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2005.11.16
部会・研究会活動 <歴史部会>
 
歴史部会 学習会報告
2006年9月2日
戦後部落解放運動がめざした社会像
−部落の現実と自己意識

渡辺俊雄(大阪の部落史委員会企画委員)


 9月の歴史部会は、渡辺俊雄さんによる、戦後1940代から50代初頭までの運動史に主眼をおいた報告であった。以下要旨をまとめていきたい。

1.部落解放全国委員会の結成

 戦後の運動は、1946年2月の部落解放委員会の結成により本格化するのだが、その過程については不明の点が多く、いわば多くの「神話」が語り継がれている。そしてその評価も、水平運動と融和運動の野合であり、運動の理念などは存在しないという批判的なものが主流であった。確かに初期の役員の顔ぶれにも、梅原真隆、岡本弥、三好伊平次などの融和運動関係者が顧問となっている。しかし、行動綱領に記される「華族制度及び貴族院・枢密院その他一切の封建的特権制度の即時撤廃」などは、同愛会の岡田豊太郎によって戦前の融和運動でも主張されており、水平運動と融和運動の双方の理念を継承していると読みとることもできる。

2.戦後改革と同和行政

 戦後の同和行政が本格化したのは、オールロマンス事件以後のことであり、それまでの停滞は、占領軍の無理解にその原因があると評価されてきた。そして、そのような理解の下、憲法14条の「社会的身分」、24条「のみ」の文言は松本治一郎の主張によって取り入れられたと理解されてきた。しかしながら実際には、14条の文言は占領軍の草案にも見られ、また部落問題の特別委員会の設置の勧告や、常設の人権委員会の設置の示唆が占領軍からされていたという。そして、占領軍の指導を受けながら、あくまでも間接統治であった国の不作為が部落差別を残存させた元凶であるとの解釈も可能である。

3.部落の現実と自己意識

 部落の現実は、経済的実態を通して語られることが多いが、それだけでは見落としてしまうことがある。解放運動にしても特定の運動団体の動きのみでは見えないこともある。すなわち運動方針だけで運動史を語ることは一面的な理解である。住吉や池田では共同体のまとまりが強く、青年団や婦人会などの様々な組織が運動に取り組んでおり、解放同盟の運動という視点からだけでは、このような運動は見落とされてしまう。また、各地での意識調査から、部落住民の意識にもかなりばらつきが見ることができる。例えば、尊敬する人物としてあげられた中には天皇・乃木大将がいると思えば、松本治一郎が出てきたり、かなり幅広い。運動が住民に及ぼした思想的影響が幾ばくかを考える上でも面白い統計である。そして「解放」といってもその方法は様々であり、長野の活動家の場合、裁判により姓を変更するという方法で自己の解放を目指す場合もあった。

 以上、主な内容をまとめが、現実は多様であり、運動も一つとは限らない。歴史学はややもすると現実を過度に一般化してしまう傾向がある。戦後という時代が60年を越え、今まで表に出なかった史料や証言が公開されるようになった。さらに多角的な分析が不可欠となってくるであろう。

(文責:藤原 豊)