調査研究

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部会・研究会活動 <成人教育部会>
 
自己実現・社会参加への誘導要因
-効果的な成人教育の企画・運営のためのケーススタディ-
1.講座参加者から学びの場づくりのコーディネーターへ
─京都府亀岡市人権教育企画・運営グループ「プロセス」の事例

田村 紀子

1.はじめに

 本稿では、1999〜2001年度までの3年間、私がコーディネーターとして関わってきた亀岡市教育委員会人権教育課主催の「ワークショップで学ぶ人権セミナー」の事例について述べる。1年目、2年目は講座の参加者だった地域住民が、3年目には亀岡市人権教育企画・運営グループ「プロセス」として、自らが学びの場づくりのコーディネーターになっていく過程だ。

2.NGOでの経験

 私が所属する地球市民教育センターは大阪市に拠点をおくNGOで、1997年の設立以降、足元の課題からグローバルな課題を、参加型学習を通して学ぶことを提案し、各種講座の開催や学校教員研修、行政職員研修、地域住民などを対象にした学びの場へファシリテーターの派遣などを行ってきた。

 同センターに専従職員として在職中、私は講師派遣事業や受託事業の担当をしていた。ここでいう受託事業とは、各自治体の教育委員会などから地域住民を対象とした連続講座などの企画運営を委託され、人権啓発や社会教育の担当者と共にその講座を創っていくことを意味している。主催者の要望(講座の位置づけや目的、とりあげて欲しいテーマなど)を十分に聞きながら、講座全体の構想、各回の位置づけや内容を明確にしたうえで、最適な講師を派遣していた。

 講師派遣事業では単発(1回のみ)の研修会や講座への派遣依頼が多かったが、1999年頃からは連続講座全体を企画し、各回のファシリテーターの選定も含めた形で委託されるケースが増え、受託事業が軌道に乗り始めた。1回のみでは参加者もファシリテーターもストレスがたまってしまう。双方からもっと学びたい、もっと伝えたいという声が多く寄せられていた。そこで、講師派遣依頼があった際には、回数を重ねて系統立てて学ぶことを積極的に提案してきた。それが連続講座の委託の増加につながったのだと思う。

3.最初の第一歩

 亀岡市教育委員会人権教育課の担当者2名が地球市民教育センターを訪れたのは、1999年度初頭だった。まず亀岡市の人権・同和教育推進委員の取り組み、事前に考案された全8回連続講座の企画案などについて説明があった。企画案にはファシリテーター養成を強く意識した「参加型学習の理念と実践」といったタイトルがならんでいた。しかし話を聞くなかで、参加予定者には参加型学習を体験したことがある人自体あまり多くなく、ましてやファシリテーターとしての経験はほとんどない、ということがうかがえた。

 そこで、すぐにファシリテーターになることを目標にするのではなく、まずは純粋な学習者として参加型学習を通してさまざまな課題を深めることをすすめた。その手法が自分自身や講座参加者にとってどのような効果をもたらすのか、身をもって感じることが、将来ファシリテーターになるうえで重要だと考えるからだ。また、本当に地域のなかで人権教育の担い手を育成したいと願っているのであれば、時間をかけて取り組んでいく必要があるとも付け加えた。そこで私からは、3年間をかけて人材を養成することを提案した。簡単に言うと、すそのを広げる1年目、深まり(担い手になる意識をする)の2年目、実践・行動の3年目、というコンセプトだ。

4.広がりの1年目

 上で述べたとおり、1年目(1999年度)はすそのを広げることを目標にした。企画段階で、亀岡の担当者からは「国連人権教育の10年」に重要課題として挙げられているもののなかから、いくつかをとりあげたい、部落問題を参加型学習で学びたい、8回の内の1回は亀岡市内の人権課題に関するフィールドワークをしたいという具体的な要望があった。

