第二報告は、兵庫県清和会が部落民の満州移民を積極的にすすめていったことに関する報告である。
周知のように、満州移民は、1932年の「満州国」の成立と、この年にはじまる農村漁村経済更生運動がその動因であった。中央融和事業協会は、部落経済更生運動の一環として、部落民の満州移民を奨励した。部落の零細土地保有と過剰人口の解消がその狙いであるといわれた。
兵庫県清和会は、幹部が中心となって1938年から数次にわたって満州視察団を送り出す一方、中央融和事業協議会などが主催する全国規模の講習会や指導者練成会に積極的に参加した。さらに、県内での講習会・移民促進協議会・懇談会・映画会を主催したり、それらへの部落民の参加を要請した。
その結果、1938年から部落からも満州移民を送出するに至った。それは、単独移民、満蒙開拓青少年義勇軍、応援作業班としてであった。しかし、送出した部落は数10か村、人数も総計で2-300名程度であったと思われる。
なお、清和会幹部が、満州開拓地では差別観念が存在する理由がなく、差別観念を消滅させる力が強く働いている、と主張、宣伝して満州移民を推進していたことが注目される。(里上龍平)
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