏方としての隠れた仕事であったため、正当に評価されることのなかった「コーディネーター」という役割の再評価と、各地域での市民主体による豊かな学びの場づくりの参考になれば幸いだ。

 なお、この事例の詳細は40頁に書いている。あわせてお読みいただきたい。

2.学びの場に関わるさまざまな役割

 コーディネーターと一言で言っても、活動する現場によってその仕事の中身は多様だ。

本稿では、私が実践している、人権教育などの学びの場におけるコーディネーターの役割について具体例を挙げながら、一例として紹介したい。

 まず、図にあるように、参加型学習の学びの場に関わっている人たちの役割を整理してみた。参加者、プロデューサー、ファシリテーター、リソースパーソン、そしてコーディネーターだ。

 連続講座の場合で言えば、ファシリテーターは各回のワークショップのプログラムを企画進行し、コーディネーターはそれらの各回のワークショップをどのようにつなげたら効果的かを考える、総合的な企画運営を担っている。

 私の例で言えば、プロデューサーは亀岡市教育委員会。コーディネーターは私。ファシリテーターとは別に、専門的な知識を持つ人が講義などを通して、情報提供をしてくれたとしたら、その人はリソースパーソンになる。

図 学びの場に関わるさまざまな役割

 参考までにこの事例のなかでのコーディネーターである私とプロデューサーである亀岡市教育委員会が担当した具体的な役割・仕事を整理してみよう。

 まず、コーディネーターの私は、1年目(1999年度)は学ぶ人(参加者層)と学ぶ内容の両面から「すそのを広げる」、2年目(2000年度)は少しだけ担い手になることを意識する「深まり」、3年目(2001年度)は担い手になることに挑戦する「実践」という各年度の目標と3年という期限をもった展望を明確にし、プロデューサー(主催者)である亀岡市担当者と共有した。企画段階での意見交換を十分に行い、コーディネーターである私がそれをとりまとめて、具体的な連続講座案を提示した。

 その他に私が担当した仕事は、(1)講師の選定と調整、(2)全8回とも参加して講座のはじまりと終わりの進行、(3)参加者の様子やプログラムの内容を記録し、ファシリテーターや主催者と意見交換を行ったうえで、次のファシリテーターに申し送りを行い、講座全体の流れをつくっていくことだ。

 参加者と主催者・講師をつなぐことも私の重要な仕事だ。積極的に参加者に声をかけ、講座でどのようなことを学びたいと思っているか、どのような学習の場が求められているかなど、把握したことを主催者・講師に返していくことを心がけた。

 一方、プロデューサー(主催者)である亀岡市教育委員会の担当者が担った役割・仕事は、(1)講座実施の判断、(2)行政サイド内の調整、(3)講師料の確保、(4)講師への正式な依頼、(5)亀岡市全域への広報、(6)参加申込者のケア、(7)会場や講座で使用する備品類の手配、などだ。

 講座当日は、主催者側の担当者も準備するだけではなく積極的にワークショップに参加してもらい、一個人として学んでもらうように促した。

 1年目、2年目ともに原則としてこの役割分担ですすめた。1年実施するとお互いの専門性やよさもより理解しあえるようになるので、協力のありようも明確になってくる。主催者、コーディネーターが2年目に共に意識したことは、参加者の人がより主体的に講座に参加できる場面を多く作ることだった。そのような心がけがそれぞれの仕事や役割のなかに前年度とは違う多少の変化をもたらしていたと思う。

3年目、コーディネーターの私の役割は大きく変わった。1年目、2年目に私が担当したコーディネーターの役割を参加者有志の人たちにやってもらうことが目標だったからだ。いわば、コーディネーター・トレーナーのような役割を負った。

 亀岡市担当者の方が3年目に変わった。原則として引き続き今迄同様の役割を担っていただいたが、3年目、とくにご尽力いただいたのは、コーディネーター実習をしている元参加者の人たちへのサポートだ。具体的には情報共有の中継地点になってもらったり、打ち合わせの場所が借りやすくなるよう協力してもらったりした。