 それを受けて私からは次のような連続講座案を提案した。第1、2回では、人間関係や普遍的な人権について学ぶ。次に、地球市民教育センターのファシリテーター陣が専門にしていた在日外国人・子どもの権利・ジェンダー・部落問題などのテーマを取り上げる。その後、亀岡市教育委員会の担当者によるコーディネートで亀岡市内の被差別部落のフィールドワークを実施し、最終回では、亀岡市で人権文化を育むための行動計画を参加者全員で考える、というものだ。

 最初から担い手になることを考えず、まずはありのままの自分をみつめて学びに徹することから始めてもらった。人権といってもさまざまな切り口があるので、興味のあるもの、問題意識を持っている課題をきっかけに他の課題についても参加型学習を通して学んでもらうことにした。そうすることで、内容に加えて、参加型学習のよさや落とし穴を体感してもらうことができたのではないだろうか。

 さまざまな人権の課題をワークショップで学ぶという連続講座は、その地域では新鮮に映ったようで、定員をはるかに上回る人が参加を希望し、盛況のうちに終了した。

5.深まりの2年目

 1年目が大変好評だったため、2年目(2000年度)も原則として同じスタイルで実施したいという依頼が亀岡市からあった。前年と同じスタイル・テーマであっても各回のプログラム内容は違うこと、特に参加者から好評を得た2人のファシリテーターについては、引き続き呼んでほしいことが希望としてあげられた。

 私の方からは次の2点を提案しました。1点目は昨年度とは異なるファシリテーターを採用すること。2点目は全8回のうち、7回目を参加者によるプログラム案づくり、8回目をプログラム案発表会にすることだ。

 多様なファシリテーターとの出会いを重ねることで、「このファシリテーターのこの点はいい」「私だったらこうする」という視点を持てるようになる。それぞれのファシリテーターのあり方が学びの場にどう影響を与えるのかについても感じることができるだろう。

 2年目の目標は、担い手になることを少ずつ意識してもらうことだった。前年同様、人権に関わるさまざまな課題を学習した後、自分だったら何をどのように他者に伝えていくか、ワークショップのプログラム案を考え、それを発表する回を最後に設定した。四苦八苦しながらも、まちづくり、ジェンダー、子どもの権利、部落問題、人権、仲間づくりなどをテーマとするプログラム案が発表された。担い手になることの楽しさ、難しさを感じてもらうことができたのではないだろうか。

 2000年度参加者のうち大多数が前年にも参加したリピーターだったので、2年目の目標である「深まり」を達成するのには好都合であった。と同時に、それだけ多くの人がリピーターであるなら、もう少し企画もしくは運営に携わってもらえる道筋をつくっておくべきだったと反省している。

 NGOとの協働によりワークショップで学ぶ連続人権講座を開催し、それに多くの市民が集まっているという事例は、人権講座のマンネリ化に悩む近隣の社会教育担当者にとっては興味をそそられるものだったのだろう。2年目はカメラやビデオ持参で視察と称して参加する人がたびたび見受けられた。

 「来年も楽しみにしている」という声が参加者からたくさんあがり、他地域の社会教育関係者からも注目されている事業は、打ち切りになったりしないだろう。私は3年目継続を確信していた。このために今までやってきたと言っても過言ではない、「実践の3年目」の始まりだ。

6.実践の3年目

 3年目(2001年度)は、「私が関われる最後の1年だ」という覚悟を持ってスタートした。講座参加者から学びの場づくりの担い手になってもらう、つまり、過去2年間、私がコーディネーターとしてやってきたことを、参加者が代わって実践するのが目標である。よってこの3年目、私はコーディネーターを養成するコーディネーター・トレーナーという新たな役割を負って関わることになった。

