大阪の部落史委員会は、本年2月『大阪の部落史』第六巻史料編近代3を発刊した。第六巻は、1928年の大阪府公道会の成立から1945年のアジア太平洋戦争の敗戦までの時期の史料が掲載されている。
そこで、歴史部会では、第四・五巻にひきつづき、第六巻について執筆者から、掲載史料の特色と史料を通してどのようなことがわかってきたか、等について報告してもらった。
先刻、救済事業として方面事業の拡大と救護法の制定・施行をめぐって、市議・代議士をつとめた西浜町出身の沼田嘉一郎の事績について注目し、関係史料を収録した。なお、時代のちがいはあるが、沼田と森秀次の融和運動家としての活動舞台と活動内容は明らかに異なっている。
次に、西浜と朝鮮皮革との関連と、戦時下の比較・靴統制の実態を解明できる史料にも着目した。
1942年の同和奉公会の成立は、融和運動と水平運動の結合をあらわした事件である。ところで、水平運動は1930年頃からすでに融和運動から多くのことを学んでいたのである。したがって、この2つの運動を対立面ばかりでみるのは一面的である。なお、同和奉公会が官製の国民統合組織である大政翼賛会に加入が認められなかったことが、史料で裏付けられた。
水平運動については、アナーキスト(無政府主義者)の活動やアナ系労組との関係を示す史料などは、今まであまり顧みられなかったものであろう。
宗教については、1930年代に宗教団が大阪府公道会の支援のもとにいくつかの郡で結成されたことは、2つの時代の仏教界が融和運動に積極的であったことを証している。
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