元参加者の人たちがコーディネーターになっていく過程は、事例編で書いているので、そちらに譲りたい。

 行政とパートナーシップを組んで講座事業を実施する際、長期にわたるプランを提案するのはまだまだ難しいかもしれない。行政担当者自身がやりたいと思っても、予算枠そのものが少なかったり、予算枠組みが単年度で、複数年度にわたる事業をなかなか組みにくかったりする実情があるからだ。しかし、受け入れられるかどうかは別として、明確なビジョンやその理念と実現の可能性をきちんと説明、提案していくことがコーディネーターの仕事だと私は考えている。そうすることで、少しずつ理解が得られ、道が開けてきつつあることを実感している。


3.学びの場の可能性

 亀岡市での3年目、講座の内容を決める際には、地域に暮らす人たちの実感のなかでの問題点を明確にし、それをテーマにとりあげた。いきなり「亀岡市が抱える課題」を考えてもらうのではなく、一人ひとりが亀岡市でどう暮らしていきたいのか、それを妨げる問題は何かという切り口で問いかけた。それぞれの問題意識が重なった部分を亀岡市の課題とした。その地域で住む当事者の人たちの問題意識から生まれる講座はより具体的で参加の動機も高めることができるだろう。学びが自分たちの生活にかえってくるような流れをつくることを意識したい。

地域で開かれる連続講座などの学びの場は、そこに暮らす人たちが地域づくりへ、社会づくりへと参加する一つのきっかけになる。

 今まで出会っていなかった人同士が出会い、豊かな関係を築きながら、地域の課題を発見し、その解決策を考える。問題解決に向けて各個人が行動する。そのふりかえりのためにまた集まる。行政に提言する政策をつくったり、地域内で住民同士が相互に支え合うシステムづくりを計画したりして、さらに具体的な行動を起こしていく。行動に必要なことを繰り返し学ぶ。

 このように、「気づき・行動・ふりかえり」を繰り返し、成長し続ける学びの場が存在するかどうかで、その地域の10年後の姿は変わってくるのではないだろうか。 そして、そのような学びの場が地域住民主体でコーディネートされていくことで、地域のなかに一人ひとりの居場所がつくられ、横のつながりがさらに強まっていくと思う。

 コーディネーターは学びの場の展望やその学びの場が地域にもたらす影響を含めた地域そのもののビジョンを描きながら、学びの場をコーディネートする使命を負っている。


4.風のコーディネーター

 地域での学びの場をつくっていくうえで、「風のコーディネーター」と「土のコーディネーター」の協力が不可欠だ(図「学びの場に関わるさまざまな役割」参照)。

 私自身は大阪市内に住み、亀岡市にその都度足を運んでいた。私のような地域外から長期間にわたって関わりを持つ人は「風のコーディネーター」といえるだろう。

 風のコーディネーターの役割や強みは、まず、新しい概念・手法を提示していくことだ。例えば、教育NGOのメンバーである私は、学びの場の土台となる理念や、参加型学習を通した学びの場を企画運営していく具体的なノウハウを専門性として持ち、提供していくことができる。

 次に、コミュニティ内で無意識のうちにつくりあげてしまっている上下関係を崩していくこと、すなわち、「権力の再分配」をすることだ。無意識のうちに関係のなかに序列を生みだし、それが抑圧・被抑圧の関係になってしまっていることがある。関係が固定化されて疲弊した集団になっているかもしれない。私は外から来た何のしがらみもない立場をフル活用して、そのできあがってしまっている力関係を白紙に戻す機会を持ち、再度対等な関係を構築していくきっかけをつくる。市民と行政、講師と参加者など、学びの場に関わるすべての人たちが対等に学びあい、協力し合う環境づくりをめざしている。

 身内に言われるとイヤでも、第三者から言われると割と素直に聞ける、という時があるだろう。そんな時こそ風のコーディネーターの出番だ。議論の場でファシリテーター役をしたり、個別にカウンセラーになったりする。いつかはいなくなる、しかしいつもサポートしてくれている風のコーディネーターになら言える、ということが結構あるのではないだろうか。