 1年目、2年目の参加者のなかから、結局8名が3年目の企画・運営に関わりたいと集まった。8月からの講座開催までに、6月中に2回、企画ミーティングを持った。

 企画ミーティングといっても参加者の間でイメージするものに温度差があったようだ。企画のために少しアイデアを提供すればよいという考え方の人もいただろう。どんなテーマを学びたいか、どんな講師に来て欲しいかなどをメンバーに自由に意見交換をしてもらい、それをもとにそれまで同様、私がコーディネーターとして具体的な形にしていく、という選択肢をまったく用意していなかったわけではなかった。しかし、2年間の付き合いのなかで、誰よりも地域の課題を肌身で感じ、問題意識を持ち、これからも住みつづけたい地域の明確なビジョンを持っているこの人たちこそ、学びの発信者になってもらいたい、この人たちならできると確信していたので、その選択肢はとりたくなかった。

 全2回の事前企画ミーティングでは、それまで私がコーディネーターとして担ってきた実務とその背景にある理念を整理し、企画メンバーに伝えた。

7.地域の課題発見

 まず第1回目の企画会議では、地域の課題抽出のためのワークショップを行い、私がファシリテーターを務めた。

 地域の課題をテーマに取り上げ、それを解決する方法をみつけるために学ぶ、解決方法を実践してみてそれを振り返るために学ぶ、その繰り返しが学びと社会参加をつなげることになると私は思っている。

 そこで、まずは自分の住んでいる地域がどのようになってほしいか、そのなかで自分はどんな風に生きていきたいのかというビジョンを一人ひとりが明確にした後、実際の地域やそのなかで生活する自分が今現在どんな状態にあるのかを分析し、全体で共有した。

 それぞれの問題意識が重なった領域を地域の課題として整理し、それらの課題を解決するために、また、自分たちの理想とするビジョンと現実のギャップを埋めるために学びたいことをまとめていった。

 この活動を通して連続講座でとりあげたいテーマが決まると、次はそれらをどう構成していくかが課題になる。いろいろな方法があるが、ここでは「起承転結」の流れに沿わせることを提案した。「起」では、問題提起、「承」では理解の深まり、「転」では視点の転換や広がり、「結」ではまとめや次の問題提起につながるように、全8回の流れをつくっていくという方法である。

 他に、個人レベルから社会や世界レベルへ視点を移動させる配慮も必要だ。

 第1回目の企画会議は、この流れづくりの途中で時間切れになった。メンバーは自主的に日程調整をして、別にミーティングの日を設け、各回のテーマの確定と、講師・ファシリテーター候補の情報収集をすることになった。また、講座開催まで時間がなかったため、講座概要が決まった時点で広報用のチラシ案をつくる人を、私から指名し依頼しておいた。

8.この地域でしかできない講座

 メンバーが自主的に打ち合わせをし、確定した全8回のテーマはこうである。参加者の関心が最も高いと予想される子どもの権利が第1回、第2回がバリアフリー、第3回が在日韓国・朝鮮人の歴史で、第4回は亀岡市内にある大谷鉱山跡(韓国・朝鮮人や被差別部落住民が働いていた)へのフィールドワーク、第5回はジェンダーフリー。そして前2年と違って、さまざまな課題を学習したあと、後半に自らを問い、地域にかえしていくという流れをつくり、第6回目は自分をみつめ、第7回目で他者とのつながりを考え、最終回は地域づくりの夢を語る場が設定された。

 感心したのは、自主会議の後に報告された講師の候補案だ。亀岡市在住の個人やグループが積極的に候補に挙げられていた。特に思い当たる候補がいない回は、私が調整することにしたが、メンバーが普段から問題意識をもち情報収集をして、地域のネットワークが構築されていたからこそ出てきた講師案だった。まさに、この地域だからこそ、この人たちだからこそできる講座。いつかできたらと思っていた講座が実現に向けて動き出したことを感じ、ワクワクしたのを今でも思い出す。

9.学びの場に関わるさまざまな役割

 第2回目の企画ミーティングでは、全8回のテーマとチラシ案の確認に加えて、実際にこれから運営していくうえでの役割分担など、具体的な事柄をつめていった。この回は私の講義が中心になった。

