調査研究

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2004.09.13
部会・研究会活動 <歴史部会>
 
歴史部会・学習会報告
2004年5月1日
朝鮮人と被差別部落民との競合・共生
-『大阪の部落史』近代編史料収集にかかわって

横山 篤夫 (関西大学非常勤講師等)

  大阪の部落史委員会は、本年2月『大阪の部落史』第六巻史料編近代3を発刊した。第六巻は、1928年の大阪府公道会の成立から1945年のアジア太平洋戦争の敗戦までの時期の史料が掲載されている。

  そこで、歴史部会では、第四・五巻にひきつづき、第六巻について執筆者から、掲載史料の特色と史料を通してどのようなことがわかってきたか、等について報告してもらった。


  私の「在阪朝鮮人史」との出会いは、金賛汀『朝鮮人女工のうた』(1982年)を読んだことにはじまり、南台鉉氏との出会い(1980年代末)、朝鮮人強制連行調査団に加わったことがあげられる。さらにその後出された戦前の在日朝鮮人についての諸論考にも、大いに啓発されて今日に至っている。

  中でも強制連行の調査の中で、正教寺にひきとり手のいない朝鮮人の過去帳と骨壷が残されていることがわかったこと、貝塚と堺の部落に住んだことのある朝鮮人から、その朝鮮人の部落民との共生、対立などについて聞きがきをしたことによって、部落と朝鮮人との関係に注目するようになった。これらの関係史料は第六巻に収録した。

  掲載した史料で注目されるのは、1920年代に水平社と交流した関西朝鮮人聯盟本部と南善洪、生江町経済更生会がその会員を内地人戸主・世帯主に限ったこと(1936年)、しかし一方、信太村では朝鮮人などの転入に伴い伝染病予防対策を強化したこと(1939年)、南王子村では朝鮮人が学務委員に選ばれ(1939年)、さらに1942年には10名の町村会議員が選挙で当選していることなどである。さらに、1939年には朝鮮人の廃品回収業者の排除の動きがあった。

  最後に、この分野での研究と深めていく上での課題を示しておきたい。すなわち、

  1. 地域による実態の差異に注目する。
  2. なぜ部落と朝鮮人の関係についてどのような差異があったのか、
  3. 昭和恐慌の前と後でそれにどのような変化があったかを、産業経済の動向に着目して明らかになる、
  4. 在阪朝鮮人紅会の内部にもっと目を向ける、
  5. 水平運動史の見直しなどの成果を吸収して、

戦前の大阪での朝鮮人運動を一層明らかにする。

(文責・事務局)