 風通しの良い組織・共同体にするためにも、可能な限り風のコーディネーターの協力を得ることを検討してほしい。コーディネーターは一人でなくてもいいのだ。


5.土のコーディネーター

 「学びの場に関わるさまざまな役割」で述べた「プロデューサー」は、「土のコーディネーター」であるともいえる。例えば、地域に根ざしたNGO・NPOスタッフや公共施設の職員、学校教員など、地域内に拠点を構えている人たちがそうだ。

 その最大の強みは、地域のなかにどんな人材がいるのか、どんな施設があるのか、地域の課題は何なのかを一番把握している、地域の情報を集約しているということだろう。

 地域に暮らす人たちの足元の課題に十分に寄り添い、地域の資源を活かした、その地域でしかできない学びの場づくりは、土のコーディネーターに負う部分が多々ある。

 また、土のコーディネーターは「参加のデザイン」を常に意識していただきたい。地域に暮らす一人ひとりの出番をどうつくるのか。まちづくりにどのように参加してもらうか、そのプロセスをデザインするのだ。例えば、暮らしに関わる施策や条例をつくろうという動きがあることを察知した場合、地域住民と共に考える場をコーディネートすることを検討してほしい。地域の人たちがまちづくりに参加できるチャンスを逃さずに、積極的にその道筋をつくるのが仕事だ。

 グループづくりのサポートや、集まる場の提供という役割もある。連続講座などの終了後に参加者がいろいろなことに対して問題意識を持ち、行動を起こそうと思った時、共に活動する仲間や集う場が不可欠である。そのような講座終了後のビジョンも明確に持ちながら、サポートできる立場にあるのが土のコーディネーターだ。


6.風土をつくるための協働

 風のコーディネーターと土のコーディネーターは、お互いの良さや強みを十分に発揮して、その地域の「風土」づくりのイニシアティブをとっている。その活動をすすめるなかで、どのようなことに留意する必要があるだろうか。

 まずは、目標や目的、展望を徹底して共有すること。今どのような課題があり、何のためにこの事業に取り組むのか、何をめざしてどのように事業をすすめていくのか、といったことを十分に議論し、明確にする必要がある。

 何らかの事業に取り組む際、ともすると「仕事でしなければならないから」「毎年することになっているから」「予算がついたから」といった理由に流されがちだ。しかし、そのような状況を越え、本当に意味のある学びの場を一緒に創っていくうえで、お互いのねらいや問題意識をはっきりさせるプロセスが重要だと常々考えている。

 次に役割分担。本稿では、風のコーディネーターと土のコーディネーターの役割分担の例として、コーディネーターである私とプロデューサーである亀岡市教育委員会の場合について述べたが、これらは事業ごと、組織ごとによってもちろん違ってくる。その時その時、どのような役割が必要かを洗い出し、その役割を誰が担うことが最も効果的かを考えることで、それぞれの専門性を十分に発揮できるようになるだろう。

 プロセスの共有もとても大切だ。事業を進めていくうえで結果のみを報告するのではなく、何を困難に思っているか、どんな気づきがあったかを積極的に共有しよう。この段階でそれぞれの団体の特性や実情をよく知っておくと、互いにサポートがしやすくなる。実際の進め方など仕事の仕方についても、相手に学ぶことが多々あるだろう。

 学びの場を創り出すための準備・打ち合わせの時点から、双方が対等な立場に立ち、対話を通して学びあう、いわば参加型の学習が始まっているという認識を持ってほしい。例えば、行政が「市民と行政がパートナーシップを組んでまちづくりをしよう」と呼びかけるのであれば、準備の段階から学びの場に関わるさまざまな人たちが対等な関係になるよう努力している姿勢を実際に市民にみてもらおう。姿勢が発するメッセージは思っている以上に他者に伝わっている。

 ごくまれに、「市民主体ですから、みなさんにお任せします(だから私に仕事をふってくれるな)」と言って、何もしようとしない行政職員を見かけることがある。これでは対等な関係とはいえない。それぞれの立場にしかできないこと、その立場の人がするのが最も効果的なことがあり、それぞれがその役割をしっかりと果たすというところで、対等になることができる。「対等」の意味も常に問う必要がある。