 理論編で述べた「学びの場に関わる人たち」を説明し、この3年目は8人が、コーディネーターになることをめざすこと、講師候補のなかでも、ファシリテーターに向いている人と、リソースパーソンに向いている人を見極める必要があること、リソースパーソンが講師の場合は、プログラム中に参加者同士が自由に意見交換をできるような時間をとり、その進行をコーディネーターがする、つまりコーディネーター兼ファシリテーターになって進める方法もあること、を確認した。

10.実践に向けて

 次に、具体的にコーディネーターの実務について説明した。3年目、8人のメンバーはコーディネーター実習生である。前2年間コーディネーターとして私が1人で担当していた実務を3つのパートに分け、その役割を担う3人が一組になって各回のコーディネーター役を担当してもらうことにした。3つのパートとは、まず、講師候補へ講座の趣旨などを説明し講師を引き受けてもらえるよう交渉したり、講師とのプログラム案の打ち合わせ等を担当したりする講師連絡調整係、そして、当日の始まりと終わりの進行、講師がリソースパーソンの場合は、アイスブレーキングやグループディスカッションをファシリテートする進行係、最後に、プログラム内容や参加者の様子を記録・観察したり、参加者や企画メンバーのふりかえりをまとめて、次の講座へのつながりをつくっていく記録観察係である。

 実際にどのようにその役割を遂行していくかは実践を通して伝えることとして、その場では、各回の各係の担当者を決めた。もちろん、臨機応変にその役割を越えてお互いをサポートし合うことが前提だ。

11.対等な関係をつくるプロセス

 最後に、コーディネーターとして大切にしたい姿勢を共有した。1つは「メッセージとプロセスの一致」だ。例えば、一人ひとりの人権が尊重される社会をつくっていこうというメッセージを、講座のなかで参加者に伝えたいのであれば、その講座の準備のプロセスから一人ひとりが尊重される雰囲気をつくっていこうということだ。

 2つめは、「今この瞬間から対等な関係をつくる」ということだ。人間が二人集まった瞬間から、その人の持っている特権や権力にしたがって人間関係に序列がついてしまうことがある。そのような社会だからこそ、人権教育を企画・運営をしている私たちが、そうなりやすいことをまず自覚し、対等な関係をつくっていく努力をする必要がある。人権の学習は準備段階である今この瞬間から始まっているのだ。

 3つめが「プロセスの共有」だ。連続講座の運営をするうえで、各担当者が進捗状況の結果のみを報告しあうのではなくて、そのプロセスで困難に思っていること、気づいたことなどをこそ積極的に共有していこうと呼びかけた。困ったことがあったら一人で悩まなくてもいい、みんなに助けてもらってもいいという雰囲気をつくることで、より多くの人が安心して関われるようになる。

 このような事柄を全員で共有して、いよいよコーディネーター実習が始まった。

 ただ、メンバーのなかに「ここまでのことをしなければならないのか」という戸惑いの声があったことは否めない。もっと早い時期から私の持っていたビジョンを共有しておく必要があったと反省している。

 それでも、メンバーは打ち合わせを繰り返し行い、準備を進めていった。

 そのなかで決められたグループ名が「プロセス」である。この名前になったと連絡を受けた時、とてもうれしかった。私が伝えたことをしっかりと受け止めて、グループの名前にし、みんなでその「プロセス」を大切にしていこうという真摯な姿勢には、頭の下がる思いがした。関わっている人同士がこのように響き合いながら事業をすすめることができたのも、前2年間をかけて丁寧に人間関係を築いてきたからこそだと思う。

 前2年を共にした行政担当者が異動になり、3年目から担当者が変わったからといって、できないということにはもちろんならなかった。「プロセス」メンバーがどんどんイニシアティブをとってすすめていく、そんな勢いがあった。