 最後に、「担い手」を循環させるというビジョンを持ちたい。熟度を見極めて、自分が担っていたコーディネーターの役割を地域住民や講座参加者に積極的に譲り、余計なことをせず、プロのサポーターに徹する姿勢を持つことで、風土づくりの担い手の層を厚くしていくことができる。「担い手が育たない」とう嘆きをよく耳にするが、それはなぜか、じっくりふりかえっていただきたい。どのような担い手をどのようにして育てるか、という明確なビジョンがあるだろうか。そしてその目標がどう達成されつつあるのか、定期的に見直しているだろうか。


7.求められるコーディネーター

 今なぜコーディネーターが必要なのか。

地域にはまだまだ出会っていない、発掘されていないだけで、豊かな学びのきっかけを提供してくれる人がたくさんいる。その地域で最高齢の人。地域の歴史に詳しい人、生活のなかの身近な事柄に問題意識を持ち、活動している人。地域内の公共施設で働いている人。地域の産業を支えている人たちなど、多様な人が地域に住んでおり、そのような一人ひとりの経験や生き方がそのまま豊かな学びの場のテキストになる。

 そのような人たちの「出番」をつくったり、同じ地域にいながらいろいろな理由で知り会うことのなかった人たちやグループを出会あわせる機会をつくったりするのが、コーディネーターだ。

 学びの場のコーディネートを通して、地域に住む一人ひとりをエンパワーしながら、その個々人をつなぎ、コミュニティ全体をエンパワーしていく。コーディネーターはそのような「コミュニティ・エンパワメント」において、重要な鍵を握っている。

 その際、ぜひ「しくみ」をつくることを意識していただきたい。一人ひとりの資質や善意に負っていると限界があるし、その人がいなくなったら活動そのものが成り立たなくなったということにもなりかねない。長期的視野をもって、コミュニティのなかで多くの人が参加し、学び、育っていくためのさまざまなしくみをつくることが必要だ。

 地域内の異なるセクター、例えば、学校と地域、市民と行政・企業などをつないだり、地域外とのつながりをつくったりするコーディネーションを専門とする人が今後ますます求められるだろう。


8.コーディネーターのススメ

 そもそも亀岡市の「ワークショップで学ぶ人権セミナー」の目標は何だったかといえば、地域のなかで人権教育の担い手を育成するということであり、教育委員会担当者の最初のイメージでは、「ファシリテーター」の養成だった。それに対して私は、なぜファシリテーターではなくコーディネーターの養成を提案したのか。

 大雑把な言い方をすれば、得意不得意はあるとは言え、コーディネーターになれる人は将来的にファシリテーターにもなれるのではないかと私は考えているからだ。

 コーディネーターは、長期的視野を持ち、講座全体を包括的に企画・運営していく。この講座を通して、参加者の人にどうなってもらいたいのか。その目標を実現するために、各回の内容をどう設定するか。それぞれの内容をもっとも効果的に伝達する方法は何か。それらを明確にし、関わっている人たちと、議論を重ねて徹底して共有していくのがコーディネーターだ。

 学びの場をつくっていく過程での主催者、講師が顔をあわせる打ち合わせなど、さまざまな立場の人が一堂に会する議論の場では、それぞれの思いが十分ひきだされるように、まさにファシリテーター役として会議を進行しているコーディネーターも多いだろう。

連続講座などでは、参加者の反応をみて後に続く講座内容を創っていくので、参加者を観察する力も鍛えられる。

 こういった技能や姿勢は、もちろん、ファシリテーターにとっても非常に重要だ。コーディネーターの実習をしながら、ファシリテーターにも通ずる基本を習得しているといえる。

 コーディネーターとして、数多くのファシリテーターと出会い、その実践を見るなかで、さまざまな課題への考察が深まり、自らの問題意識が研ぎ澄まされていく。そしてそれを伝えるための多様な参加型学習の手法を知ることができる。よって、自然と効果的な参加型学習のプログラム案を考案することができるようになる。