12.実践を通して学ぶ

 企画ミーティング以降、私の自宅のE-mail、電話・FAX番号を公開し、進捗状況を報告してもらったり、困ったことがあったら何でも自由に連絡してもらったりした。前述したコーディネーターの3つの実務、講師連絡調整係、進行係、記録観察係についても運営のなかで適宜アドバイスをした。メンバーはまさに実践を通して学んでいった。アドバイスといっても、私が今までコーディネーターとして活動してきて、一番うまくいったやり方などを手渡しで伝えていっただけである。何かアドバイスが必要だと思った時には各自が私に連絡をくれた。例えば、実際にあったメンバーと私の電話での会話は次のようなものである。

  メンバー「今から第1回目の講師候補(大学教員)に電話すんねんけどさぁ、『アンタ誰や?』みたいに相手にもされんと冷たくあしらわれたらどうしよう・・・」

  田村「あぁ、講師連絡調整係やったら、たまにはそんなこともあると思っといたらええよ。でもな、もしエラそうな人だったら、対等な関係をつくっていこうとしている私たちの講座には不適切やよ。こっちから来ていらんって思っといたらええねん。でもなあきらめんと話してみて、もし聞いてくれそうやったら、いつもの調子で、なんでこの講座をして、なんで(講師に)来て欲しいか、誠実に説明したらいいよ。必ず伝わるよ。市民が手づくりで企画運営してるから協力して欲しいってアピールしときぃな!」

  メンバー「わかった。やってみる。また結果を連絡するね」

  ―翌日

  メンバー「すっごくいい先生やったよ〜。心配せんでよかったわ。でもな、ものすごく忙しくて、講演の講師は引き受けてないねんて。でも私思ってんけど、第1回目は大学の先生(男性)にお話とかしてもらうよりも(第二候補の)CAPの人たちにきてもらってワークショップしてもらったほうが、雰囲気がほぐれていいかなぁと思うねん。それやし、今回8回のなかでファシリテーターがちょっと男の人に偏ってるやん? CAPの人たちに来てもらった方が女性の講師が増えていいよね」

  田村「うん。ほんま、その通りやね。それでいこう。CAPの人からOKもらえたら、私がいつも使っている講師依頼の要点をまとめた手紙をFAXするから、それを参考にして再度書面でお願いしたらいいよ」

 他にも講師との打ち合わせの進行の仕方、講座の始まりと終わりの進行の仕方、参加者への声かけ、後の回に役立つ記録のとり方など、今まで私自身が実践を通して獲得してきた知恵を、その時その時、必要なときに一緒に働きながら伝えていくことに努めた。

13.市民による手づくり講座

 毎月1回、平日夜7時〜9時、8月〜翌年2月までの全8回連続講座。各回終了後、夜10時頃まで笑いを交えながらふりかえりをし、次の回の確認をするなど、1回1回の講座を丁寧に積み上げていった。毎回毎回全力投球でよい講座にしようと頑張るメンバーの姿から、私の方が学ばされることがたくさんあった。

 企画にとりかかるのが遅れ、講座の内容をつくっていくのに精一杯で広報に力をさけなかったため、一般参加者が少なかったのが悔やまれる。

 全8回を終えた後でのふりかえりでは、「疲れた」「大変だった」という声はもちろんのこと、「プロセスが大切だということが本当によくわかった」「準備のプロセスが一番勉強になった」「見えないところこそ大切だと思った」という感想が聞かれた。

 「やりきった」という達成感と「何とかできた」という安堵感があふれるなか、3年目が終了した。

14.学びの場づくりを私たちの手で

 ファシリテーター養成が本来の目的だったのに、コーディネーター養成になっているではないか、と思われるかもしれない。

 コーディネーター的資質はファシリテーターにも必要だと私は感じている。そして、ファシリテーターになるよりはコーディネーターになる方が身近に感じてもらいやすい。よって成人教育の担い手養成が目標の時には、まずはコーディネーターになることをすすめている。その実践の中でファシリテーターになる準備もできるからだ。現にプロセスメンバーは4年目には自らプログラムを開発し、ファシリテーターに挑戦している。この点については理論編でもふれているのでご参照いただきたい。

 さて、亀岡の「プロセス」はその後どうなったか。

 予定通り、4年目(2002年度)は、「プロセス」のメンバーだけでコーディネーター役を担うということで、私は一切関わらなかった。

 6月上旬、この事例報告の原稿を書くことについて連絡をした際に、あるメンバーに様子を聞くと、「こんなんでいいのかな」という不安があるとのことだった。

 そこで、原点に戻って「プロセスを共有する」ために、その不安を他のメンバーと一緒に話し合ってみてはどうか、意見がでやすいようにみんなでワークショップをしてはどうか、と提案した。他のメンバーを信頼することをあきらめていなかった彼女は、とても勇気があったと思う。時間をとって、それぞれがどんな思いでいるのかを共有する機会を持った。そして、もう一度初心に戻って、まずは仲間のなかで対等な関係をつくり、プロセスを大切にしながらやっていこうという「プロセス」の原点を再確認することがなんとかできたそうだ。

 9月上旬、私はファシリテーターとして8回のうちの1回を担当させていただいた。久々に亀岡のみなさんにお会いして、何よりもうれしかったのは、変わることなく、仲間や参加者を大切にし、自らも深く学びながら、一人ひとりが自分のできることを精一杯して、講座を丁寧に運営しているのがうかがえたことだ。講座終了後のふりかえり、次回の打ち合わせにも参加させてもらった。そこには立派なコーディネーター8人とその人たちに共感して新たにメンバーになった人たちの姿があった。

 それまではコーディネーターとして私が少しだけ先輩だったが、これからはコーディネーター同士、仲間としてお互いに学びあっていくことができる。新しい関係に移りつつあることを感じとてもうれしく思った。彼女・彼らなら、連続講座の企画・運営のコーディネーターをきっかけに、新たなコミュニティづくりの推進力になっていけると確信している。

15.プロセスメンバーからの発信

 この原稿執筆にあたり、「プロセス」メンバーにも声をかけてみたところ、長年企業に勤め退職した稲田育子さん、子ども絵画教室を主宰している西野千保子さん、農業に携わっている八木優子さんが手をあげてくれた。彼女たちは、2002年2月、和歌山県で開かれた「第16回人権啓発研究集会・第2回和歌山・人権啓発研究集会」の分科会のなかで、事例報告もしている。実践を地域内にとどめるのではなく、対外的に発信することも積極的に担っている。

 現在私は亀岡の講座に関わっていない。しかし、メンバーからの季節の便りなどで、「プロセス」のみんなが試行錯誤を重ねながらも豊かな学びの場をつくるために奮闘しているのを聞くととても嬉しい。これからも彼女、彼らを応援していきたい。そしてさまざまな地域に「プロセス」のようなグループが誕生することを願っている。


市民と行政のパートナーシップ

稲田 育子 

 市民で構成された人権講座の企画・運営グループ「プロセス」と、行政が協働で、年8回の連続講座「ワークショップで学ぶ人権セミナー」の企画・運営に携わることになって2年目を迎えました。

 初年度(2001年度)は地球市民教育センターのコーディネーターである田村紀子さんから連続講座の企画・運営に欠かせないノウハウを時には講義で、主として実務の過程で学びながらの1年間でした。

 特に、<1>課題の把握とテーマへの結び付け方 <2>学びの場に関わりあう者の役割分担 <3>講座終了後の「振り返り」が大切なこと <4>受講者も含め一人ひとりが大切にされるということの意味と実感 を「目からうろこが落ちる」感動と共に体験をしました。この体験は「プロセス」のメンバーはもとより今後グループとして行政と協働で「人権講座」を企画・運営するための大切な財産となるだろうと思っています。