 また、コーディネーターとして講座の始まりと終わりの進行や簡単なアイスブレーキング、ディスカッションの進行をすることで、人前に立つ練習を積んでいくと、そのうちにワークショップ全体のファシリテーターも無理なくできるようになる。現に、亀岡市の連続講座を企画・運営する「プロセス』メンバーも、4年目(2002年度)の連続講座のうち1回は、自分たちでオリジナルの活動案を考え、ファシリテーターを務める回を設けている。

 コーディネーターの仕事は講座などの学びの場の外ですすめられる仕事が圧倒的に多く、さまざまな人たちと助け合いながら時間をかけて取り組んでいく仕事だ。よって、ひとりで、または数人だけで人前に立つファシリテーターになるよりはハードルが低く、「案外私にもできるかもしれない」と思ってもらいやすい面がある。その意味でも、担い手になるための行動の第一歩を踏み出すのに、コーディネーターはうってつけといえる。


9.コーディネーターの輪を広げよう 

 コーディネーターは多岐にわたる仕事を抱えていて実際に自分の活動をじっくりふりかえったり充電する時間をとったりするのが難しいと悩んでいる人が多いのではないだろうか。とりわけコーディネーターという仕事は裏方で行われているシャドウワークのため、やって当たり前で、きちんと評価される機会があまりなかった。

 しかし、すでにお気づきの通り、学びの場づくりや地域づくりにおいて、コーディネーターは非常に専門的な仕事をしており、重要な役割を担っている。

 今、分断されているコーディネーター同士がつながり、自分たちの役割を丁寧に再評価することが必要だと考えている。結論を急がずに、お互いの実践を重ね合わせる過程を経て、「コーディネーターとは」という問いに対する応えを導き出したいと私は思っている。

2001年度、数名のコーディネーター仲間と実行委員会を結成し、1年間をかけて、コーディネーターの役割の再評価とネットワークづくりをねらいとした「学びと社会参加をつなぐコーディネーター・トレーニング』を実施した。 

 2002年にはそのトレーニングの参加者から有志を募り、トレーニングの報告書を編集・発行した。同報告書をご参照いただければ、今回触れることができなかった、より広義で多様なコーディネーターの現状や展望がご理解いただけると思う。

 また、報告書編集チームと同じメンバーが核になり、「コーディネーター・サポートグループ』を2002年末から始めた。毎月1回の例会日を設け、コーディネーター活動を実践している社会教育施設職員やNPOメンバー、今後コーディネーターをめざす学生などが毎回10名前後集まっている。発題者を順番に務め、特に自分が悩んでいること、みんなにも一緒に考えてほしいことを共有する。一人のコーディネーターを他の仲間が文字通りサポートするという場だ。この活動を通して、コーディネーター一人ひとりのエンパワメントをめざしている。今のところ、今後実施する予定のある講座や地域でのプロジェクトに対するアドバイスが欲しい、といったものが多い。実際にこのコーディネーター・サポートグループで仲間のアドバイスを受けて素案が練られ、実現にいたっている講座、プロジェクトが生まれている。

 9月中旬、私が全5回の講師を務めた兵庫県川西市教育委員会主催の人権教育サポーター(コーディネーター)養成講座が終了した。参加者のうち14名程が引き続きグループをつくって関わり続け、実際に人権講座を企画運営していくことになった。亀岡の「プロセス』とはまた違う、新たなコーディネーターグループの誕生だ。

 その時その時の出会いを大切にしながら、各地域に学びと社会参加をつなぐコーディネーターの輪を広げていきたい。

 コーディネーターは孤独だと思っている人がいるかもしれない。だが、実際はそうでもなさそうだ。たくさんのコーディネーターたちが、各現場で活躍している。コーディネーターとして孤軍奮闘中の人たち、その必要性を実感してこれから挑戦しようと考えている人たちに本稿のメッセージが少しでも届くことを願っている(コーディネーター・トレーニング報告書、コーディネーター・サポートグループに関するお問い合わせは地球市民教育センターコーディネーター・プロジェクト(E-mail:tamurank@hotmail.com)まで)。