 2年目(2002年度)は行政と「協働」の関係である市民サイドとしては予期しないできことが冒頭に発生しました。

 それは、<1>「プロセス」の代表者がメンバーに相談なく行政側で決められ、<2>「プロセス」はグループとして亀岡市「人権・同和教育指導員」名簿に明記され、<3>付記として(グループは...主として市内の教職員を中心としている。以下省略)の説明がなされていたことです。

 事務局の事後説明によれば、「市の予算配分のための措置」とのことでした。事務局がよかれと思ってとった措置であることは、ある程度理解はできますが「事前の説明がなかったこと」については「協働」のマナー違反だと思いました。

 このことも影響して、メンバーの数名は落ち込み、一時は「やる気も減退した」との声が聞かれました。

 講座開催のタイムリミットも迫る中、何名かのメンバーから次の打開策が提議されました。<1>各自が、今何を感じ考えているかを紙に書き出し、内容別にまとめる <2>昨年度の「プロセス」の取り組みを整理し、プリントをメンバーに配布する <3>田村さんの文〜亀岡市との協働から学んだこと〜を配布、提案者からは、特に「大切にしたのは、事業に取り組む意義や課題意識をすりあわせること(中略)本当に意味のある学びの場を一緒に創っていくうえで、お互いのねらいや問題意識をはっきりさせるプロセスは重要だと考えています。社会教育の場を作り出すための打ち合わせ会合の時点から、市民団体と行政が対等な立場に立ち、対話を通して学びあう、いわば参加型の学習が始まっているのです。」という部分を引用して「対等の関係」の説明があり、全員共通の理解ができたと信じています。

 このような経過をふまえて、本年度の全8回の人権講座は開始しました。反省点は多々ありますが決定した講座については毎回ベストを尽くし、「ふりかえり」を次に活かし、マンネリズムに陥らない工夫を重ねていきたいと思っています。

 なお、今後とも行政と対等なよい関係で協働を続けるための課題として以下のことを挙げておきます。

  1. 行政事務局の役割を明確にする。(何事も事務局では対等の関係がないがしろになることもある)
  2. コーディネーターはなくてはならない存在(豊富な知識と情報・見識が求められる専門職であり、「連続講座」の企画には必要)
  3. 予算の開示はできないのか?
  4. メンバーとしての学びの場も必要ではないか(個人的にはそれぞれ研鑽していると思うが、コーディネーター・ファシリテーター等参加型学習に関わる者としての基礎知識を一緒に学ぶことはできないのか?)
  5. 本音で語れる場を大切にするグループであること(今の関係はほぼ良好であると思うが)

NGOの役割

八木 優子

 行政がある課題を持ち具体案を考える際、実際的な仕事ができる人材があれば実現の方向に向かう。しかし、構想があっても企画・運営でのノウハウを持つ人がいなければ、次の段階に進めない。そのような行き詰まりを打開するために、コーディネーターという専門職として活動するNGOスタッフに行政が依頼するというのは私たち市民にとってもとても意味のあることだと思う。特に「人権」をテーマにした講座は、ややマンネリ化していたし、日常生活での行動化を課題として考えていた市民にとっては、亀岡市が主催した人権ワークショップはとても新鮮であった。ノウハウが蓄積されたNPOとの協働(パートナーシップ)は必然的なこととも言えるのではないだろうか。

 1年目の講座に参加した私たちも初めてワークショップ形式での人権講座を体験したわけだが、参加型学習に対する戸惑いの一方で、人権学習における発想の転換や広がりを感じ、今までにない充実した時間を持つことができた。NGOである地球市民教育センターのスタッフをコーディネーターに招き、企画された講座は、行政がNPOと一緒に良いものをつくろうとしている意志が伝わってくるものだった。行政のステップアップしようとしている姿勢が、私には好印象に映った。

 2001年度から企画グループとなった「プロセス」にとっても、コーディネーターの田村さんの存在は大きかった。プロセスメンバーへ新鮮できめ細やかな助言をしてくれたので、「自分たちにもできるかもしれない」という気持ちになり、意欲を持ち続けることができた。まさにエンパワメントってこういうことだと思う。「こんなことをしたい」という漠然としたイメージを、講師依頼などの仕方を含めて具体的に講座として組み立てていく手法を教えていただいた。行き詰まりがちなときも、新しい価値観を提案してもらい、次の段階へと進むことができた。行政にとっても「プロセス」にとっても、いわば風穴のような存在であった。

 市民と行政のパートナーシップといっても私たち「プロセス」もどう関わればよいかわからず、戸惑うことが多かったが、その都度、「対等な関係」であることをお互いに確認しあうなど、NPOは実質的なパートナーシップをつくっていく上で重要なコーディネーター役を果たしていたと思う。「対等な関係」をつくるのが極めて苦手な行政と市民に、「対等な関係」をつくる大切さを丁寧に伝えてくれた。また、「企画ミーティングから学び合いの場が始まっている」「目的と手段との一致」「参加者との対等な関係づくり」など、私たち「プロセス」が講座をつくっていくうえでの基本的な理念についても学習することができた。


「プロセス」のはじまり

西野 千保子

 「・・・さて、今年度のこのセミナーにつきましては、昨年度のまとめにおいて、参加者も実際にセミナーの企画・運営に参画して『学び』の場を創り出してはどうか、ということになりましたので『事前企画ミィーティング』を下記のとおり計画いたしました。つきましては何かとご多忙とは存じますが、御参加いただきますようよろしくお願いいたします。」

 亀岡市教育委員会人権教育課主催の連続講座「ワークショップで学ぶ人権セミナー」を2年間受講した次の年度、5月の末に、教育委員会からこのような案内を頂いた。「ん? これは何かな? なぜ私がこのようなものをもらうのかな? でもなんだかちょっとおもしろそう。」

 そんな軽い気持ちで案内の通り市役所に出向いた。閉庁後の市役所に、しかも何かの手続き事以外の用事で行くのは初めての体験。あとで思い出したことだが、前年度の最終セミナーのアンケートに、「ワークショップセミナーの企画をしたいと思いますか」という項目があり、そこで私は「はい」と答えていたのだった。それで教育委員会からお誘いを受けたわけだ。

 さて、はじめの打ち合わせは自己紹介のあと「亀岡のまちがこんなんだったらいいな、そして私はこんなことできたらいいな」という詩を書き、それぞれの思いの共通項をまとめて、全8回のワークショップのテーマにつなげていくという共同作業をした。これは、この年も引き続き助言役をしていただいた田村紀子さんの提案で、「ワークショップのテーマを決めるためのワークショップ」というわけだ。

 その後も田村さんからは話し合いをスムーズに進めるためのこういったアドバイスをたくさん頂いて、大変勉強になった。

 8回のテーマが大体まとまると、それぞれをどのような関連性をもって完結させるかを考えながらストーリーを組み立てるように構成していく。そして、テーマにあった講師の依頼、などなどを決めていく。連続講座の企画の大変さは、参加者を募るまでにすべてを確定しておかなければならないこと。何回か、ミーティングとFAXのやり取りを重ねる中で、メンバーの間で漠然とではあるが次のようなことを確認できたと思う。

  • 参加者を尊重する。
  • 企画メンバー同士がお互いを尊重しあう。
  • 出来上がっていく過程を尊重する。
  • 亀岡の地域の課題に迫る。
  • 亀岡の人材を生かす。

これらは、人権を尊重することそのものであると今改めて思う。そして、そのきわみともいえる企画グループの名前がメンバーの一人から提案され、拍手のうちに決まった。それが「プロセス』である。

 今年(2002年度)は、この「プロセス』が独自のワークショップを作り上げファシリテーターを務める回を全8回講座のなかに加えることになった。